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聖地巡礼記チベットへゆく⑧チベットの洗礼を浴びる

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

チベットの洗礼を浴びる

夜の7時30分 拉薩ラサへ到着 
上海から48時間かけた長い鉄道旅はようやく終わる

近代的で巨大な拉薩駅の長いホームを歩き
チケツトと入境許可書を見せ改札を出る

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その後、外人の僕は入境申告する為に
駅の外にある受付窓口に行き
入境審査を受ける

思ってたほど厳しくなく
事務的に処理が終わる

駅前でガイドと待ち合わせ
妻が連絡をとり合流

無事にガイドと合流し
会うなりガイドの彼は僕と妻の二人の首に
白いカタ―(Katag)をかけてくれた

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チベット伝統の敬意を表す儀式
五色のカタ―があり
白は純粋な気持ちを表す

挨拶がわりのカタ―ではあるが
首にかけてくれた瞬間 
チベットに歓迎されてる気分になった


直ぐに車に乗り込みホテルへ向かう
駅からホテルまで 30分くらい車で走る
駅は少し郊外に位置し
拉薩には南北をさえぎる形で
ラサ川が流れている

川の北側が旧市街として古くから栄えている
川の南側は元々は野原だったが
駅ができ道路ができ店が出来
高層マンションまで建ち都市化していた

ここまで発展していることに
複雑な思いがした

今では拉薩にも漢民族が多く住んでいる
ニュースでは聞いて知っていたが

もはや拉薩は
経済、都市機能の根幹を動かしているのは
漢民族や漢民族とチベット民族との混血
そんな印象

政府が長きに渡り進めてきた流れ
混血を増やし徐々に漢化していく
あと数世代すれば 
きっとチベット民族の純血はさらに減る



川に沿って西から東へ車は走り
すっかり陽は落ちて暗くなった

タクシーの窓からポタラ宮殿が見え
ライトアップされた城は美しい

車の中でガイドと妻が色々会話している

彼は元々チベット仏教徒で近代化と共に
観光ガイドの職に就き
厳しい修行僧から身を引いた
そして結婚し家庭を持ち暮らしている

ガイドにはそういったチベット民族が多い

近代化した社会では収入を得て
暮らす必要があり昔のようには生きられない

出家して厳しい修行で生きて行く人も減り
その数は年々減少してチベットも例外なく
近代化の渦に飲み込まれていく

チベット族は出家せずとも
心底仏教を信仰している人々は多い

しかし生活する為に仕事が必要

昔は動物を育て自給自足し 
物々交換しながら素朴な暮らしと
大自然の厳しさの中で生きていた

想像以上に かなり質素な生活
そこにチベット仏教の信仰は強く根付き
彼らを精神的に支えてきた

1度近代化へ向けた環境で暮らし始めると
もう後戻りはできない

ガイドの彼は言う

悲しいが、ここ二十年近くで大きく変わったと

それ以上、語る事は無かった彼
言いたい事は察しが付く

要は近代化した都市で家族を持ち生きていくには
働く必要がある、その仕事を提供しインフラを整え
衛生的にも教育的にも生活の品を運び販売し町を
機能させているのは漢民族で巨額の中国政府の
支援で成り立っている
今の若い世代は、中国政府の恩恵も受けている
富を得る事で生き方も変わる
彼らの中でも思想は分断されていく


ダライ・ラマ十四世が拉薩を離れて以来
中国化が進み
長きにわたり抵抗を繰り広げてきたが
ようやく その抵抗は終わりを見せ
時代は動いていく

ゆっくりゆっくりと漢民族化も進む
仏教国から脱出を迫られ宗教としては残されるが
あくまで中国政府の指導の手の中に納まる形を
求められている

ガイドの彼は 
短い一言で想いを語り
多くを語れない立場でもある

彼はチラッと横目でライトアップされ
観光地化された悲しきポタラ宮殿を見つめた

その眼差しが寂しいと僕は感じた


ラサ川を越え旧市街側へ入る
街はすっかり近代化しレストランやホテル
中国の何処にでもある地方都市と
変わらないような感覚

違うのはポタラ宮殿があり
海抜3700の高地に位置している事
そんな印象を持ちホテルに着いた

ガイドと明日の予定を確認し別れる

ホテルの部屋には
酸素吸入機械が設置している

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妻と二人で食事をする為に散策に行く事にした

正式には、外人の僕の行動は
ガイドが付き添う必要があるが

市内観光は基本問題ない事から
最近のガイドもエリア内の行動までは
束縛してこない


しかし、万が一警察や政府関係に
外人の僕がウロウロしてると
指摘されるケースがあり

ガイドは1枚の紙を渡し
もし、何かあれば
これを見せるように言われる

ガイドが身元保証人となる紙
そして念のため

余計な事はしないように忠告は受ける
そこも多くを語る事もない


ホテルを出て
目指したのはジョカン僧院
漢字表記では(大昭寺)

ジョカン僧院はチベット仏教の総本山
ポタラ宮殿はダライ・ラマの城

それとは別にいくつもの宗派により寺がある
その中でも歴史は古く


ソンツェン・ガムポ王に嫁いだ
ネパールの姫ティツン妃の持ってきた
釈迦牟尼像しゃかむにぞうを祭る建物
として建つ、他も いくつもの伝説がある寺

唐の姫 文成公主が持ちこんだ
釈迦牟尼像しゃかむにぞう
ここから北に位置する
ラモチェ寺(小昭寺)に祭られる

この二つはかなり古い歴史をもち
チベット仏教史を見守って来た寺でもある

現在、2つの釈迦牟尼像しゃかむにぞう
訳あってジョカン僧院に祭られている

ジョカン僧院に向かう途中
妻は 外人が、こんなに自由に歩けないよ と

昔 妻が拉薩に来た時は、
至るところに軍隊が立ち
銃を持ち警戒していた

写真も撮れない緊張感に包まれ
怖かったらしい
今 その変貌ぶりに妻も驚く

僕も少し驚いていていたが
確かにもうチベットは中国化していた

ジョカン僧院のエリアに入るにはゲートをくぐり
本人認証が必要になる
中国人ならID、外人ならパスポート

仮に駅前で入境申請受付を
無視してきても中に入れない

駅の改札のようにゲートを抜けエリアに入る
その中と外では雰囲気が全然変わる

一気に聖地の匂いがする

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細く暗い路地を抜け明るい通りを目指す

明るい大通りはバルコル(八角街)といい
ジョカン僧院を1周ぐるりと囲み巡礼道となってる

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そこに夜でも
巡礼者が周りを五体投地ごたいとうちで巡礼

すぐ手前のチベット民家を改造した
レストランで食事をし
今の拉薩について妻とも話をして
食後に
バルコルを1周し歩いた

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僕は拉薩に到着した時から
少し興奮していて
胸がドキドキしていた

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そして同時に酸素の薄さも感じていた
バルコルを歩いている時に

妻にゆっくり歩くように言われる
僕はあっちに行ったり
こっちに行ったりと子供のようにウロウロ

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高地である事を忘れていた

1周してジョカン僧院の入り口に戻る

明日午後にジョカン僧院を観光するので
今日は中には入らない

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夜でも多くの参拝者がいる

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入り口では五体投地で
お祈りを何度も何度も繰り返してる

少しばかり その光景に見とれながらも
早くホテルに戻り明日に備えようとなる

ジョカン寺の脇にあるお洒落な
ミルクティー屋で天空猛牛ミルクティーを買う

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飲みながら歩いて帰る途中
徐々に頭が軽く締め付けられる感じを覚える

軽く高山病の気配を感じた

拉薩に到着してからずっと興奮していたから
息も上がり歩きすぎたかもしれない

妻に初日から動きすぎると
よくないから と

言われるが滞在時間は多くない
夜のジョカンは恐らく今日しか見れない
多少の無理はしてでもという想いもあった

まだこの時は高山病こうざんびょうを甘く考えていた

ジワジワ頭が締め付けられる感覚を覚え
ゆっくり歩いてホテルに戻る

ホテルの窓から遠くにポタラ宮殿が見えた
明日はいよいよ ダライが住んだ城へ向かう

そして明日の朝に備えて早く寝る事にした
体を休め高地に体を順応させないといけない
明日の朝 回復してる事を祈り寝る

そして深夜3時
締め付けるような頭の痛さで目が覚めた
頭がドクン ドクンと締め付けられ痛い

治まったり痛くなったりを繰り返す
そして僕は寝れなくなりベッドの中で
瞑想めいそうし気をそらし痛みをまぎらわせようとした

その瞑想中
普段はただ目をつぶり無心をイメージしてるだけの
瞑想ごっこ のような感覚の僕

その時は不思議な感覚を覚えた
頭の中で 

いや精神世界の中で
僕の意識はグングン高く
どこまでも高く上昇していった

意識は拉薩を飛び出し上空に上がり
雲を抜けて地球を飛び出し
宇宙をも飛び出していくかのように
加速度的に上昇し続ける感覚

チベットの洗礼を浴びる

そこで僕はちょとした神秘体験を経験する


⑨へ続く 神秘体験でみた世界とポタラ宮殿の朝

チベットへゆく はシリーズでつづっています
是非過去記事からどうぞ!

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↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ!


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