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作者が本気で自分の小説を解説してみた2「ヤドカリ」

こちらは八幡謙介が2020年に発表した解説本です。


 本書は「ヤドカリ」の解説本となっています。本編は全て収録されていますが解説文に寸断されています。本編をストレスなくお読みいただきたい方は「ヤドカリ」を別途ご購入ください。

執筆の動機

「余命・原始人と火」を発表してわりと好評だったことに気を良くした僕は、さらに純文学濃度の高い小説を書こうと考えました。その作品には前回よりもさらに踏み込んだ主題とメタファーを挿入しようというのも、最初から考えていました。その主題とは〈日本人論〉です。
 僕は二十代前半を海外で過ごし、その後帰国してからも三十歳ぐらいまでは外国人との付き合いの方が多く、そのせいか普通の人よりも〝日本人〟であることを深く考えるようになりました。そうした経験から、『自分の日本人感を小説にしよう!』と、この小説の執筆にとりかかりました。

主題とメタファー

 海外に住み、様々な人種と交流してきた僕は、日本人が外国人に比べて強烈な安定志向を持っていることに気づきました。安定した生活、安定した収入、安定した社会……日本人はそれを獲得するためだったらどんな苦労も厭わないし、それらを手放すぐらいなら死んだ方がましだと本気で考え、実行に移します。
〈安定〉とは日本人の誰もが持つ宿痾だと言っていいでしょう。

――よし、この〈安定〉を主題に、日本人の本質をあぶり出す純文学作品を書こう!

そう決めた僕は、次にメタファー探しをはじめました。
 メタファーとは、ある概念を別のモノ、出来事、自然物などに置き換えることをいいます。例えば藤原道長の有名な歌にこうあります。

この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば

これは、自分が持つ絶対的な権力を満月に例えたあまりにも有名な歌です。つまり、月が権力のメタファーだということです。他にもカフカ「変身」の虫や、安部公房「砂の女」の砂、芥川龍之介「鼻」「芋粥」など、探せばいくらでもあります。
 さて、日本人の安定志向を最も象徴するようなメタファーとは……と考えていると、ある生き物にたどり着きました。そう、ヤドカリです。
 常にあくせく動き回って、より良い宿を常に探して廻る探すヤドカリを想像すると、今回僕が表現したい日本人にぴったりだと感じました。ちょっとコミカルだし、ヤドカリを主人公にした小説というのも読んだことがありません。強いて言えば井伏鱒二の「山椒魚」が似ていますが、個人的にこの作品はよく分からないから好きじゃなく、全然意識していません。

文体

 前回の「余命・原始人と火」はちょっと古い感じの、いかにも純文学っぽい文体で書こうとしていましたが、今回は肩の力を抜いてもうちょっと自分らしく書こうと意識しました。三島っぽい文章はもう出てきません。具体的にこういう文体で書こうと意識してはいなかったと思いますが、海が舞台なので、海の匂いがする爽やかな文体を目指したような気がします。ただ、再読してみるとあまりそれは表現できていない気がしますが……。

それでは本編を見ていきましょう。

プロローグ

 おおきな大陸の東に浮かぶ細長い島に、ヤドカリは棲んでいる。四方を海に囲まれたその島は、豊かな自然に恵まれ、四季のうつろいは、この島に棲むヤドカリの情操を育成した。一方で、島には災害も多かった。火山の噴火や地震、津波、台風……そうした災害もまた、この島のヤドカリ独特の習性を形づくるのに一役買ってきたと思われる。
 彼らは、幼年期を海の中で、仲間の庇護の元に過ごす。おおきくなってからは、陸での厳しい生活が待っている。彼らは陸で立派に生きていくための殻を、自分自身で探さなければならないのである。

昔話のはじまりはじまり的な感じを意識しました。あえて冒頭を【大きな】ではなくひらがなで【おおきな】としています。
 このプロローグは一言でいうと、「ここは日本だよ」と説明しているだけです。ここで言う【殻】が主題の〈安定〉と密接に関係してきます。

 アオは、名前の通り真っ青なからだをよじって、最近特に窮屈になってきた殻から脱すると、次の波が来ないうちに素早く新しい殻を掴み、念のため中身を調べてから一気に潜り込んだ。
 やった! 成功だ。
 新しい殻はそれはそれで不安もあるけど、それ以上に何か生まれ変わった気持ちがする。新しい殻を手に入れた自分には、これから輝かしい未来が待っているのではないか? 
 そこへ、狙っていたかのようにトゲが現れて、アオは一瞬不快になった。
「やあ、アオ、新しい殻かい」
 トゲトゲのいっぱいついた鋏をこすり合わせながら言う。いつものイヤミを捻っているんだろう。
「うん、トゲみたいに強そうなやつじゃないけど、これはこれで前のよりは〈安定〉していると思ってね」
 アオが言うと、トゲは海藻がひっかかった自慢の鋏(はさみ)を大きく広げて、
「〈安定〉ねえ……。どうしてこうも俺たちは幻想を見てしまうのかね。裸でうろちょろしていた頃や、初めて殻に入ったときには忌み嫌っていた価値観なのにな。海にいるうちは皆こぞってキラキラしたのや、先端の尖った殻を身につけたがる。けどそんなのは最初のうちだけ、陸での生活が目の前に迫ってきた途端〈安定〉さ。まあ、俺もなんだけどね」
 トゲはそう言って触覚をピクピクと奮わせた。
(じゃあ自慢げに分析するなよ!)
 アオはせっかくの新しい門出を台無しにされたようで不愉快極まりなかったが、平静を装って、
「トゲ君の言ってることは分かるよ。でも、陸はせちがらいからね、やっぱり自分の身をちゃんと守ることは大事だと思う。もう子供じゃないし、大人に守って貰うわけにもいかないからね。じゃあ僕はこの殻に慣れるまで散歩してくるよ。またね」
 アオはそう言って踵を返し、慣れない殻を背負っていつもの岩場に戻っていった。

本作の主人公はアオというヤドカリです。ヤドカリについて調べていると、体が真っ青な個体がいて、未熟という意味の「青い」ともかかっているので、これにしました。余談ですが、僕はヤドカリは気持ち悪いので嫌いです……。もちろん飼ってもいません。
 体をあえて【躰】としたのは、人間ではなくヤドカリなので、なんとなくそうしました。【安定】を〈 〉でくくったのは、これが主題だからです。ちょっとわざとらしかったかなと今では思います。。
 さて、主人公アオ君はいきなり殻を乗り換えるところから物語がスタートします。この〝殻〟というのは、人間でいうところの属性やステータス、個性といったもののメタファーです。後半は殻=職業という感じになっていきます。ちなみに僕の好きなアニメ「攻殻機動隊」でも、サイボーグ化された人体=殻という概念が登場します。その辺の影響も出ているのかもしれません。
 アオは殻を変えただけで【これから輝かしい未来が待っているのではないか?】と想像しますが、これは後に何度も何度も打ち破られます。我々は、進学や就職、転職、結婚など、〝殻〟を変えただけで人生がキラキラした素晴らしいものになるとつい妄想してしまいますが、本作はそんな妄想を徹底的に打ちのめす残酷な物語です。当初はそこまで残酷譚にするつもりはなかったのですが、今回読み返してみるとアオに対する仕打ちが結構酷いなと自分でも思いました。
 さて、ニヒリストのトゲがアオの晴れやかな気持ちをくさしにきます。トゲの台詞で本作の主題が〈安定志向〉であることを示唆しています。また、彼は〈安定〉が幻想であることを知っているようです。どこまでそれを熟知しているかは分かりませんが。人間で言うと、悟ったような口をきいてマウントを取ってくるくせに自分も実行できていない人です。
 そんなトゲにアオはムキになって反論します。ここで重要なのは、アオは〈安定〉を恥じているのではなく、むしろそれを肯定する方向に反論しているという点です。つまり、アオは既に〈安定志向〉にどっぷり浸かっているということです。
 文章の工夫について少しだけ書いておきましょう。
 本作は擬人化されたヤドカリが多数登場しますが、描写が少なく台詞ばかりになると、ついつい人間を想像してしまいます。そこで、台詞の前後に

【トゲトゲのいっぱいついた鋏をこすり合わせながら言う】
【トゲは海藻がひっかかった自慢の鋏を大きく広げて】
【トゲはそう言って触覚をピクピクと奮わせた】
【慣れない殻を背負っていつもの岩場に戻っていった】

と、ヤドカリらしい描写をしっかり挿入しました。こういった工夫の積み重ねで小説の世界観が構築されていきます。

(誰だって分かってるさ、そんなこと……)
 そう思いながら、アオは幼年期の頃を回想していた。
 ようやく鋏もしっかりしてきて、躰も半透明から徐々に青みが増して来た頃、周りの大人たちはアオもそろそろ殻に入る時期だとそやした。アオは純粋に嬉しかった。殻には憧れていたし、仲間や家族の庇護を離れた陸での生活を想像するとわくわくした。それに何より、ようやく自分が自分になれるという感覚があった。自分だけの殻。大人たちのあの、頑丈ではあるが地味でなんの取り柄もないようなのではなく、珍しい形や色の、世界に一つしかない殻! 自分には絶対にそれが見つけられると思っていた。いや、むしろ殻の方から自分を見つけてくれるはずだ!
 アオが初めて入った殻は、まだら模様に小さい突起が沢山ついたものだった。丈夫さや動きやすさよりも、見た目で決めた。アオはもしかしたらこれが唯一の殻なのではないかと夢想した。しかし、大人たちは口々に批判を浴びせた。そんな派手なものはすぐ外敵に見つかってしまう、突起は岩を引っ掻いたり、草が絡まるからよくない、今はまだ子供だから大人も目をかけてくれる、が、大人になれば誰も助けてはくれない、陸を甘く見るな! 気づいたときにはもう遅いんだ……。
 アオは反発し、頑として自分の殻を変えようとはしなかった。そして、同年代の仲間と集っては、鋏や触覚を振り回して大人の悪口を言った。あいつらは負け犬だ、俺たちはあんな風には絶対ならない、だからもっとキラキラして尖った殻を見つけて大人たちを見返してやるんだ! その中の誰一人として陸での生活を知らないことは明白だったが、それは仲間内では禁句だった。
 アオや仲間達は、大人たちから批判を受け、怪訝そうな目で見られるたび、今よりももっと派手な殻を探し、ちょっとぐらい合わなくても無理矢理躰をねじ込み、これみよがしに海を泳ぎまわった。自分たちに怖いものはない、陸でだってきっとやっていける。本気でそう思っていた。

ここでは、幼年期から思春期への変化を、ヤドカリと殻を使って表現しています。アオは自分もようやく殻に入る時期になり、【自分だけの殻】が見つかる、【世界にひとつだけの殻】がそちらから自分に寄ってくると妄想します。思春期の典型ですね。しかし、そんなアオの殻を大人たちは常識を盾に批判します、「そんなものは陸では通用しない」と。ここでいう〝陸〟とは、社会のことです。2020年現在なら、ユーチューバーになりたいという中学生とそれを否定する大人の会話といったところでしょう。
 アオはそんな大人たちに反発し、やさぐれます。人間なら煙草を吸ったり、髪を染めたり、バイクに乗ったりといったところでしょうか。彼らはそのまま〝陸〟(社会)でもやっていけると仲間うちで威勢を挙げています。半ば本気でそう思っていますが、でも内心はどこかで『このままじゃダメだ』とも感じているはずです。それを仲間や大人に悟られないよう、余計に突っ張っているのでしょう。

そんな中、ちょっとした事件が起きた。
いつものグループにいる、細長くて綺麗な鋏を持ったやつ――ハサミと呼ばれていた――の兄が、実はいつまでも裸のまま岩場に籠もって、もう何年も陸に出ていなかったらしい。アオは驚いた。ハサミの兄といえば、ここいらでも有名で、渦巻き状のお洒落な殻を背負って颯爽と獲物を捕獲したり、外敵から素早く身を隠す様が若いヤドカリの憧れの的だった。大人たちもさすがに彼を認めざるを得なかった。それどころか、何人かは、『君もあんなふうになりなさい』と諭したぐらいだ。そして、そんな兄はハサミの自慢だった。きっと、身近で接している分、誰よりも憧れ、目標にしているのだろう。それが仲間にもひしひしと伝わっていた。ちょっと見ない間に、そんな自慢の兄が落ちぶれていたなんて……。
 アオはいつもの安全な遊び場に向かうと、ハサミが一人で佇んでいるのを見つけ、思い切って訊ねてみた。

ハサミの兄=地元の憧れの先輩という感じです。お洒落で、強くて、ちょっと悪いけど面倒見がよく、大人からも一目置かれていて、後輩からも慕われている存在。そんな先輩が、どうやら引きこもりになってしまったようです。

「ねえ、その……君のお兄さんのことなんだけど……」
 ハサミはそれだけでもう訊きたいことを察したのか、ひとりでに語りだした。
「兄さんのことだろう? いいよ、もうみんな知ってるから。兄さんは……分からなくなったんだ」
 アオは頭を傾げた。
「分からなく……なった?」
 ハサミは続ける。
「うん――」とハサミは自慢の鋏をだらしなく垂らして、
「君も知っているとおり、兄さんはそれはそれは綺麗な殻に入っていただろう? 実際、あれのおかげで一目置かれていたし、女の子も沢山寄ってきた。その分陸の外敵にも狙われたけど、兄さんはそれさえも楽しんでいたよ……。でも、いつまでも同じ殻でやっていけるわけないだろう? もちろん、そういう場合もあるけど、やっぱり兄さんのでは無理だった。だけど、もう兄さんには他の殻なんて考えられないくらい、あの殻に取り込まれて、もはや殻と自分が一体化していたんだ。そうして、ぼろぼろになるまで同じ殻を背負い続けて、とうとう壊れてしまった。普通なら新しい殻を探せばいいだけの話なんだけど、兄さんには無理だった。兄さんにはあの殻が全てだったんだ……。そして、あの美しい殻がなくなった兄さんには、陸のヤドカリは誰も寄りつかなくなった」

お洒落で、強くて、ちょっと悪くて、誰もが一度は憧れるような殻をまとったハサミのお兄さん。彼はその殻があるから自分がチヤホヤされているということを熟知していました。同時に、その自慢の殻では世間や社会には通用しないということも理解していました。しかし、彼はとうとうその殻を捨てられず、ぼろぼろになるまで使いはたし、やがて殻は壊れてしまいました。
 こうした話は身の回りにいくらでも転がっていると思います。
 地元で有名なバンドマン、地元一の不良、地元の名士の子……。その肩書き(殻)故にいい思いをしてきたが、それだけでは世間には通用しないとあるときから理解しはじめたものの、もう手放すことができなくなり、結局その肩書きと共に堕ちていく……。そしてあるとき肩書き(殻)がなくなると、あんなにチヤホヤしてくれた人たちが嘘のように消えて、一人になってしまう……。そうして過去の思い出や栄光にすがって引きこもりになったという例は無数にあります。

(試し読み終了)

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