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日本辺境論、を読んだ。

人様にご紹介いただいた本は、できるだけ読むようにしている。毎回購入はできないので、まずは図書館の蔵書を確認。お借りしてグッとくれば改めて購入し再読を繰り返す...。そんな読書ライフを満喫。

とはいえ、今回ご紹介する内田樹先生のような「超名著・超量産機」みたいな人は、内容がどれほど素晴らしくても経済的に破綻するリスクがあるので慎重になる。私が高野秀行さんの作品を所有しないのはこの理由から。

さて本著。毎度ネタバレになるような核心には迫らずにおきたいが、勘所は人それぞれなので、気になる人はここでページをそっと閉じていただければと。

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前半は自分が不得意とするな歴史や古典文学の話題が多く、うーむと唸ってしまったが、原則的に手にした本は最後まで読む。頑張って読み続けたら、中盤から凄く面白くなってきた。やはり表層判断は危険である、本も人も。

辺境とは言い得て妙、なるほど流石だなと思った。

日本人特有の忖度文化、空気を読む能力の高さが何に起因するのか?以前から考えていたが、「辺境」という単語の通りに、日本が位置する、最果ての島国、極東という地理的要因が多分にあるのでは?と推察。

中国や欧州などの大陸は「嫌なら違う場所に移動すれば(逃げれば)いい」で済みそうだが、日本人はこの狭い国土の中で、それができない。隣人と巧く折り合いをつけなければならない。争うこと自体が非効率だったのだ。

...このような生活環境を(無意識的にも)強いられ、結果忖度が過度に発達したのではないか。自分の主義主張を押し通すよりも、その場その場の「決定権を持つものが誰か」を瞬時に察知し、付き従う。


一見すると軟弱者だが、ダーウィンの種の起源の「生き残るのは変化に対応できるもの」になぞらえば、玉虫色的な日本人は、きわめてしたたかで、クレヴァーな民族なのでは、と思った次第である。

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「地理的要因」というロジックを展開したが、実はこれは過去に拝読した書籍の受け売りだった可能性が非常に高いことを慌てて告白しておこう。

当時の読後のコメントを引っ張り出してみる。

石の上にも3年。何かを継続することが美徳であると教わり信じてきた人も多いだろう。日本は、一度決めたことは途中でやめてはいけない、という見えない呪縛が蔓延している。本著では適正有無の検証を優先し、行動する。つまりは脈(可能性)がなければさっさと辞める/止めるという、日本人にはなかなか馴染めない考え方を大胆に展開している。
そもそも日本人が忖度するという能力を異常なまでに発達させたのは、日本の地理的な要因が大きく作用していると考える。大陸続きであれば、他所の土地に移ることで目の前の面倒な問題から離れることができる。いっぽうで日本ではそれが困難である。故に、相手の顔色を伺い、できるだけ波風を立てず、目立たないような生き方が賢いとされてきた。
息子はあらゆる楽器に興味を持ち、私はできるだけチャレンジできる環境を用意すべきと、様々な楽器を揃えてあげている。興味がなければ適正がなかった(もしくはその時は不足していた)という判断ができたわけで、決して発生した支出はロスにはならない。何故ならばチャレンジしていないということは、適正を検証する機会すら得ていないということなのだから。

とまぁ、サンドウィッチマンの富澤さんよろしく「ちょっと何言ってるか、わからない」と3年前の自分に申し上げたい気分。

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閑話休題。

他、「世界標準準拠主義」という話題も出ており、猫も杓子も海外の成功事例を意識し、模倣し、日本も次に倣えという短絡的ともいえる姿勢に苦言を呈されている内田先生。ふむふむと頷くばかりで納得の読後感となった。

「世界標準準拠主義」は昭和生まれのモーレツ世代の妄想かのか?と、44歳の私は、もはやセミリタイヤを所望する今日この頃でございMASS。

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