kerotaka1529

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後、1日

月曜日退院です。ぐっすり寝たので朝かと思ったら 1時間半くらいしか寝てない⁈ ヤバいまた寝れないの?ヤダナ。。 遺書のような遺書じゃない本当の気持ち

    • 世界は

      私が必死に何かを守ろうとしなくても 何かを探してこねくりまわしても こねくりまわさなくても 自分をどうにかしようとしても しなくても、そんなの関係なく 思いもしなかった小さな指摘から 私は私がどうしたいのか どう生きたいのか考えるのじゃなく 感じる。会話する。 私が一番したい選択を選んだり 何を自分が望んでいるのか そうやって少し何かを決めて そのためにはどうするのか 一歩踏み出せばどんどん世界は変わっていく 私の場合はちょっとした指摘してくれた人と そのまわりのたくさ

      • 止まらない〜ha〜ha!

        溢れる涙が止まらない 私一体何をあんなにムキに頑なに なっていたのだろう? 何をあんなに必死に守ろうとしてたんだろう? 何があんなに大事だったのか? 自分、自分って握りしめて ぎゅっと硬く握りしめていたのだろうか? なんのため?自分のため? 今はただ自分なんてどうでもいい  自分のことなんて今しらなくても 誰かが教えてくれるし、わからなくても そこにあるのは知ってるから 私は死んでいない、ここで生きてる だから何もわからなくても生きるだけ もう握りしめないし 守らな

        • 結局

          ちょっと端折って進行しますが 結果は癌でした!スキルス胃がん ステージⅣかい腹しないとわからない と言う結果。しかもかい腹して行った手術が 1番難しいものでした。 膵頭十二指腸肝切除スキルス胃がん摘出術 イメージはもうあちこちとって繋いで フランケン状態・・・ で!! ちょっと話が進んで 今まさに3回目の入院中なのですが どうしても伝えたいことがあります 今私自然となのですが 号泣しています 私と関わってくれた看護師さん・看護婦さん ちょっとご指摘頂いてあれやこ

          結果その2

          死にものぐるいで胃カメラを抜き 逆流してくる物と死闘を繰り返し その次の日には点滴を2本、、そして そして 鼻の穴より太いチューブを 鼻の穴にブッ刺され『くだ人間』 に改造されてしまった あちこち管・チューブ 精も根も尽き果てた いくつかの検査や何回もの説明やら 何も聞こえない何もわからない ただお腹の中身を抜くのに1ヶ月絶水、絶食 このままで頑張って だとぉ〜? この2週間後に結果は出るのだが もう自分の人生なのにおかしな体験ばかりで 頭がおかしくなってた

          結果

          結果待ちの間  絶水絶食……耐えられない! 私以上に膨れ上がった食べ物が詰まった胃袋に 胃カメラなんて不安しかない! なので大丈夫なのか聞いてみたら 「先生だってわかっててやってますから大丈夫ですよ」 と言われた。??? こんな状態わかってて? 本当に? と言う不安のまま 強行突破で胃カメラをぐいぐいと入れられ 案の定胃の中のものが逆流、口は塞がれているのに 更に出てきたものが固形物、鼻も塞がれ 一瞬パニック!!!もうダメだ 息が止まる。もがこうとする手を力づくで抑えられ

          私の人生

          生まれた時からこんなふうに色んなことが めまぐるしくあって何故か休むことなく 突き進んできた 身体の悲鳴が聞こえた頃ではもう 手遅れだった ある日突然の変異 食べたものが戻ってくる 食べものが落ちていかない ある種不安だったけど知らんぷりをしてきた 半年ほど経ってもう知らんぷりが できなくなり、ついにクリニックへ そこで異常が発覚し、大きい病院へ緊急入院 身体の半分以上胃袋が膨らみ 消化されていない大量の食べ物で押し潰されていた 大腸を繋ぐ幽門の閉鎖 癌の初見

          愚か者

          私はアルコール依存症のいる家族の中で 1人奮闘したった1人で上手く回して やってきた。 主人も全くダメで私ひとりがまとも。 くらいに思い込んでた。正しいと思ってた。 実際には全然そんな事ないのに こんなに頑張って色んな壁を乗り越えて たくさんの犠牲を払って たくさんの我慢をしてそうじゃなければ 報われない。 私自身の幸せのためにも 私が認めてもらわなきゃやってられない くらいに思ってた。 現実は何も出来ていないし何一つ 変わってないし皆それぞれ生きている その時の私はき

          この頃

          この頃の私は 自分自身にも疲れ果てていたし 生きることにも疲れていたし 自分が自分であることが疑問に思って 何をもって生きていけばいいのかわからず 答えが欲しくても答えはない 誰かに認めて欲しくても孤独で わかって欲しくても誰もいない そんな風に自分の殻の中だけでもがいていた 結果的に閉じこもったのは自分だったのだけど この時はわからなかった 自らが閉じたことを ……いや、薄々気がついてはいた でも破り方がわからなかったし きっと破れなかったのだ ズルくて弱くてプラ

          リスタート

          もうおわかりかと思いますが がむしゃらな私とこちらから見たら いい加減な主人 その違いのすれ違いのままぼんぼんが 今度は大黒柱になる そりゃあ不満や不安だらけだし文句も ありますよ しかし自分が全部できる訳じゃないし 何処か諦めなくては…完璧になんて生きられない と、どんどん言葉を飲み込んでいった この頃から自分自分と言いながら 自分と言う存在が曖昧であやふやで カタチがなくなって行ったのだと思う それに何も気がつかずに

          神輿の崩壊

          突然その時は訪れた。義父の病気と決断。 気がついた時には手遅れだった。 血液の癌。血が体内でつくられていないので 状態は危険な状態。ただ検査結果が中々出ない。 結果が出ないと治療に入れない 色々なことを決断しなければならなかった その状況に置かれて初めて色んなことが わかったり感じたりした そして改めて存在の大きさを感じた 皆文句ばかり言っていたけど頼りきっていたこと 舵取り、まとめ役、決定打、 本当に様々な役を担っていてきっと1人で 大変だっただろうな家族のために朝

          30年

          今振り返ると皆この神輿から降りたかった のだと思う。ただ降り方がわからなくて 降りた後の生き方がわからなくて不安で 必死になって担ぎ続けてしまった。 家族みんなそれぞれに何かしらの問題をかかえ それを持て余しキリのよいところで見て見ぬふりを した結果30年と言う年月が過ぎた それでも今現在のところ同じ屋根の下共に 居るのは、とりあえずどんなカタチでも 何とか継続し続けたからからしれません。 様々な感情が入り乱れて何度も逃げようと 思ったし、挫折して死にたい時もあったし

          具体的には

          主人は飲酒はなかったので一見すると 普通の人に見えるのだが立派に ドライドランカーでした。 仕事があっても朝は起きない 自営業なので時間に余裕がある。その時間 異常な集中力で競馬新聞を読み 好き勝手に行動して気に入らないと すぐにすねる。 そして親はそんな息子のご機嫌を取るような 絵に描いたような依存。 私にはその糸が見えていた。 でもあの時解き方を間違えてしまった。 息子の責任を押し付けられ カウンセリングに行ったり 勉強したりすればするほど自分の首が しまってい

          気味が悪かった断酒会

          はじめに連れて行かれたのが断酒会という もので、人の体験談を聞いて自分のことも 話すと言う場でした。 はじめましての私には どんよりと暗く 死んだ魚の目のような依存症の人が 支離滅裂な話をし、それを聞いたところで 何の意味があるのだろう。 居心地が悪く何より気味が悪い。 と思ったのが正直な気持ちでした。 こんな会に来なくても何とかする。 これがますます私が躍起になるきっかけでした。 今ならわかることは 何かを変えようと必死になってその結果 誰かを罵ったり貶したり、悲し

          気味が悪かった断酒会

          空回り

          依存って何処にでも存在するし誰にもある ただ思春期に変化していくのが通常運転…… この家においては中にいる人には普通に見えても 外から来たよそ者からすると依存でがんじがらめ がよく見えた。 よく言えば絆 悪く言えばマザコンとか自立できない大人 その大所帯の中で何かしようとしてもひとり空回り 我が子が可愛いから、何もしなくても悪者扱い 当の本人は何の悪気もなくのらりくらり でも本人自身はとても頑張っている と、言う自負があるからタチが悪い この悪循環をどう紐解いてい

          依存

          彼との話として私の過去は受け入れて 彼のことも受け止めた関係、と、 ありましたが彼もまた悩みを抱えていた。 ひとつにはアルコール依存症だということ その病気がどうゆうものかは全く 知らないし理解もせず突き進んだことは 後悔もあるが知ったら突き進むことがなかった かもしれないので致し方ないなと思う。 しかし何ともやっかいな病気ではあったので 永きにわたり体力気力を必要とする 病気との孤独な戦いが始まった訳です