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日本にまたがるウチとソトが気になった

日本が優勝を収めたWBCが終了して、プロ野球が開幕しました。

WBCの期間中は旅行に行っていたこともあり、残念ながら一試合も見ることができませんでした。ただハイライトは全て見たし、日本の優勝を知った時とても嬉しい気持ちになりました。

そもそも大谷翔平選手は、僕と同じ1994年生まれの28歳で、同じ歳のヒーローとして僕はたびたび勇気づけられました。

特にアメリカに渡って以降、異国の中で頑張るひとりの日本人という姿が、僕自身を奮い立たせる機会にもなりました。

そして、今回日本代表に初めて日系人として参加したラーズ・ヌートバー選手が、他の日本人に混じってプレーしており、また違った楽しみ方ができました。

アメリカで生まれ育ったものの、日本人の母を持ち、日本にアイデンティティを持つヌートバーは、言葉の壁があっても持ち前の明るいキャラクターやガッツあふれるプレーでチームに溶け込み、そして活躍しました。

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このような記事を読みました。

日本社会特有の感覚である「ウチ」と「ソト」と、ヌートバーがいかにして日本人から受け入れられたか、を考察しています。

確かに日本には、この「ウチ」と「ソト」を明確に分ける文化があります。

たとえば「外国人」という言葉がそもそもそうです。

「外国人」に対応する英単語は「foreigner」でしょう。僕は1年間海外で生活していましたが、この単語を聞く機会はほとんどありませんでした。

日本人の感覚では、Japaneseとforeignerは表と裏のように対応する言葉ですが、実際世界では自国民と集合体としての他国民を明確に区別している人というのは少数だと思っています。

国ごと、さらにはAsianといったざっくりした地域で人を区別することはあるにせよ、自国民・外国人という区別の仕方はあまりないものでしょう。

鎖国の歴史を持つ島国日本では「ウチ」と「ソト」を明確に分けることを当たり前のこととしています。

かく言う僕も、街で外国人とすれ違うとついつい見てしまいます。そのため、これはまだまだ日本人に根深くある文化だと思っています。

記事ではヌートバーは、そういった文化をうまくすり抜けたとしています。

確かに、「日本人の中でひとり頑張ってる」という空気は伝わってくるし、大谷やダルビッシュら周りの選手たちがヌートバーとの壁をなくすように自ら絡みに行っているようにも見えました。

そういった空気感から、日本人が持つ「ウチ」や「ソト」とは別のところで人々は親近感を感じるようになりました。

実際、僕も今大会で初めてヌートバーのことを知りましたが、今では大好きな選手になりました。

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3年前、フィリピンに短期留学に行った際、留学に来ている他の日本人とだけでつるんでしまったということがあります。

現地のフィリピン人や他の国留学生と仲良くなれば、もっと英語の勉強になるのに。

単に日本語だから話しやすい、という気持ちがあるけれど、なんとなく「ウチ」を感じて心理的な安全性をとってしまったから、という気持ちもあります。

日本人にとって「ソト」は仲間ではないし、敵にもなりうる存在です。

そんな気持ちからどこか内向的になってしまい、友達を増やせなかったというジレンマがあります。

僕は元々人見知りでしたが、それでは生きていくのが大変だと気づき、むりやり直して今に至ります。

日本人に対してはだいぶ自分から声をかけに行けるようになったけれど、今でも外国人に対しては受け身になってしまう自分がいます。これは語学力とは別次元の話でしょう。

そんなとき、まだまだ僕が日本人的な「ウチ」や「ソト」の感覚を抱えてしまっていると感じます。

これもまた、直していきたいと思っています。

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この記事のまとめにもあるように、「ウチとソトの区別なんか格好悪い」という風潮が徐々に出始めています。

ヌートバーが日本人に受け入れられたのは、必然よりも偶然の要素が大きく、僕もそうであるようにまだまだ日本にはこの感覚を持った人は多くいます。

コロナ禍が明け、日本に多くの外国人観光客が入ってきたし、これから観光だけでなくビジネスも含めてどんどん外国人が日本を訪れるでしょう。

そんなとき、いちいち「ウチ」や「ソト」を区別していられません。

また、僕自身再度海外で働きたい気持ちが強くあるため、この感覚を改善できるようにもっと自らはたらきかけていきたいと思っています。

これが人々に浸透した時こそが、日本がグローバル国になったと言えると思うし、少しでも楽しい世界が実現するのでしょう。




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それでは、また明日お会いしましょ

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