寛容の精神と表現の自由
最近買った本が面白いものばかりで喜んでいます、間です、おはようございます。
今日は、寛容の精神と表現の自由のお話です。
今日は、自分で言うのもなんですが、まじめなことを書いてみようと思います(笑)
最近、表現の自由の権利を主張するなら、自身には寛容の精神を備えておかなければいけないのではないかと思うのです。
抽象的な例えになってしまいますが、相手がやめてほしいと言うことでも、表現の自由を振りかざし好き勝手に表現しているものをよく見掛けます。
いくら、表現の自由があるからといって、人がやめてほしいことを表現することが人間らしい行為なのかと思わざるをえません。
相手がやめてほしいのなら、寛容の精神を持って表現しないという選択もできるのも人間ではないのだろうか。
表現の自由の名のもとに行われる自分勝手な相手を顧みない好き放題の表現は、憎しみや怒りの感情を生み出し対立を煽るだけである。
勿論、好き放題の表現にも、寛容の精神を持って対応しなければいけない。
そして、自分も寛容の精神を忘れてはいけない。
まじめやわあ(笑)
それでは、いい1日を。
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