ジャイアンという存在
「あの人はジャイアンのようにふんぞり返っている」
「ジャイアン的存在がいると怖くて意見が出せない」
…実は声優さんが変わってから一度も見ていないんですが~(;´・ω・)、今回は「ジャイアン」という架空の人物が、現代に及ぼしている影響をテーマに書いていこうと思います。
また、同時に言葉に含まれる「偏った価値観」についても、あなたと一緒に考察していこうと思っていますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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そもそもジャイアンとは?
さきほど、ウィキペディアを貼りましたが、見ない人向けに簡単に説明すると「”ドラえもん”というマンガやアニメに登場する、体格がよく、腕っぷしに自信があるガキ大将だが、仲間や家族思いの優しい側面もある男の子のキャラクター」です。
正式なキャラクターの名前は「剛田武」で、「体格がよく、腕っぷしに自信がある」という部分から、「ジャイアント」がモジって「ジャイアン」というあだ名になったと推測されます。
作中、学校でのシーンなどで、他人のモノを横取りしたり、力で他人を屈服させようとしたりする描写の印象が強く、「力持ち」というよりも「いじめっ子」にカテゴライズされることも多いと思います。
結果として、現代社会で「ジャイアン」という称号は「横柄な態度を取り、他人に対して圧力をかける、パワハラ体質な人物」に与えられることがよくあります。
そこには、「体格のよさ」や「仲間や家族思い」といった特徴は介在せず、弱者を虐げる悪者としての特性しか残っていません。
ここで私が申し上げたいのは「ジャイアンという言葉に思考が引っ張られていませんか?」ということです。
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言葉はシナプスという導火線に火をつける
私たちは、実にさまざまな言語表現を用います。
物体の名前だけでなく、形のない心の在り方にも、何らかの言葉で意思の疎通を図ります。
言語学の領域では「シニフィアン」と「シニフィエ」という用語を用いると思うのですが、私たちは無意識に言葉とその意味を紐づけています。
下記はWikipediaの一部を引用しました。
シニフィアンとは、語のもつ感覚的側面のことである。たとえば、海という言葉に関して言えば、「海」という文字や「うみ」という音声のことである。一方、シニフィエとは、このシニフィアンによって意味されたり表されたりする海のイメージや海という概念ないし意味内容のことである。
…さきほどの「ジャイアン」を例にすると、「ジャイアン=シニフィアン」であり、「暴力的・高圧的・利己的といったイメージ=シニフィエ」となります。
さて、ここであなたに問いたいのですが「はし」や「むし」といった言語(シニフィアン)から連想される意味内容(シニフィエ)は、すべての人間が同一の意味内容を連想するでしょうか?
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偏った価値観
「はし」は「橋・箸・端」などがあり、「むし」は「無視・虫・無私」といった意味内容が存在します。
どれを連想しても間違いではありませんが、たった一つの選択だけで思考が止まってしまうと、他の意味内容の存在を除外してしまうこともあるのではないでしょうか?
人の脳には「忘却」という大変優れた機能があります。
私たちは、記憶領域に定着させることよりも、忘却してしまう機能のほうが優位に働いてしまいます。
よく学生の頃に、一夜漬けで暗記したつもりで、テスト当日にほとんど覚えてなかった…なんて話がありますよね。
この忘れてしまう機能に注目した心理学者は、自身の名前のついた「エビングハウスの忘却曲線」というモノを提唱しています。
さて、どうすれば人は記憶に定着化が出来るのでしょうか?
一つの手段として「短期間で反復学習すること」が知られています。
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反復学習の副作用
「繰り返すことで記憶として定着する」…求めている内容を記憶するためには、この手段は大変に有効です。
ですが一方で、先ほどの「はし」や「むし」の例のように、一つの意味内容のみを反復してしまうと、一つの言語(シニフィアン)に複数の意味内容(シニフィエ)が存在することから意識が逸れてしまうことがあります。
これこそが「偏った価値観」の根源であり、私たちがよく聞く「バイアス」の素となるモノです。
「ジャイアン」という言葉にまで遡りましょう。
どのような意味内容を表す言語として「ジャイアン」を用いたのか?
「高圧的=ジャイアン」であれば、相手がこちらを尊重してくれたことに気づかなくなるかもしれませんし、「利己的=ジャイアン」とすると、周囲への配慮に気づく機会も減るかもしれません。
結果として、より言語と意味内容は強く結びつき、私たちは別の可能性を考えなくなってしまいます。
これでは、あなた自身がジャイアンへの道をたどってしまうことに繋がりかねません。
直感的に言語と意味内容が合致するのは決して悪いことではありませんが、別の可能性を常に模索し続けることも、大切なのではないでしょうか?
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私自身の「ジャイアン」のイメージは、確かに理不尽な面もありますが「心の友」といった発言からも見受けられるように「情に厚い」印象も強くありました。
ですが、私の知人は今回述べたように「ジャイアン」という言語を「パワハラ的」などといった悪い側面のみで用いており、この感覚の違いから、このような記事を書かせてもらいました。
他にも、本来は複数の意味内容が含まれているにもかかわらず、一つの意味内容に傾倒して使用している言語というのは在ると思いますので、それを探すことで、「偏った価値観」にも気づいていけたらいいなと思います。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、今回の投稿は以上です。
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