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今すぐ使える小説テクニック2

こちらは八幡謙介が年に発表した実用書のシリーズ第2巻です。


効果的な比喩の入れ方

比喩の効果

比喩は、ある感情や出来事を、より分かりやすく、より生々しく読者に提示する表現方法です。比喩が的確であればあるほど、読者は明確なイメージを持つことができ、その結果、小説世界に深くのめり込むことが可能となります。しかし、比喩がイマイチだったらどうでしょう? 文章の意味はわかるけど、何となくもやもやした気持ちを持ったまま読み進めていくことになります。そのイマイチな比喩がコツコツと頻出したらどうでしょうか? 仮にプロットがスピーディで、キャラクターが魅力的だったとしても、それらを描写していく文章の比喩がいちいちイマイチであれば、全体の質はがたりと落ちてしまいます。
 比喩は、読者をつなぎ止める、あるいは作品から引き離す諸刃の剣です。それだけに、使用する際は相当神経を使うべきでしょう。

比喩を使う意義

いったい何のために比喩を使うのか? それは、読者のイメージの手助けのためです。そう、読者ありきの比喩です。残念ながらここを勘違いしている作品がよく見られます。読者を無視し、自分がかっこいいと思う比喩、『上手いこと言ってるでしょ?』といったスノビズムが見え見えの比喩が出てくると、私はもうそこで読むのをやめます。ただ、こうした比喩を使ってしまう方たちは、恐らく比喩の意義を知らないだけなんだろうと思われます。読者のイメージを手助けするために比喩を使う、と知っていれば、自然と自己中心的な(自分だけがかっこいいと思う)比喩は出てこなくなるはずです。

読者のイメージってなに?

『読者のイメージ』といっても、百人いれば百通りのイメージがあるはずです。そう考えると途方に暮れてしまいます。しかし、あくまで主導権は作者である自分にあります。読者のイメージそのものに作者が合わせようとするのではなく、読者がイメージしやすいように作者が誘導する、と考えてみましょう。すると比喩は見えやすくなってきます。
 では、比喩によって読者に〝何を〟イメージさせるのか? 一番簡単で効果的なのは、作品の「季節」や「土地柄」です。例えば、真夏のシーンで女性の白い肌を描写するとします。そこで【雪のように白い肌】という比喩を使うと、一瞬季節感が乱れてしまいますよね。ですから、この場合は【白い肌】を夏の何かに喩えます。一番簡単なのは、アイスクリームでしょうか。そうすると、いちいち夏であることを描写しなくても、読者の脳裏に夏のイメージをキープできます。
 次に「土地柄」を使った比喩。これは拙著「セームセーム・バット・ディッファレン」で使った比喩を例に挙げたいと思います。本作は主人公のユウがカンボジアを一人旅するお話です。後半、ユウは現地で出会った日本人のコウスケさんの言葉を聞き、悩んでいたことから開放されます。そのシーンで、私は次のような比喩を使いました。

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【コウスケさんの愚痴は、乾いた大地に降る驟雨スコールのように、僕の心を急速に潤した。】

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カンボジアなどの東南アジア特有の現象を比喩に使うことで、「カンボジアで話している」という雰囲気が読者にしっかりと伝わるのではないかと思います。これを【五月雨のように】などとすると、間違いではないにしろ、なんとなく肩すかしを食らったような気がするはずです。
 このように舞台や季節などをよく吟味して比喩を作ると、作品世界はよりいっそう輝いてくるはずです。

視点を工夫して小説世界を立体化する方法

『この小説、面白いのにどこか物足りない……』
 そういった感想を抱くことは少なくありません。それには様々な要因がありますが、その一つとして、作品世界が平面的であることが考えられます。例えば次の文章を読んでみてください。

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「おーい、A子」
 急に呼ばれて、声がした方を向くと、二階の教室からB男が手を振っていた。
「な、何よ」
 A子は前から気になっていたB男に名前を呼ばれたことで、どぎまぎして顔を赤らめた。

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さらりと読み流してしまうとなんとも思わないかもしれませんが、きちんと場面を想像しながら読むと、全く立体感のない平面的なシーンだと感じます。まず、二人の人物の高低差が全く感じられない。それから、物理的な距離もいまいちよく分かりません。さらに、A子が顔を赤らめたという描写が出てき、突然カメラがアップになったような変な感じも受けます。作者が何も考えず、ただ状況だけをざっくりと描くとこうなるのでしょう。
 さて、ではこれを立体化していきましょう。

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「おーい、A子」
 急に呼ばれて、声がした方を見上げると、二階の教室からB男が手を振っていた。
「な、何よ」
 B男に聞こえるように少し声を張る。A子は前から気になっていたB男に名前を呼ばれたことで、どぎまぎして顔を赤らめたが、たぶん向こうからは分からないだろうと高をくくった。

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とりあえず、例文に軽く手を加えてみました。まず、二階から呼ばれているのに【声がした方を向く】と描写していることにかなりの違和感を感じたので、【見上げる】に変更しました。次にA子の台詞。【な、何よ】でも問題ないのですが、これだけだと距離感が全く出ず、近くで話しているようにも捉えられます。そこで【B男に聞こえるように少し声を張る】という描写を付け加えます。これで二人の物理的な距離が浮かび上がってきます。最後の一文ですが、仮にこの【(A子が)顔を赤らめた】という描写が重要なら、そこに改めてB男との距離を認識させるような描写を盛り込みます。
 これだけでもかなりましにはなったと思いますが、個人的にはまだまだ物足りません。さらに手を加えてみましょう。

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「おーい、A子」
 急に呼ばれて、不用意に顔を上げると、太陽を直視してしまい、驚いて少しよろけた。慌てて手でひさしを作りもう一度見上げると、二階の教室からB男が手を振っていた。
「な、何よ」
 B男に聞こえるように少し声を張る。しかし、B男は笑いながら耳に手を当てて「聞こえない」というジェスチャーをした。
「な・に・よ!」
 A子は再び怒ったように大声を出したが、内心は前から気になっていたB男に名前を呼ばれたことで赤らんだ顔がばれないかヒヤヒヤしていた。たぶん、この距離なら向こうからは分からないだろう。

***

新たに付け加えたのは二点。太陽と、距離感の強調です。外にいるA子が上を見上げると何が目に入るのかを考えます。太陽、空、雲、木など。どれでも構いませんが、今回は太陽に目が眩んだという描写にしました。呼びかけられた相手が気になる男の子なので、目が眩むという描写もA子の気持ちの暗喩となります。
 もう一つ、B男とのやりとりを増やすことで、再度距離感を提示しました。一度、少し張った声で答えているのに聞こえなかったことで、ある程度距離が離れているということがイメージできるはずです。それが最後の一文の【この距離なら】にも効いてきます。
 いかがでしょうか? 最初の文章と並べてみましょう。

改変前

「おーい、A子」
 急に呼ばれて、声がした方を向くと、二階の教室からB男が手を振っていた。
「な、何よ」
 A子は前から気になっていたB男に名前を呼ばれたことで、どぎまぎして顔を赤らめた。

改変後

「おーい、A子」
 急に呼ばれて、不用意に顔を上げると、太陽を直視してしまい、驚いて少しよろけた。慌てて手でひさしを作りもう一度見上げると、二階の教室からB男が手を振っていた。
「な、何よ」
 B男に聞こえるように少し声を張る。しかし、B男は笑いながら耳に手を当てて「聞こえない」というジェスチャーをした。
「な・に・よ!」
 A子は再び怒ったように大声を出したが、内心は前から気になっていたB男に名前を呼ばれたことで赤らんだ顔がばれないかヒヤヒヤしていた。たぶん、この距離なら向こうからは分からないだろう。

読み比べると立体感が全然違うと分かります。このように、人と人、人と物などの距離や高さをよくよくイメージし、そこから見えるものや物理的現象(声が届かない、など)を描写すると、シーンがより立体的になります。また、それに付随して人物の動きも自然と増えるので、躍動感も加わります。ただし書き込みすぎるとシーンがだらけてしまうので注意が必要ですが。
 以下、簡単に使える描写をご説明します。

背の高さや立ち位置に注意する

自分より背の高い人と話す場合、当然目線は上がりますよね? 逆に小さい子供と話す場合はぐっと下がります。これらを状況によって使い分けるだけで、シーンに立体感が生まれます。さらに、その目線でしか見られないものを描写すると臨場感が出てきます。例えば、女性から男性に話しかけるとき、「見る」という描写を「見上げる」にする。これだけで二人の背格好の違いが表現されます。さらに、その目線でしか見られないものを加えます。

A子はB男を見上げると、笑顔で「うん」と頷いた。顎の下に残った髭の剃り残しが気になったが、口には出さなかった。

こういった描写を加えておくと、読者もその人物の目線で見ているような気持ちになれます。後は書き手の工夫次第でしょう。

ガジェットに立体感を加える

今度はガジェットに立体感を加える方法を考察してみましょう。例えば、駐車場に置いてある車に乗るシーンがあるとします。

A子はピンクの軽に乗り込むと、急いでシートベルトを締め、発進した。

これだけだと何の効果も生まれません。かといって、なんでもないシーンなのに、いちいち車種や持ち主の愛着を述べるのも、いかにもとってつけたような感じになるし、シーンも停滞します。そこで、車の表面や中の温度をさらっと描写します。

ピンクの軽のドアを開けた瞬間、うんざりするような熱気に全身を包まれて、A子は一瞬尻込みした。しかし、時間がない。急いでシートベルトを締めると、クーラーを最強にし、熱くなったハンドルを怖々握って発進した。

ただ車を出すだけではなく、そこに「熱」という情報を加えるだけで、ガジェットの存在感が増し、シーンが立体的になってきます。さらに、車に熱が籠もっているということは、暑い時期に長時間外に放置していたというイメージも付加されます。このように、ただの小道具にもちゃんと気を配っておくと、小説世界が立体化され、その分人物の動きも増えるので、各シーンが生き生きとしてくるずです。かなりめんどくさい作業ですが、こういった細部にもぜひ気を配って執筆したいものです。

長編小説で「この人誰だっけ?」を回避する方法

 小説を読んでいて、一番ストレスに感じることは、登場人物が誰だか分からなくなることです。そのまま読み進んでもやっぱり誰だったか思い出せないことが多く、かといって、せっかく読み進めてきたのにまたページを戻るのもめんどくさい。そうして結局断念してしまった小説のひとつやふたつ、誰にでもあるはずです(私の場合、ドストエフスキーの「悪霊」)。
 しかし、どれだけ長く、登場人物が多くても、「この人誰だっけ?」にはならない小説は数多く存在します。また、そんなに長くないのに、すぐに誰が誰だか分からなくなる小説もあります。どうやら「この人誰だっけ?」は、私の読書力や記憶力の問題ではなく、作品の構造上の問題であるようです。
 私はこの点に着目し、実際に読んで「この人誰だっけ?」にならなかった長編小説を研究してみました。すると、いずれも人物の初出に工夫があることを発見しました。
 そこで今回は、私が選んだ作品から、「この人誰だっけ?」を回避するための人物の登場のさせ方を学んでいきたいと思います。いい例・悪い例とあるのですが、悪い例を挙げるのはさしさわりがあるので、今回はいい例のみにします。


「この人誰だっけ?」になる原因
 NG1 主要人物を一度に登場させる

主要人物を一度に出してしまうと、どうしたって一人一人の描写が薄くなってしまいます。当然、読者の頭に残るそれぞれの人物のイメージは、かなりぼんやりとしてしまいます。そのまま物語が進んでいくと、高確率で「この人誰だっけ?」となるでしょう。といっても、主要人物を一度に登場させることは、禁則事項ではありません。難しいから上達するまではやらない方がいい、というだけです。後でみる三島由紀夫の「鏡子の家」なんかは、主要人物5~6人を冒頭からいきなり出しています。それでもちゃんと書き分けられているのはさすがです。
 昭和の文豪はさておき、まだ小説を書き始めて間もないような方は、これをやらないほうがベターでしょう。

NG2 初出のシーンが平凡

これも禁則ではないのですが、人物の初出シーンが平凡だと、印象はどうしても薄くなってしまいます。漫画なら、キャラの可愛さ、格好良さで惹きつけることができますが、小説ではちょと厳しいでしょう。それに、平凡なシーンでは、人物の動きも必然的に地味になります。リビングでテレビを観ながらくつろぐ、コンビニで買い物をする、そうした日常の動きの中で、読者に人物を印象付けるには、相当な修練が必要でしょう。

NG3 名前だけで動かす

主要人物の登場シーンを派手にしたはいいものの、人物そのものを一切描写せず、名前だけでどんどん動かしていくと、シーンの派手さばかりが記憶に残り、肝心の人物は読者の記憶に残りません。その結果は……もうお分かりでしょう。初出は、ただ単にドタバタするだけではなく、派手さの中にきっちりとした人物描写が成されているべきです。
(試し読み終了)

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