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短歌を「読む」 -音楽から考えよう 1-


 第一回は音楽を手掛かりにして、この歌を鑑賞したいと思う。

 色のないゆめって素敵 ぼくはまたしゃがんで靴の紐をほどいた

岩倉文也『傾いた夜空の下で』青土社

 「色のないゆめ」というワードが印象的な歌だ。それを「素敵」と評して、作中の登場人物(以下「人物A」)が靴紐を解く。このパワーワードを読み解くために、下の句の描写について考えていきたい。

 ここで、三つの楽曲の歌詞を引用したい。まずは一曲目。KOTOKOの「サクラノアメモエギノヨ」から。

新しい靴を今日買ったよ。と/瞳を輝かせ笑う君に/何故か胸騒ぎ覚えた/あの日に戻れたら良いのに

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 この歌は、誰かとの離別を主題にしている。そういった歌の一節だ。

 歌の中の主人公が、この後自分の前から去ってしまう「君」について思い出している場面である。ここでの「新しい靴」は未来を象徴しているワードだ。それが、自分の進む未来とは別の方向だったために離別してしまった。「新しい靴」を手に入れ、それを履いて歩み出すこと。それは、未来を選択し、そちらへと進んでいくことを寓意している。

 では、二曲目。スマホゲーム「アイドルマスター シャイニーカラーズ」に登場する架空のアイドルユニット「ノクチル」の楽曲「いつだって僕らは」から。

きっと夢は叶うよなんて/誰かが言ってたけど/その夢はどこで僕を待ってるの?/きっと憧れているだけじゃ/ダメだって知ってるんだ/僕の靴はまだ白いままで

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 この歌では、「夢」という遠いもののイメージした語が挙げられている。歌詞の、「その夢はどこで僕を待ってるの?/きっと憧れているだけじゃ/ダメだって知ってるんだ」を見てみよう。「夢」は、自分のやって来るものではなく、目的地というニュアンスの語として捉えられていることがわかる。

 では、「白いまま」の靴は何を表しているのか。それは、「夢」へ向かって何か行動していない状態だ。目的地へ向かおうと歩いておらず、ゆえに靴は汚れず白いままなのだ。

疲れが染み込んだ靴下 スニーカー そんな足跡もちゃんと残っている

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 official髭男dismの「editorial」の歌詞だ。スニーカーと靴下には「疲れ」や、疲れるくらい歩いたこと、その道のりといった包括的な「足跡」が刻まれている。靴は歩んできたことの証となるからこそ、象徴的に用いられるのだろう。

 では、「ぼくはまたしゃがんで靴の紐をほどいた」はどういう意味なのか。靴はどこかへ向かうことの象徴であるということを踏まえると、それを止めていることを示しているのではないかと予想できる。さらに、「また」という単語から、それをすでに繰り返しているのだと分かる。

 ここには、大きな諦めが滲んでいる。「色のないゆめ」はそういった諦念と重なった言葉であると思われる。人物Aが向かっていく場所が「ゆめ」なのだ。その「ゆめ」には色がない。素敵だろうか。私はそう思わない。漂白された、気を惹かせる輝きを失った「ゆめ」である。それを素敵だと言い切るのは、人物Aによる皮肉なのだろう。だから、「しゃがんで靴の紐をほどいた」のは、単に向かっていくのを止めるというニュアンスだけではなく、アイロニカルな態度でもあるだろう。自嘲的で、悲壮感の漂う歌である。

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