kenzee観光第三レジャービル

Kenzee a.k.a.中尾賢司。Kenzee観光第二レジャービル(bungeishi.cocolog-nifty.com)の中の人。著書に「「ネオ漂泊民」の戦後ーアイドル受容と日本人」(花伝社)がある。御用の方は kenzee74of@yahoo.co.jp まで。

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Kenzee a.k.a.中尾賢司。Kenzee観光第二レジャービル(bungeishi.cocolog-nifty.com)の中の人。著書に「「ネオ漂泊民」の戦後ーアイドル受容と日本人」(花伝社)がある。御用の方は kenzee74of@yahoo.co.jp まで。

    最近の記事

    今、音楽を聴くのが楽しくなる話を聞いた。「リズムから考えるJ-POP史」imdkm著(blueprint)刊行イベント~J-POPのリズムを分析する~(京都編)

    kenzee「昨日、(10月5日)こんなトークイベントを観に行ったのである」 「リズムから考えるJ-POP史」imdkm著(blueprint)刊行イベント~J-POPのリズムを分析する~ at出町座 ゲストimdkm、MC神野龍一(関西ソーカル主宰) https://demachiza.com/event/5022 ボクはこの本を早速、発売日に購入していたのでリアルタイムなイベントであった。木曜日に買って、土曜日のイベントだったので自分にとって重要、と思われる小室、中田

      • ジョニ黒が超高級酒だった時代のバーに行ってみたい。

         暑い。ムチャクチャ暑い。夏バテである。本来なら前回の続き、「ヒップホップ文化はナゼ、ロックのように日本の歌謡曲に根付くことができなかったのか?」というテーマの話をする予定であった。  矢沢「時間よとまれ」やダウンタウンブギウギバンド「港のヨーコヨコハマヨコスカ」のように歌謡曲との融合が図れなかったのか? Zeebraの「俺は東京生まれヒップホップ育ち 悪そうなヤツは大体友だち」以上のコピーをたたき出すことができなかったのか? 世間に浸透するものがでなかったのか? まさに8

        • 菅原洋一や水原弘が視野に入っていることの凄さ(ラブソングの危機を考える16)

           前回の続きで今回は1980年のアルバム、「RIDE ON TIME」からである。 ・山下達郎「RIDE ON TIME」(1980年) ヒット曲「RIDE ON TIME」を含む代表作。全9曲。吉田(美奈子)詞6曲、山下(達郎)詞3曲の構成。このアルバムでは「RAINY DAY」と「雲のゆくえに(CLOUDS)」に注目である。いずれも吉田詞であるが、女性の主人公が失った愛について思いを巡らすというもので、もともと吉田に書き下ろした曲を取り上げるという、(注1)前回で述べた

          • 「シティポップ」の中でもCGP派とノンCGP派がいる。売れるのはCGPのほう(ラブソングの危機を考える15)

             (↑「山下達郎 フリー素材」で検索したらこんなのがでてきた。どういう意味か?)  今回は山下達郎の歌唱がいつごろからクドくなっていったかについて考える。  そもそも山下達郎とは世間的には「都会的な音楽」と理解されている。つまりヤクザを演じたり、ドロドロの恋愛を女性の立場から描くような長渕剛などの音楽とは真逆の音楽と一般には捉えられている。  烏賀陽弘道「Jポップとはなにか」(岩波新書)は現在のJポップと呼ばれる日本語の流行歌の潮流を考えるうえで様々な示唆を与えてくれる好

            悪声化するCGP歌手、決して悪声化しないノンCGP歌手(ラブソング危機を考える14)

             この度の、西日本豪雨で被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。  幸い、私の生活圏である、奈良県北部~大阪市にかけては交通の乱れはあったものの大きな被害はなく、平常通りに暮らせておりますが、京都府北部、兵庫県、広島県、愛媛県、山口県、福岡など近隣の土地が甚大な被害にあわれたとの報道を見るにつけ、未だ理解が追いついておりません。その多くが仕事や旅行などで訪ねたことのある場所であることも理解の範疇を超えております。  どうか一日も早く、皆様の平常の暮らしが戻ります

            長渕レゲエ史、長渕ヒップホップの実験、長渕EDMの成功(ラブソングの危機を考える13)

             ラブソングの話はどこに行ったんだ、という感じだがもう少し長渕の話を続ける。  長渕は歌詞や発言は古風な儒教的、浪花節的なところがあるが、サウンドは常に実験を繰り返している。一般に長渕はフォーク歌手と未だに捉えられているフシがあるが、カントリー、ブルース、レゲエ、ヒップホップ、EDMまで雑食的に取り入れる、作曲家、編曲家としては柔軟なタイプだ。そこで長渕とレゲエの関係について考えてみたいのである。  長渕剛は意外とレゲエ調の楽曲の多いアーティストだ。キャリアの初期から「碑」

            アウトロー歌謡の総決算としての「とんぼ」そして消失(ラブソングの危機12)

             今回は「アウトロー歌謡」について考える。日本の歌謡曲の歴史にはヤクザや社会の裏側の人々について歌った歌が少なくない。その多くは今では公に放送するのが難しいものも多いわけだが、多くの大衆に支持されたわけで、考察するに値するはずである。  アウトロー歌謡もCGP同様、「作者不詳の唄」ブームの中から生まれたジャンルである。作者不詳の「お座敷小唄」がのちのCGPを生み出した、とすれば、同じ作者不詳の「北帰行」はのちの「東京流れ者」や「網走番外地」などの「故郷を離れ、見知らぬ町を北

            「お座敷小唄」が自然主義なら「女心の唄」は実存主義なのだ(ラブソングの危機を考える11)

             「お座敷小唄」はのちの戦後的CGP歌謡の礎となった。「お座敷~」が提示した要素として3つの重要ポイントがある。 ①作者不詳ソングであったこと(プロの作家の手によらなかった) ②ドドンパのような最新のビートを備えていたこと ③儒教由来の古いタイプの女がいること(つまり芸者の女が男性に媚びていること) ①に関して・・・これは現在のロック、ポップの受容においてもある感覚で、どうも日本の大衆歌謡の聞き手は「プロがマーケティングして企画された作品をありがたく受け取る」という消費行

            「芸者のような女」「最新のビート」「夜の世界のバッドテイスト」というCGPの方程式(ラブソングの危機を考える10)

             反・近代、反・洋楽運動として50年代から60年代初頭にかけて「夜の盛り場で歌われた作者不詳の歌」ブームが起こる。「北帰行」に象徴的だがこれらの歌は世をすねたような、捨て鉢な心情が描かれているのものが多い。「どうせオイラは」といった「自嘲」の心情である。これらレコード会社主導ではない、多分に反社会的な要素を含む歌のブームが50年代に起こった。この「自嘲」の感覚はのちのショーケンやダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童、そして長渕剛にまで受け継がれる「不良ソング」の論理の礎となる

            50年代、レコード史に記述されない歌謡ムーブメントがあった。ヒップホップみたい(ラブソングの危機を考える9)

             日本の歌謡曲の歴史においてCGPが爆発するのは1960年代になってからである。このようなパフォーマンスは日本の伝統文化のような気が筆者はなんとなくしていたが、実に戦後20年近くも経てからなのである。たぶん高度経済成長と関係があるような気がするが、まず60年代以前の状況から追いかけてみよう。  まず、50年代の歌謡シーンはどんな感じだったか。菊池清麿「日本流行歌変遷史」(論創社)によれば50年代歌謡曲は朝鮮戦争を背景にした戦争特需とともに発展していたとある。まず古賀メロディー

            「てよだわ」女子が堕落する(ラブソングの危機を考える8)

             女子学生コミュニティ内で発生した「てよだわ言葉」とは、明治5年の学制の施行(欧米風の男女同権の教育の輸入)→結果「女子が男のような風体で書生言葉や漢語など使用するなどケシカラン」という世間バッシングを経て、「男子と女子の教育はやっぱり区別しましょう」と明治12年に教学要旨が発布される。この数年間の「欧米風の民主、平等でいくのか」、「日本古来の儒教的封建的「女はバカであれ」でいくのか」のドタバタ劇を経て、日本特有の「女子教育」がスタートする。今も連綿とつづく女子校文化を準備し

            「てよだわ言葉の誕生」(ラブソングの危機を考える7)

             スポティファイでニューリリースモノをパラパラ聴いていたらShiggy Jr.の新譜「KICK UP!! E.P.」が良かった。私は「ポップス」という概念を「下品さと上品さがギリギリでバランスをとっている状態」のことだと思っているが、この新譜にはそのギリギリの緊張感がある。とても楽しんで聴いた。   ところでスポティファイに提案があるのだが、こういう「これは」という作品にであえた時に、たとえば100円でもアーティストにドネーション(寄付)できるような仕組みを作ることはできな

            シャ乱Qによる、「女々しい男」の発明(ラブソングの危機を考える6)

            CGP歌謡の主人公は女性である。そして、主に恋愛について歌う。そう、CGPの主人公がミスチルのような人生論や自己実現話をすることはまずない。100%、恋愛なのである。そしてその多くは失恋についての歌である。どのように失恋が描かれているか? CGPの代表曲からいくつかをピックアップし、検証してみよう。 ・「やっぱ好きやねん」('86)(やしきたかじん、作詞・鹿紋太郎)→かつて恋人であった男性から、一度別れを告げられている。しかし、その男、「平気な顔して」やり直そうと自分のもと

            ラブソングの危機を考える5

             引き続き、男性歌手が女心を歌う歌謡曲について考える。  思いつくままにこの「なりきり歌謡」の曲目を記してみよう。 やしきたかじん「やっぱ好きやねん」、ぴんからトリオ「女のみち」、殿様キングス「なみだの操」、小林旭「昔の名前ででています」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、中条きよし「うそ」、菅原洋一「今日でお別れ」、内山田洋とクールファイブ「そして神戸」、福山雅治「squall」、EXILE「Ti Amo」、徳永英明「レイニーブルー」、山下達郎「エンドレス・ゲーム」

            ラブソングの危機を考える4

             しかし、日本人ほどエロに強いこだわりをしめす民族もいないのではないか。日本にはどんな辺鄙な地方にも「セックスを主目的とした宿泊施設」ラブホテルが偏在しているし、アダルトビデオのジャンルもこれほど多岐にわたって存在するのは日本だけだろう。「女性が男性客に性的なサービスを供する」風俗も日本にはさまざまなジャンルが存在する。また、クラブ、ラウンジ、キャバクラといったような女性が男性客の隣に座り、酌をする文化、というのも欧米には存在しないのではないか? 日本のヤクザ映画には頻繁に登

            ラブソングの危機を考える3

             単に、「モガ」や、レビューの女性ダンサーの露出具合などを描写したに過ぎない「エロ歌謡」のブームを経て、1931年(昭和6年)に発表された淡谷のり子「あなたのものよ」は「女性が性欲について歌う」という点において画期的であった。前掲書「ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影」によれば同年、同様の女性が主体となって性欲を歌う歌が続出したという。青木晴子「ねえ興奮しちゃいやよ」、天野喜久代「イミ深節」、水野昌子「誓ってね」、淡谷のり子「ネエあなた」、川田定子「キッ