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悪声化するCGP歌手、決して悪声化しないノンCGP歌手(ラブソング危機を考える14)

 この度の、西日本豪雨で被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 幸い、私の生活圏である、奈良県北部~大阪市にかけては交通の乱れはあったものの大きな被害はなく、平常通りに暮らせておりますが、京都府北部、兵庫県、広島県、愛媛県、山口県、福岡など近隣の土地が甚大な被害にあわれたとの報道を見るにつけ、未だ理解が追いついておりません。その多くが仕事や旅行などで訪ねたことのある場所であることも理解の範疇を超えております。

 どうか一日も早く、皆様の平常の暮らしが戻りますよう願っております。


 「ラブソングの危機を考える」だが、このような時だからこそ、抽象的な思考を引き続き進めていきたい。前回は長渕剛のレゲエ史と話がラブソングから逸れたが、ラブに戻していく。
 CGPを歌う男性歌手にはいくつかの共通項がある。冒頭のほうでも挙げたことだが、暴力団風のイカツい風貌の者が多い。歌う内容は女性の報われない恋、というテーマが大多数なのだが、それをダミ声や崩したような歌い方で歌うケースが多い。デビュー当初は明瞭な発生であった者がCGPを推し進める中で悪声化するケースが観察されること。こういた共通点が長渕剛や松山千春、チャゲアスのアスカなどに見られる。
 また、逆のことも言えるのだ。CGPを歌わない歌手は上記のようなテイストを嫌う傾向がある。CGPを歌わないポップス男性歌手といえば小田和正、桜井和寿、槇原敬之、平井堅、小沢健二、ゆず、などが思い浮かぶ。彼らは水商売的、ヤクザ的なテイストを拒否する姿勢を崩さない。また、歌い方についても基本、デビュー時のままなのだ。無論、ライブを重ねていく中で歌唱力が増す、表現力が増す、ということはあっても歌い方に関しては数十年キャリアを重ねても変化がないのである。ここで長渕と矢沢の歌唱法を比較すると、このCGP問題はより明確化する。長渕は180度歌い方が変化したCGP歌手だが、ノンCGPの矢沢は「ヤザワ風」とか「巻き舌唱法」とか揶揄されることも多い歌い方だが、歌唱法そのものには変化がないのである。これほどにCGPとノンCGPのあいだには「歌い方」問題が屹立しているのである。なんとなくだがノンCGPほど近代への憧れの強い、進歩的な音楽、というイメージがある。この点(近代志向である)で小田和正や小沢健二と矢沢は同ジャンルと考えてもいいと思うのだ。翻って近代に反旗を翻す長渕やつんく♂などが奇矯な歌い方になるのは必然のような気がする。ここは具体例をあげて検証してみよう。

・3人の悪声歌手について考える。


 長渕剛、ASKA、山下達郎。
 三者とも日本を代表する男性ポップスシンガーである。と同時にキャリアのキャリアのスタートから数年後に悪声化を果たした歌手でもある。そして三者ともCGPを歌う歌手である。彼らのキャリアから現代の歌謡曲において「悪声化」とはどのような意味を持つのか検証していきたい。
 皆、日本を代表するシンガーだが、その出自も影響関係もそれぞれ違う。長渕は70年代終わり頃に「遅れてきたフォーク青年」として登場した。のちにブルース・スプリングスティーンのようなロックのサウンドに変化していく。ただし一貫して「都市」や「近代」や「最先端の流行」といった「意識高い文化人的なるもの」への憎悪を隠さない。


 ASKAも福岡出身でヤマハのポプコンから登場したという長渕とよく似た出自をもつ歌手だが(デビュー曲が「ひとり咲き」というCGP曲だったというのも長渕デビューと似ている)80年代なかばからDCブランドのようなスーツに身を包み、オシャレ化してゆく。やがて90年代に入るとトレンディドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌で大ヒットを飛ばし、国民的歌手となる。
 山下達郎は彼らとはまったく別の出自である。東京生まれ、東京育ち。中学時代にビーチボーイズ、ラスカルズ等の洋楽に目覚め、20歳で結成したバンド、シュガーベイブは当時としては珍しい、男女混成グループで、70年前後のアメリカ東海岸のバンドサウンドを意識した、都市志向の音楽だった。山下の場合、洋楽のサウンド、という部分が音楽の身上であり詞作に本格的に取り組むようになるのは意外と遅く、全曲自作詞で固めたアルバムは83年の「メロディーズ」と、デビューから随分時間が経ってからである。つまり「まず詞、言葉ありき」のフォーク出身者とは音楽の捉え方から違う。
つまりそれぞれまったく別のジャンルであり、ファン層もまったく違うのではないかと思われる。そんな彼らだが奇妙なことに悪声化の時期がほぼ同じなのである。まず長渕から見ていく。
 長渕の場合、デビュー時は澄んだハイトーンボイスで歌う、線の細いイメージの歌手だった。そして82年のアルバム「時代は僕らに雨を降らしてる」までは必ずアルバムに1曲か2曲、CGP曲を収録していた。すでに84年のアルバム「Hold Your Last Chance」で悪声の気配を見せているが明確に、意識的に悪声歌手となったのは翌年のアルバム「HUNGRY」からである。そしてこのあたりで長渕流CGPはいったん影をひそめることになる。


長渕CGP曲ソンググラフィー
・長渕剛(ごう)名義のデビューシングル「雨の嵐山」('77)・・・B面「わたし春を待ってます」
・1stアルバム「風は南から」('79)・・・「いつものより道もどり道」、「巡恋歌」
・2ndアルバム「逆流」('79)・・・「素顔」、「あんたとあたいは数え唄」
・5thシングル「順子・涙のセレナーデ」('80)・・・「涙のセレナーデ」
・3rdアルバム「乾杯」('80)・・・「ヒロイン」
・4thアルバム「Bye Bye」('81)・・・「さよなら列車」
・5thアルバム「時代は僕らに雨を降らしてる」('82)・・・「晴れのち曇り時々雨」
・6thアルバム「Heavy Gauge」('83)・・・ナシ
・7thアルバム「Hold Your Last Chance」('84)・・・ナシ
・8thアルバム「HUNGRY」('85)・・・ナシ
・9thアルバム「STAY DREAM」('86)・・・ナシ
・10thアルバム「LICENSE」('87) ・・・ナシ
・11thアルバム「昭和」('89)・・・「ほんまにうち寂しかったんよ」
(ライブ盤除く)
「ほんまにうち~」以降、長渕曲からCGPは見られなくなる。かわりに「巡恋歌'92」のような過去のCGP曲を悪声でセルフカヴァーする、という動きを見せるようになる。以上のように、長渕の代表的な悪声アルバム「昭和」まで7年もCGPを書かない期間がある。このように長渕のCGP美学とは「きれいなハイトーンボイスで女性の女々しさを歌う」ということで宮史朗、森進一、クールファイブなどの悪声CGPとは違う考えのようだ。


 ASKAを見ていこう。ASKAの場合、長渕のように「悪声」になったのではなく、グラデーション状に歌唱法が「クドく」なっていったわけで、明確に「何年のこの曲から」という区分けが難しいのだが、サウンドとともに変化していったとみて良いようだ。そういうわけでチャゲ&飛鳥のウィキペディアを参考にしながら古い順にASKAの歌唱を確認してみた。今は便利な時代でチャゲアスのすべての音源が配信サイトで試聴できるようになっている。古いシングルのB面まで抑えられていて、それらすべてが無料で45秒試聴可能なのである。そして歌詞はすべてが歌詞サイトでチェックできる。このような調査の場合、You Tubeはあてにならない。You Tube上の音源は古い曲であっても最近のライブパフォーマンスであったりするからだ。(注1)「オリジナル音源を順番に聴く」という行為はひと昔前なら大変な費用がかかるものだったはずだ。ネット時代に感謝しながら79年のデビュー曲「ひとり咲き」から順に試聴してみた。そして様々な感慨を抱いた。
 まず、このフォークデュオの異常なCGP濃度の高さに驚く。デビュー曲「ひとり咲き」は無論、典型的なCGP曲だがB面の「あとまわし」もCGPなのである。2曲とも飛鳥涼の手による曲。「デビューシングルのA面B面どっちもCGPってオイ!」と編成会議では誰もツッコまなかったのだろうか? 続けて翌年80年4月発表の1stアルバム「風舞(かぜまい)」を試聴してみる。驚くことに全12曲注、6曲がCGP曲である。(注2)
・「私の愛した人」(飛鳥曲)
・「ひとり咲き」(飛鳥曲)
・「風舞」(飛鳥曲)
・「終章(エピローグ)~追想の主題」(チャゲ曲)
・「あとまわし」(飛鳥曲)
・「冬に置き去り」(飛鳥曲)
半分がCGP。演歌歌手かと見紛うほどのCGP濃度である。後年、「クドい」悪声歌手に変化したのはASKAで、チャゲはデビューから後年のソロ作までほとんど歌唱に変化のない人なのだが、このアルバムでは積極的にCGP曲を寄せている。このあともチャゲ曲のCGP路線はつづく。「CGP歌手はみんな悪声化する」という私の安直な理論に真っ向から対立する存在と言える。チャゲとは。ところで歌唱に関してはこの頃のASKAはストレートな熱唱型である。81年発表の2ndアルバム「熱風」はどうか。
・「万里の河」(飛鳥曲)
・「嘘」(チャゲ曲)
CGPは2曲のみ。ただし、このアルバムはあまり制作方針がまとまっていないように思う。インスト曲を2曲含むうえにプロの作詞家に4曲も委ねている。おそらく制作に十分な時間をかけられなかったのではないかと思うが、ウィキペディアによれば制作期間にASKAの大学卒業試験が重なってしまい、東京と福岡を往復しつつの制作だったとの由。しかしひっそりとおさめられたチャゲのCGP曲「嘘」が出色の出来だ。前作における「終章」、今作の「嘘」でチャゲが有数のCGP作家であることがわかる。そういえばチャゲはもう、CGP曲を書かないのだろうか。3rdアルバム「黄昏の騎士」('82)ではチャゲCGPは影をひそめる。
・「男と女」(飛鳥曲)
・「夜のジプシー」(飛鳥曲)
・「琥珀色の情景」(飛鳥曲)
ところでこの時点でもまだ、ASKAの歌唱は熱唱型である。クドくなるのはもう少し先だ。83年発表の4thアルバム「CGAGE&ASUKA 21世紀」はどうか。
・「マリオネット」(飛鳥曲)
なんと、CGP曲は「マリオネット」1曲だけである。このアルバムからサウンドが明確に洋楽志向になっている。前作までは「フォーク出身のニューミュージック」といった佇まいだったのがシンセを多用したAORサウンドで、歌詞も思い私小説風は影をひそめ、軽いポストモダン風に変化している。洋楽成分が強くなるとCGPは減少する、とは中河伸俊も「転身歌唱の近代」の論考のなかで言っている。長渕もスプリングスティーン風のバンドサウンドに接近するにつれてCGP曲が減少した。この頃は長渕もCGP曲を作らなくなってきた頃だ。
 それでは84年発表の5thアルバム「INSIDE」を見てみよう。
・「MOONLIGHT BLUES」(飛鳥曲)
・「ゆら・ゆら」(チャゲ曲)
・「DARLIN'」(チャゲ曲)
・「華やかに傷ついて」(飛鳥曲)
ここだ! この「MOONLIGHT BLUES」で「クドさ」の萌芽が見られる。ASKAの悪声化は1984年と規定してよい。ところでこのアルバムでは久々にチャゲの活躍が目立つ。そして二人ともが貪欲に音楽的な実験に挑戦している。たとえばチャゲ曲の「ゆら・ゆら」はこれまでなかったレゲエ調であるし「DARLIN'」もヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのようなストレートなエイトビートのロックンロールである。そのまま当時のヒット、「フットルース」のサントラに入っていても遜色がなさそうである。そして肝心のASKA、「MOONLIGHT~」だが、話題になったASKAの長文ブログによれば、ASKAはこれまでギターで作曲していたそうなのだが、この曲から鍵盤で作曲をはじめたと語っている。(注3)ここからASKAの特徴的となる複雑なコード進行(「LOVE SONG」後半の転調にいたるブリッジの処理、「PRIDE」の後半の代理和音、など)や対位法を使ったコーラスワーク(「太陽と埃のなかで」エンディングなど)の歴史が始まることになる。「MOON~」は戦前のジャズソングを思わせる小粋なポップスだが「ム~ン、ラ~イ~」とメロディが半音で進行するあたり、服部良一作曲と言われても信じてしまいそうである。このアルバムからASKA曲は急速にモダン化してゆく。ということは鍵盤で曲をつくるようになり、楽曲がより洋楽に近づいたために歌唱が「クドく」なったのか? それだけの理由だろうか。私には別の背景があるような気がしてならない。なにしろ84年である。まったく別の道を歩んできたはずの長渕の「悪声化」の時期とASKAの「クドい」化の時期が同じなのである。85年発表の6thアルバム「Z=One」はどうか?
・「棘」(飛鳥曲)
・「オンリーロンリー」(飛鳥曲)
CGP曲は2曲。ASKAの「クド」化がいよいよ完成形に向かっている。また、サウンド面でも積極的にコンピューターを使用しており「メゾンノイローゼ」や「マドンナ」など当時のブリティッシュ・ニューウェイブのような世界にまで手を広げており、彼らの音楽的実験の頂点にある作品ではないだろうか。ここでの実験の成果が翌年のヒット、「モーニング・ムーン」に繋がったと考えられる。この段階になると「ひとり咲き」、「万里の河」のドメスティック臭は微塵もない。ちなみに「モーニング・ムーン」含む7thアルバム「TURNING POINT」のCGP曲は「Key Word」1曲だけである。
 それにしてもCGPは「悪声」で歌われてナンボ、というところがあるが長渕もASKAも歌唱法の変化に反比例するようにCGP曲は減っていく。いずれにせよ、長渕はロックサウンドの導入とともにチンピラ風しゃがれ声に変化したが、ASKAは鍵盤の導入による作曲法の変化、そしてコンピューターの導入、と二つの変化を経て「クド」化していったようだ。そしてその変化の年は1984年だったのだ。


 山下達郎も歌い方がクドイことで知られているが、山下の場合は一筋縄では行かなさそうである。次回は山下の「クド」化を検証してみる。つづく。


注1・・・本稿を書くにあたって多くの古い演歌や流行歌を参照することになったが、苦労したのは演歌系のオリジナル歌唱の音源の入手である。どういうことか? たとえば鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽のひとよ」の1967年のオリジナル音源を聴きたいと思う。しかし、現在流通しているCDの音源は後年、再レコーディングされたものばかりで、オリジナル音源を謳ったものは存在しない。演歌の世界は一事が万事この調子で五木ひろしや森進一クラスでも普通にCDショップに並んでいる「なになに全曲集」収録音源は、往年のヒットでも「なんとかバージョン」といったようなリレコであることがほとんどだ。結果、簡素なコンボ編成のバンド演奏であったはずの「よこはま・たそがれ」がニューミュージックのようなシンセ・サウンドに変わっていたりする。また、数多あるバージョンのどれが本当のオリジナルなのか判然としないケースもある。三波春夫の「俵星玄番」のオリジナルは64年発表だがどのCDのクレジットにも「これは何年版だ」といった記載がない。だが、私はこの現状に憤慨しているのではない。むしろ面白いと感じている。まず、どれがオリジナルなのか判然としないなど、ロックやジャズやポップスの世界では考えられないことだ。こういったジャンルにおいてはオリジナルこそが正統であり、歌いなおす、録音しなおす、という行為は積極的な理由がなければ(別のアレンジにする、など)あまり褒められた行為だとは考えられていない。演奏や歌唱の稚拙さまで含めてオリジナルの価値だ、と考えられている。CDのマスタリング技術やハイレゾ音源化の技術などはこの価値観のうえに成立していると言える。しかし、演歌の世界では若かりし日の稚拙な歌唱やデビュー時の低予算の演奏などは価値が低いと考えられているようなのだ。なので、リレコ版は大抵、大げさなシンセサウンドやオーケストレーションなどで着飾るようになる。そして歌唱も若い頃よりクドく、大げさになる。こういう変化を演歌シーンでは「深みが増した」と賞賛するのである。それにしても演歌のオリジナル音源は本当に誰かがちゃんと管理(演奏者、録音スタジオといったデータ含む)しているのだろうか? 「よこはま・たそがれ」を誰が演奏したか知りたいのは私だけなのだろうか?
注2・・・「風舞」オリジナルLPに収録された曲数は10曲である。11曲目の「あとまわし」(「ひとり咲き」B面)12曲目の「冬に置き去り」(「流恋情歌」B面)の2曲はCD化の際に、ボーナストラックとして収録された。
注3・・・ASKAの長文ブログ→ASKAは2014年5月17日と27日、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された。2016年11月28日、同容疑で再び逮捕された。2016年1月9日、ASKAは約12万字に及ぶ長文ブログをアップした。内容は自身の音楽人生や逮捕に至る経緯を赤裸々に描いたものであった。要所要所に現在制作中と思われる楽曲の歌詞の一部を掲載していた。ASKAらしい抽象的、かつ叙情的な表現の多いもので、これがネットのいたずらなどではなく、本人の手によるもの、というアイデンティファイを示していた。前半は音楽に関するもので「MOONLIGHT BLUES」の一件などかなり専門的な話も多い。しかし後半の薬物の話になると急に非現実的な、意味不明の言動となる。すでに現在は削除済である。

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