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旅の記憶 〜鹿児島編〜

行き先はどこでも良かった。
理由を聞かれたらきっと答えに窮するだろう。ただ誰も知らない遠くの街に行ってみたかった。

人生初めてのアルバイト、毎朝4時起きで新聞配達をして手に入れた給料数万円を財布に入れてほかに何も持たず駅に向かった。
高校をサボって電車に乗り込んだあの日、僕は少し自由になれた気がした。

今でも治らない厨二病にバリバリ罹っていた高校時代、お金を貯めてはそんな当てのない旅をする時間が好きだった。

***

どうせなら一番端。沖縄に行ってみよう。
そんな思いつきで目的地を決めた。
お金をかけたくないから新幹線は使わない。駅の券売機の上にあるマップを見て、とりあえず下の方に載ってる駅へ普通電車に乗って日本最南端を目指して向かった。

景色を見ながらワクワクしていた。
沖縄に着いてもこれといってやりたいことなんて思いついていなかったし、水着も持っていかなければ観光名所も知らなかった。
ただ疲弊して心が折れそうな人間関係の軋轢や日常の義務から逃げるために、自分のことを誰も知らない場所に行きたかった。あの頃はなんだか日常が煮詰まって、息が苦しい日々だった。
高校も辞めたい。なにをしたいかもわからない。ただ、今ある全てを捨てて逃げ出したかった。

***

電車の窓から見える景色に段々と緑が増えてくる。少しずつ都会から田舎へと移っていくのを目で感じた。
空いた車内の四人席の座席を一人で陣取り、目の前を通り過ぎる景色を無心で眺めていた。

一時間、二時間、三時間。
山から海。また山。緑。
僕はすっかり景色にも飽きて、売店で買った漫画を読んでいた。
たしか、『ピューと吹くジャガー』の5巻。
しゃぶしゃぶの回が好きだった。勝手のわからない高級しゃぶしゃぶ店で見栄を張り、変わった形状の鍋のお湯で3人で手を洗うシーン(笑)

単行本を読み終えて陽が落ち黄昏時が近づいてきても、普通電車は本州を抜けることはなかった。
1日目の終わりが近づいてきていた。

景色も駅もド田舎になってきて無人駅が増えてきた。
乗り換えの駅に着くと、改札では「○○駅から」と駅員に話して支払いをする人がいた。
(無人駅から来た人は駅員にそう告げて改札を出るんだな)
そう思うと同時に悪魔が僕に囁いた。
(出発駅で買った切符で通ったらかなり高いし、俺もそう言って出ちゃおうか……)

……悪魔を止める天使はどうやら留守中だったみたいだ。

一日目は滋賀まで来た。
終電の最終駅で滋賀の田舎駅に降りると、駅員に「○○から」と俯きながら告げた。
背中に冷や汗が流れる。
駅員はおそらく何の疑問も持たずに○○駅からの運賃を言い、僕は言われた値段を支払った。

改札を通り外に出ると思わず安堵した。
(や、やったぜ……)

※10年以上前のことなのでお許しください。

***

時刻は日付を跨いだ頃だったと思う。もうすっかり辺り全体が寝静まっていた田舎街を散策した。
たまに鳴く犬の声や虫の音が聞こえるくらいで、街灯も疎らな街全体が闇と静寂に包まれていた。
誰もいない神社の境内を彷徨い歩いてみたりしては、制約のない自由な場所と時間に浸って気分が高揚してきた。

歩けど歩けど泊まる場所はおろかコンビニ一つ見当たらなかった。
一、ニ時間は散策したがなにも収穫を得ず、途方に暮れて駅に戻ってきた。
(始発までどうしよう)

駅員もとっくに帰り、無人となった駅の吹き抜けのフロアにある椅子にとりあえず腰をかけては自分のことを見つめ直してみた。

(俺はこの先、何がしたいんだろう)

脳内に纏わりつく靄を振り払うように不意に立ち上がってシャドーボクシングをした。
ジャブ、ジャブ、ワンツー。フック。
指導者も練習仲間もいない場所で目的もなく不意な欲求に駆られてやり始める自由なシャドーボクシングというのは、不思議といつだってキレている。

(俺、やっぱボクシングが好きだな)

自分の未来が見えなかった。
毎日制服を着て学校に通う生活にうんざりしていた。理不尽に感じる校則の厳しい男子校、誰も話し相手がいない一人きりの教室、本を読んでいるか机に突っ伏して眠るだけの授業中、何も楽しみのない日常に嫌気が差していた。
でもボクシングだけは、ボクシングをやってる時だけは楽しかったんだと気づかされた。

就職なんて考えられない、進学もしたくない、ただ心が燃え上がることがしてみたかった。
先行きの見えない将来はただ、漠然と凄いことをする凄い奴になりたいとだけ思っていた。
本当にやりたかったのは、ボクシングだけだった。

(眠い。それに寒い)

一通り自分自身を見つめ終えたら眠くなってきた。
始発の電車がやって来るまで数時間ある。どこか室内に入らなくては凍えてしまう。
駅の隣に交番があった。外から様子を伺うと、電気はついているが誰もいない。
ガラス窓の引き戸のドアを開けて中に入った。

暖房がついてあった。

(あったけえ……)

「すみませーん」

返事はない。誰もいないみたいだ。
誰かいたところで用はないのだが、人がいるかどうかを確認したかった。

(誰もいないならここで寝れる)

寒さと睡魔で参っていたこともあり、ここで椅子に座って仮眠を取ることを思いついた。

朝になって警察がきたらどうしよう。
そうだ、沖縄にはどうやって行けばいいですか、とでも聞こう。
それを聞きたかったけど誰もいないので待っていました、とでもいう風に。
言い訳を思いついたら途端に安心して、不意に睡魔に襲われてコトンと眠りに落ちた。

***

目が覚めると、ガラス窓から背中越しに陽が差している。

(ん、朝だ……)

結局朝になっても交番には誰も来なかった。田舎の交番は出勤もゆっくりなのだろうか。
交番を出て駅から早速電車に乗り込んだ。

2日目は朝から移動することもあって今日中に沖縄まで着くような気がした。
途中で2両編成の短い鈍行電車に乗ったりしながら南へ南へと向かった。昼になると、駅に着くたびに車内の窓から改札を覗き無人かどうかを確認した。
無人駅を見つけて降りては、切符を入れる箱に朝買った一番安い切符を一応入れて外に出た。

(ここで昼飯を食うか)

何県かもわからず降りた無人駅で、田舎にしかないような見たことのないコンビニで弁当を買って外で食べた。
たまに車が通るたびに吹く風が気持ちいい。
揺れる草木が、鳥の鳴き声が、名も知らない小さな花が、邪魔が少なく広がる景色が僕の心を癒してくれた。
なんでもないようなことが幸せだったと思う、と思わず口ずさんでいたかもしれない。
※サビだけ知っていたし、今もサビしか知らない。

昼食を終えて再び駅に戻り、最南端を目指して電車に乗った。
途中で駅員が切符を拝見するタイミングもあり、その時は渋々持っている切符を見せて正規料金を払った。
※当然の義務ですね。反省してます。

時刻は午後3時過ぎ頃だっただろうか。ようやく本州を抜け九州地方に入った。
今までのペースから計算すると、このままだと今日中に沖縄まで辿り着くのは不可能だった。
新幹線使うか、そう決めて福岡から鹿児島に向かう新幹線に乗った。

やはり新幹線は圧倒的に速い。
車内に流れるアナウンスで、どんどん南に向かっているのがわかる。安心して眠りにつき、目覚めて少し経つと新幹線は鹿児島中央駅に着いた。
外に出ると辺りはもう夜だった。駅周辺は思いの外栄えていて夜景が綺麗だった。

(ここから沖縄行くにはどうすればいいんだ?)

船? 飛行機? どこから出てるんだろう。
周辺を歩いて探すと飛行機のチケットを取る店があった。どうやらここから飛行場までバスが出てるらしい。
(これに乗るか)
そう思い店員に話をすると、今日はもうチケットは取れないと言われた。

「明日はどうですか?」
「明日は夜ならあります」
「朝一はないですか?」
「すみません、朝はないですねぇ」
「……そうですか。ありがとうございます」

困った。
夜まで何をしよう。夜から沖縄行って泊まって、家に帰るのはいつになるんだ?

***

(明後日は練習試合だ……)

明後日はボクシング部で他校へ行ってスパーリングをすると言っていた。
やりたい、わけではないがやった方が強くなると思った。少なくとも旅と称してブラブラしているよりも強くなる。

「俺からボクシング取ったら何も残らねえから」
恩師である顧問の先生がそう言っていた。そうハッキリと言い切れる何かがあるって、カッコいいなと感じた。

(俺も、ボクシングしかないじゃん……)

帰ろう。

しょっちゅうあるわけではない対外練習、サボるのはダメだ。
沖縄は諦めよう。そう思い直して近くの安ホテルを探して見つけてその日は泊まった。
たしか一泊3000円くらい。ギシギシと音を立てるベッドに小さなシャワールーム、部屋の広さは三畳くらいのビジネスホテルだった。

(明日、朝一で新幹線に乗って帰ろう)

***

翌朝、あまりぐっすり眠れずに早起きして駅に向かい新幹線に乗り込んだ。
デラホーヤ、メイウェザー、パッキャオ。
あんな風になりてえ。やっぱりボクシングが一番好きだ。

特になんのイベントもなかった初めての一人旅。だけど自分を見つめ直す時間を作るには十分だった。
次の日のスパーリングではいつもよりも頑張ってみた。
帰り道のバスの中で、高校で唯一の仲間達である部活のみんなと、体の疲れも気にせずに僕はいつまでも喋り続けていた。

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