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コソボで感じるサプライズの数々

ジョージアから始まったひとり旅は、トルコ、ブルガリア、ギリシャ、北マケドニアと陸路でいろんな国に向かうことができました。

そして、次なる国はコソボです。

昨日、北マケドニアの首都スコピエから、バスに乗ってコソボの首都プリシュティナ(Pristina)にやって来ました。

初めての訪問となるコソボは、驚きの連続でした。

***

スコピエからプリシュティナに向かうバスのチケットは、ネットでは購入できなかったため、事前にスコピエのバスターミナルで購入しました。

【旅程】
2月27日(月) 10:10 スコピエ Skopje Bus Station 発
2月27日(月) ??:?? プリシュティナ

【費用】
DEN 550.00(1265円)

【バス会社】
Rule Turs

チケットは読めないけどなんとなく理解できる

先々のスケジュールを考えるにあたり、ネットでチケットを購入できないことに一抹の不安はあります。

しかし、冬場の閑散期という事もあり、この辺りの地域では当日その場でもチケットを購入できるそうです。

ちなみにチケットの値段は、なんと550ディナール(約1270円)。国境をまたぐバスとしては異例の安さです。

バスターミナルではクレジットカードも使用できるため、マケドニア・ディナールを現金で持っていなくても全く問題ありません。

10:10、時間通りに出発した大型のバスは、スコピエを出発して北へと向かいます。

大型バスで向かいます

北マケドニアの広大な大地を眺めつつ、ガタガタと安定しない道路に揺られながら、のんびりと時間を過ごします。

中はこんな感じ

事前に聞いていた情報は、2時間でプリシュティナに到着するとのこと。ウトウトしていた僕が、コソボとの国境に着いたのは11:30。

1時間半経って、まだ国境にいる。

地図を見てみるとわかりますが、国境はかなりスコピエに近い位置にあります。2時間で到着することは不可能だと察するも、これも海外あるあるだと受け入れている自分がいました。

北マケドニアの出国検査はスムーズに完了。この国は入国も出国もスタンプは押されませんでした。

再びバスに乗り込み国境を越え、バスを降りてコソボの入国検査の列に並びます。

この時、同じバスに乗っていたエクアドル人の女性と話しました。ブダペストで働いており、弾丸旅行に来たそうです。エクアドル人と話すのは初めてだったものの、流暢に英語で話している姿にはカッコ良さを感じました。

事前に調べていたネットの情報では、コソボは政治的要衝であることから検査が厳しいということが書かれていました。

しかし、僕のターンは、軽くチェックして、スタンプを押されてすぐ終了。

あれ、呆気ない。

スタンプは文字が全然読めない

コソボは親米国です。僕はロシアや中国の入国歴があることから、少し身構えていたものの、全くの杞憂でした。偶然かもしれませんが。

コソボに入国

バスはそのまま北に向かいます。

コソボは北マケドニアとは大きく異なり、道路が綺麗でした。先程のガタガタを感じることなく、新しくできただろう綺麗な道を、バスは大地を突き抜けるように走っていきます。

こんな立派な橋もある

12:50にプリシュティナのバスターミナルに到着しました。プリシュティナは国境からそこそこ離れているものの、1時間もかからなかったことに驚きました。

無事にプリシュティナに到着したので、宿に寄ってから街を散策してみます。


***

コソボは、旧ユーゴスラビア構成国で、現在もセルビアとの内紛が現在進行形で行われている国です。

日本を含め多くの国がコソボを独立国と認めているものの、今もセルビアはコソボを自国の領土だと言い張り、親ロシア諸国も同様にコソボの独立を認めていません。

そもそもはアルバニア人が住み着いている土地であるため、言語はアルバニア語が使われていますが、公用語にはセルビア語も指定されています。

左がアルバニア語、右がセルビア語。消されてる…

旧ユーゴスラビアのアルバニア人国家として、アメリカvsソ連の戦いの舞台でもあったため、今でもアルバニアやアメリカがコソボの人達のアイデンティティとなったいます。

独立に際して、NATOの恩恵に与る形で独立を果たした経緯があるため、特にアメリカに対する礼賛の傾向が強く見られます。

プリシュティナの街を歩くと、独立を最初に認めたアメリカの当時の大統領ビル・クリントンの銅像があったり、至る所にアメリカの国旗が掲げられたりしています。

プリシュティナの中心にあるクリントン像

コソボに来たのに、僕は星条旗ばかりを見ていました。なんとも不思議な光景です。

また、ウクライナ支援のアピールも多く見られました。加入を目指すEUも含め、アメリカやアルバニア、ウクライナなど、プリシュティナにはあらゆる国旗が掲げられています。(EUは未加入ながら、通貨はユーロを採用)

大きく掲げられたウクライナ支援のビルボード

そんなプリシュティナは僕が想像していた何倍も都会でした。

現在も建設ラッシュとなる高層マンションが林立し、街中は綺麗に整備され、落ちているゴミは少なく、アジアの発展途上国(の経済特区)をも彷彿とさせる景色にとても驚きました。

続々できる高層ビル

学生を始め若い人も多く、街に活気がありました。

市街地自体は小さいものの、ヨーロッパにあるような歩行者道路が広く整備されていて、雰囲気はとても良いものでした。

紛争のイメージや北マケドニアで感じた薄暗さとは大きく異なる街の様子に、コソボという国に対する印象がいかに違っていたかを悟りました。

中国系の人たちも少ないため、アジア人はとても貴重です。

道を歩くといろんな人から振り向かれました。
一瞬モテた気分になったものの、それが単なるマレなアジア人に対する好奇な目だという思い違いに気づきました。

それだけコソボは驚きの連続でした。

それまであった「NEWBORN」の文字看板は最近「NONEWBR」に変更された

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バルカン半島にはいろんな国があるものの、アテネやドブロブニクと言った有名な観光地を除けば、日本人にとって馴染みは薄く、イメージが付きづらいものです。

今回、実際に訪れることで知る事実が多くあることに改めて気付かされました。

北マケドニアとコソボという隣合った2つの国を比較するだけでも大きく様子は異なるし、ユーゴスラビア、もっと言えばオスマン帝国という歴史が現代に繋がっている部分も多くあることを知りました。

コソボという国は驚きの連続であり、好奇心がどんどん湧く国でした。

今日は休養を返上して、地方都市を見に行きまふ。更にコソボを掘り下げていきたいと思いました。

まだまだ旅は続きます。




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それでは、また明日お会いしましょう!

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