スコッチ1

ジョニ黒が超高級酒だった時代のバーに行ってみたい。

 暑い。ムチャクチャ暑い。夏バテである。本来なら前回の続き、「ヒップホップ文化はナゼ、ロックのように日本の歌謡曲に根付くことができなかったのか?」というテーマの話をする予定であった。


 矢沢「時間よとまれ」やダウンタウンブギウギバンド「港のヨーコヨコハマヨコスカ」のように歌謡曲との融合が図れなかったのか? Zeebraの「俺は東京生まれヒップホップ育ち 悪そうなヤツは大体友だち」以上のコピーをたたき出すことができなかったのか? 世間に浸透するものがでなかったのか? まさに8月22日に発表されるKREVAの新曲「存在感」の中のフレーズ「存在感はある でも決定打がでていないような気がした 存在感はある でも代表作がないような気がした」とラップしているように。もしや、ヒップホップ文化と日本の不良文化とは決定的に相容れない要素があるのではないか。日本語ラップを象徴する重要な要素に、韻を踏む、ライムということがある。いちいち説明はしない。私がいまさら疑問に思ったのは、(現在のコンテンポラリーな)日本語ラップが90年代半ばに勃興するまでナゼ、日本語のフォークやロックやポップスは韻を踏まなかったのか、という点である。というのも60年代終わりごろに左翼運動や70年安保闘争などを背景に盛り上がった日本のフォーク、ロックは主にボブディランやビートルズなどの英米の自作自演型のポピュラーに範をとっているからである。ディラン「サブタレニアン・ホームシックブルース」('65)やビートルズ「I am The Walrus」('69)の例を持ち出すまでもなく彼らが手本とした音楽はのちのラップ表現に負けぬほど韻フェチであるという事実。どういうわけか彼らはサウンドを真似ることはあっても、詞作に関してはライミングについては早々にあきらめ、友部正人や岡林信康に代表される「私小説リリック」に舵を切ったのだ。70年代の初頭に大瀧詠一作の「いらいら」「颱風」「びんぼう」のような「日本語のライミング」を意識したと思しき実験が散見されるが、日本語のポップスの主流となったのは松本隆、ユーミンたちの「私小説」の方法である。結果、「韻を踏まない日本特有のフォーク、ロック」が形成されたのである。どうしてサッサとライムを諦めることになったのか? そしてどうして90年代のラップはフォークがさっさと諦めたはずの日本語ライムにアイデンティティを求めていったのか? 


 ということを考える予定であった。


 しかしこういうややこしいことを考えるにはあまりにも暑すぎる。無論、今これを書いている仕事場は冷房が効いている。それでも39度の中を歩いてきたというだけで完全夏バテである。そんなわけで今回はヨモヤマコラムである。


 相変わらずネットフリックス中毒である。ネットフリックスのジャンル分けのなかに「懐かしの名作」というのがあって、てっきり「市民ケーン」とか「シェーン」とか「七人の侍」的なものが並んでいると思ったら「パルプ・フィクション」とか「フォレスト・ガンプ」とかでワシの20代がもう「懐かし」扱いかい、と泣きそうになったものだが久しぶりに観なおすのにちょうどいいタイトルが揃っている。「トラック野郎シリーズ」とか「寅さんシリーズ」などだが、なんといっても「仁義なき戦い」前後の東映実録路線が充実しているのが圧巻だ。90年代のある時期、つまり20代の頃にこの辺のヤクザ映画を集中的に観た時期がある。無論、未だDVDが普及する前夜ですべてVHSのビデオでレンタルしたのだ。どういうわけかヤクザ映画にやたら強いレンタルビデオ屋があったのだ。そこはヤクザ映画に限らず「ゆきゆきて、神軍」とか若松孝二の60年代の前衛ポルノとかATG映画とかクセの強そうなのばかり複数置きになっていたりしてありがたいビデオ屋であった。で、あらためて「仁義なき~」あたりから見直している。やはり面白い。すべて、見だしたら止まらないジェットコースターぶりである。そして前近代というかアナクロというか、たった数十年前の野蛮な日本人の社会観、人間観が描かれる。自分の組のためにカチコミをかけたのに、指を詰めさせられる不条理、ヤクザな恋人についていったばかりに風俗に売り飛ばされる女、または流れ弾に遭って殺される女。狂犬と恐れられた男がムショからでてきたら同性愛者になっていて元子分たち放心状態、とか。今なら確実に企画自体通らない話ばかり。そんな前時代的な野蛮なコンテンツがネトフリみたいな最新型のサービスで楽しめるパラドックス。自分はなにを観て楽しんでいるのか? それは自分が生まれた頃(1974年生まれ)の日本の風景である。特に盛り場や都市の場末の風景などだ。汚いスナック街や小料理屋の立ち並ぶ風景。木造アパートの共同便所。無論ボットン式である。(ボットン便所って正式名称はなんというのだろう。ボットンてすごいね)大阪の汚い川沿いのドヤ街。これらの風景がどういうわけか懐かしく感じるのだ。無論、自分は幼稚園以降、新興住宅地、ニュータウン育ちの人間である。ドヤ街で育ってはいない。ただし生まれたのは大阪の寝屋川という労働者の街で日本でもっともパチンコ店の数が多い市だそうである。生家は木造の家でボットンであった。道路は当時、未だ舗装されていない箇所も多かったように記憶している。どうも「実録的日本」の原風景を細胞レベルで憶えているようなのである。私は。


 この20年間の自分の変化といえばバーで酒を飲むようになったことだ。これらの作品にはバーのシーンが多い。ヤクザ同士の密談や撃ち合い、果ては放火(実録・私設銀座警察)のシーンなどで登場する。そうするとやはり酒に目がいくのだ。(昔はそんなことなかった)そこで、作品的にはどうでもいいようなことに気がつく。


・深作欣二作品は大体、みんなキリンラガービールを飲んでいる。

 無論、冒頭の闇市のシーンでは広能もカストリ焼酎を飲んでいるが、それ以外の話し合いや飲食店のシーンではほぼキリンラガーである。「代理戦争」では力道山がモデルと思われるプロレスラーが外人選手に負けて帰ってきて休んでいるところを広能がビール瓶で頭を叩き割る。「これで遺恨試合になるじゃろう」このようにキリンラガーは深作映画では武器として使用されることが多い。ただしこれは深作映画のみに見られる特徴で、佐藤純弥「私設銀座警察」ではビールのジョッキを叩き割る。そういえば「仁義第一部」の名シーン、「馬のションベン飲めんなら、ホンマのションベン飲ましちゃろうかあ」においてもビールが効果的に使われたのだ。深作映画はビールとともある。これが安藤昇主演作品でオナジミの佐藤純弥監督となると違ってくる。実録安藤組シリーズで頻繁に登場する酒はジョニーウォーカー、ブラックレーベル通称「ジョニ黒」である。「私設銀座~」のなかで安藤が立ち上げた事務所に梅宮辰夫が白のスーツで挨拶にくる場面の段ボールのハッキリと「JOHNNY WALKER」と「Black Label」の字が読める。佐藤作品において暴力団が飲食店で「ワシはスコッチや」という時、ほぼ「ジョニ黒」が登場する。オールドパーやサントリーオールドのような国産ウイスキーであることはまずない。しかし「実録安藤組・襲撃編」のラスト、葉山の別荘に潜伏(といってもノンキに子分と将棋打ってる)中のテーブルにはジョニ黒ではない丸い瓶とグラスが置いてある。ラベルが半分しか見えないのでアレだがホワイトホースのようだ。いずれにせよ安藤主演作では酒はウイスキー、それも舶来品が主となる。1ドル360円の時代の話である。
 菅原文太や松方弘樹はいつも苦虫を噛み潰したような顔をしてキリンラガーを飲んでいるイメージがある。翻って安藤昇はいつもひょうひょうと「なにか面白いシノギはないカナ~」みたいな顔をしながらジョニ黒をチビチビやっているイメージがある。キリンに広告効果はあったのだろうか。バー者の必読書「レモンハート」の2巻にジョニ黒が登場する。「昔はジョニ黒って超高級品だったみたいね」と評される。スコッチといえばジョニ黒という時代があったのであろう。「シングルモルトじゃなきゃヤダ」「アイラ島のモルトのスモーキーさがなきゃ」といったウンチクヘリクツが登場する以前の日本の洋酒。今はコンビニでも売っている。もしや自身がモデルの映画のこと。安藤さん自身がチョイスしたものなのか。「オレは戦後の混乱期からジョニ黒しか飲んでねえよ」と。

 それにしてもヤクザ映画で気になるのは盃のシーンだ。子分や兄弟分の盃を交わすときに飲む酒。無論、日本酒に決まっているが銘柄は決まっているのだろうか。そういう堅い席で大吟醸などもってのほか、という気がする。(いや、祝いの席なのでむしろそういうほうがいいのか)

 なんとなく勘なのだが、実際のそういう儀式で使われる酒は菊正宗か剣菱なのではないかと思うのだ。なんとなくだが。


 次回はちゃんと「なんでロック、フォークは韻踏まなかったか」を考えてみよう。続く。

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