エッセイ「成長には何を意識するか?執筆への没頭も成長の一つ」
休日。
皆さんは成長に使うだろうか?遊びに使うだろうか?
僕は断然、成長に時間を使いたいと思っている。
だが、その成長する休日も、最近はスランプ気味だ。
僕は成長するには読書という定番を信じていて、読書をするのだが、この読書が果たして何を得られるのかわからない。
プログラミングの勉強をして、成長しようとするが、プログラミングをして何になるのかがわからない。
この病の本質について、以下、述べる。
成長するにも自己投資するにも「あるべき姿・目的」が必要
成長と一口にいっても、がむしゃらに読書をすればいいというものではなく、目的が必要だというのが、成長空回り病の本質だ。
どのような姿になるために読書するのか?何の目的を叶えるために読書するのか?明確になっていないとただの時間潰しになる。
この、「目的を決める」ということの大事さはクリティカルシンキングの本を読んで僕は腑に落ちた。
まず目的・あるべき姿、というものを定義しないと何も始まらないのだ。
目的を決めない行動は街を彷徨うに等しいと僕は思う。
だから、成長するには目的を決めて僕の成長空回り病を止めないといけない。
「conecting the dots」成長するのに目的を定めないという方法もある
しかし、僕は今のデザイン事務所を卒業して、ヘルプデスク要員として大好きなパソコンの問題解決をするという目標がある。
しかし、そのスキルは充分ついているので、今から勉強することはない。
では、何を原動力に成長・勉強をすればいいか?
そう考えたとき、頭に浮かんだのが、僕の尊敬するスティーブ・ジョブズ氏の「connecting the dots」という考え方だ。
この考え方は、何かさまざまなことに手を出していると、後からそれがつながって大きな成長・飛躍になるから、さまざまな経験をしなさいということだ。
この考えに従うとすると、何でもかんでも手を出して、学ぶことを怠らなければ、必ず将来役に立つということだ。
こう考えると、さまざまな経験を積むことが、将来の成長につながるということになる。
僕は当面、この「connecting the dots」を信じて、本を読み漁り、勉強し続けたいと思う。
受け身のYouTube鑑賞は休息にはなるがただの現実逃避
僕は音楽のMVを観ることが好きだ。
だが、これは気分的には楽だが、ただの休息にしかならない。
僕はYouTubeで受け身の鑑賞をしているとき、「現実逃避しているな」って感覚になる。
この感覚が、僕が休日休めない原因だが、僕はやはり成長したい。
現実逃避に時間を割きたくない。
YouTubeをダラダラと観ているうちに、僕の人生の時間はどんどん削られていくのだ。そんなことには耐えられない。
成長したければ執筆に没頭するというのもあり
僕は執筆に関しては情熱を注いでいる。
執筆しているとき、僕の頭はフル回転していて、どんどんアウトプットすることにより思考の整理ができている。
これも、一つの成長ではないだろうか?
執筆することによって自分と向き合うという、ある種成長にもなる。
文章を整えるためのロジカルシンキングも鍛えられる。
頭を整理することが癖付き、職場でのコミュニケーションにも役立つ。
執筆も成長するための活動と位置付けてもいいと思う。
さらに、僕は執筆に情熱を注いでいるので、執筆していると没頭できる。
この没頭も、なんとなくYouTubeを観ていることと違い、時間を過ごす充実感も格段に上がる。
執筆のための読書という考え方もいい
読書の定義もここまで記事を書いてきて、閃いたので、ここで述べておく。
執筆とは、自分にインプットした知識を自分なりに咀嚼してアウトプットするという意味合いもある。
だったら、読書で有意義な知識を詰め込んで、それをアウトプットして知識を定着させるという考え方もできる。
そのために、興味のある本を片っ端から読んでインプットしまくるという、読書に対する新たな意義を見出すことができる。
これは「connecting the dots」という考え方とも共通する。
気になる本を片っ端からよんで、知識を大量に詰め込んで、それが将来何かに役立つ形でつながるというものだ。
そのために読書するということも僕は有意義だと思う。
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休日はダラダラして過ごすという方も多いと思うが、せっかくの自由時間である休日、成長に使うのも素晴らしいことだと思う。
皆さんの更なる飛躍を願って、この記事を書きました。
皆様が更なる成長をできますように。
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