見出し画像

「引退」は選手のもの ~「次のオリンピックは目指しますか?」は聞かないで~

パリで開催される夏季オリンピックまであと3か月。五輪期間中はマスコミからあの無意味な質問がまた繰り返されるんだろうなーと思うとうんざりします。

「次のオリンピックは目指しますか?」

4年かけて準備してきた競技を終えた直後にまた4年後の進退を問う。そんな質問への回答を望んでいる視聴者がそんなにいるとは思えないのになぜか毎度同じ質問が繰り返されます。

そんなことより今終えたばかりの競技のことについてもっと深堀りして聞いてほしいのにーと私はいつも思うのです。

「進退」を問い詰めたがる理由


五輪を最後に競技を引退するアスリートは確かに多いです。「お年頃」のアスリートの取材チームには「進退どうするつもりなのか絶対聞いて来いよ」と指示されているのかもしれません。視聴者の注目を集めている期間に進退についての最新情報を報道すれば注目が上がるーという算段なのかもしれません。

でも、精魂込めた闘いを終えた直後のアスリートが「次のオリンピックを目指しますか?」と詰め寄られる姿を見せられるのは、決して気持ちの良いものではありません。「今競技終わったばっかりなのにそんなこと聞く?」としか思えない。

ほとんどのアスリートは「今はそんな先のことは考えられません」と質問をかわすので、こんな質問は聞くだけ無駄だと思っています。それでも記者は聞くことをやめません。まるで絶対にこなさないといけない儀式であるかのように。

(イメージ)


「世代交代」を煽りたがる理由


日本のスポーツメディアはトップクラス選手の成績が少し落ち込むとすぐに「世代交代」「〇〇選手、引退か?」と煽りたがる習性があるように感じます。

5月に引退を表明した卓球選手の石川佳純さん(30)も、「23歳くらいの時に初めて全日本選手権で負けて、そこから世代交代みたいに言われた時は、辛かったですね。23歳でこんな風に言われるんだってのは…」と引退後の出演番組で語っていました。

チーム競技では監督の選手起用の選択が勝敗を左右することが多いので、ベテランに頼り過ぎた采配で結果を出せなかったときに「世代交代の失敗」と言われることは「戦術批判」として理解できます。

ただ卓球、相撲、水泳のような「個人戦」がメインのスポーツで「世代交代」を強調する報道に対しては、私は強い違和感を感じます。

強調してほしいのは「若手の活躍」


「世代交代」を英語で訳そうとすると、ぴったりな言葉が見つかりません。しっくりくるように訳そうと思うと「次世代の活躍」という表現になるかと思います。

日本のメディアは中堅・ベテラン選手が若手に負けたとき、なぜ「若手の活躍」をメインにせず「世代交代」を前面に押し出すことが多いのでしょうか?

中堅・ベテラン選手の方がネームバリューがあり、より「数字」が取れるからこそその選手目線で表現することで煽りたいのでしょう。でも拮抗した実力を持ち、切磋琢磨しあっているアスリート同士の戦いを「世代交代」「引退か」という言葉で安易に片づけられるのは不満です。

先月開催された世界フィギュアスケート選手権で、三連覇を期待されていた男子シングルの宇野昌磨選手の報道でもそう感じました。

宇野選手は競技前半のショートプログラムでは1位スタートしたものの後半のフリープログラムでミスが出てしまい、4位と表彰台を逃す結果に。日本のスポーツメディアの見出しの多くは「宇野昌磨3連覇ならず」となり、試合後のインタビュー内容も今後の進退に関する質問が多くを占めていました。

大学卒業後に競技を退く選手が多いフィギュアスケート界ではベテラン扱いですが、彼はまだ26歳。30歳を超えて活躍する選手だっている。何より彼はショートプログラムで今季最高得点を記録したばかり。そんな選手がミスが出てメダルを逃すと「世代交代」「引退か」と言われてしまう。

(まぁ宇野選手本人が二連覇後のモチベーション低下について発言したり自分で「世代交代」という言葉を口にしたりしているので、進退が話題に上って当然だとは思いますが…それにしても進退について踏み込み過ぎかなと)

石川佳純選手が全日本選手権で負けたとき、メディアからは「世代交代」と煽られました。しかし石川佳純選手はその5年後、再び全日本シングルスのチャンピオンに返り咲き、北京五輪女子団体で銀メダルを獲得しました。今メディアに進退を問われている様々な競技の選手たちが今後どうなるかは誰にもわかりません。


”衰え始めたトップ”は後進に道を譲るべきなのか?


スポーツファンとして若手の台頭&活躍は喜ばしいことです。だからといって私はベテランのトップ選手に「トップたるもの衰え出して来たら早めに引退して後進に道を譲れ」とは思いません。

むしろ若手の活躍に刺激を受けてベテランのトップクラス選手たちが踏ん張り、さらに面白い戦いを見せてほしい。なのに何で日本のスポーツメディアは「世代交代=ベテランの引退」を推し進めたがっているかのような書き方をしがちなのか、いつも理解できませんでした。

以前私は、「今季の世界フィギュアスケート選手権のフィンランド代表をめぐる19歳と36歳の争い」について投稿したことがあります。こんな闘いを私は色んな競技で観たいんです。

先日引退を表明した競泳の入江陵介さん(34)も、パリ五輪代表の座をかけて竹原秀一選手(19)と争いました。そしてその争いに敗れ、引退を決意するに至りました。

彼の場合、彼を脅かす後進が育っていなかったことが長く現役を続けた一因かもしれません。それでも15歳年下の選手と五輪代表争いをやって負け、引導を渡すことができたのは彼自身にも後輩のためにも良かったのではないかーと引退発表の時に報道を見て思いました。

「トップの衰えを許さない」のは日本の美学?


ひとたびトップに立つと、負け&衰えを許さないという風潮は、日本の伝統スポーツである相撲から来ているのかな?
と考えたことがあります。

「横綱」には陥落制度がない

相撲界では、ひとたび横綱になると「大関」や「関脇」には戻れない。負けが続くと負け越さないよう休場を暗に迫られたり、負け越しが続くと横綱審議委員会から「引退勧告」が出てしまう。横綱が勧告に従う義務はありませんが、勧告に従わないのはなかなか難しいことでしょう。

幕内で闘える実力がまだあるのに、ひとたびトップ=横綱になってしまうと、衰えていく姿を見せることを許されなくなる

桜の散り方を美しいと感じるのに通じた美学なのかもしれないけれど、横綱昇進は「その力士を現役で見られる時間が短くなる」ということに通じるため、昇進について複雑な想いを感じたことが過去にあります。

もちろん、トップに上り詰めた人間ならではの自尊心から「衰えていく姿を見せたくない」「衰えを感じるのがつらい」と感じて引退を選択するのには、何一つ文句を言うつもりはありません。(そもそも他人に文句を言う資格などない)

ただ、過去の全横綱が純粋にそういう感情で引退を決めてきたのだろうか?とつい疑問に思ってしまうのです。「横綱の矜持は守るべきだから、負けがこんできた横綱は引退して当然、横綱とはそういうもの」と力士たちや好角家(相撲ファン)は受け止めているのかもしれません。でも、「あの力士の取り組みをもう少し長く見ていたかった」と思う人は私の他にもおそらくいると思うのです。

引退を決めるのは選手自身

そもそもメディアが引退や進退について先回りして、アスリートにあれこれ聞きすぎなんだと思います。

当たり前のことですが、引退するかどうかは選手自身が決めること。辞めたいのなら辞めればいいし、続けたいのなら続ければいい。それは本人の心のみが決めるべきことであって、メディアが進退を左右するような空気感を醸成するようなことがあってはいけない

アスリート本人ができるだけニュートラルに考えられる環境を保障してあげてほしいなと思います。

<さいごに>

私がこれまでnoteで多く言及していた宇野昌磨選手の先月の世界選手権の演技については、こちらで感想を熱く語っています。関心のある方はご一読いただければ嬉しいです。(モントリオールに観戦に行きました。その時の感想はこちらのサイトに連続投稿しております)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?