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お布団からアフリカ縦断

ジャンボ!けいたです。

ジャンボってのは、スワヒリ語で「こんにちは」って意味です(笑)

まあ、そんなことは置いといて。

このnoteを読んでくださってるということは、少なからずどこかで僕を見て、僕の発信に興味を持ってくれたんだと思います。
ありがとうございます!マジで感謝です!!!

今回の記事は少し長くなるかもしれません。というか長いです。

僕は、スポーツ選手のトレーニングコーチやったり、うつ病になったり、ヨーロッパ行って貯金なくなったり、仕事辞めて無一文で日本縦断したり、アフリカ縦断したり、ということをやってきました。

そんな僕の自己紹介も兼ねて、どんな奴がどんな思いでどんな活動をやってるのかっていうのを、なるべく読んでくださってるあなたが飽きないようにしながら、お話していきます(笑)

よかったら、最後までお付き合いください!

僕の全てだった、小学生から大学までのバスケ人生


本格的にバスケ始める前

初めての挫折

いきなりですが僕、もともとかなり病弱でして(笑)

体の中にばい菌が入ってきたら、一気に悪化してすぐ入院するくらい体が弱かったんですよ。

そこで、ばい菌に負けないように体力つけなきゃということで、幼稚園からサッカーやったり、水泳やってたんですけど、全然つまらなかったんです(笑)

小3の終わりに「辞めたい」とオカンに言うと、「なんかスポーツしなさい」と言われ、兄が通っていたミニバスのチームでバスケを始めることにしました。

1996年に大阪に生まれた少年は、ここからバスケにハマっていきます。

しかし、小学6年生の春の出来事です。

当時は「おいら、プロになるでやんす!」って感じだったのですが、ある日の練習試合で事件は起きました。

今まで「上手いなあ」と思う選手とはいくらでも対峙してきたつもりでしたが、その日はいつもと違いました。

同い年でバケモノみたいに上手いやつと対戦して、ボロ負け。
完全に心が「ボキッ」と折れる音が聞こえました。

初めての挫折。試合後、これでもかっていうくらいに大泣きしたのを覚えてます。

ちなみに、その彼は今プロ選手になってます。

そんな挫折を味わいながらも、バスケは大好きだったので大学まで続けました。

高校までは進学校だったんですけど、最後の引退試合が納得いかなさすぎて、大学ももっと本気でバスケがしたいと思い、全国大会に出るような大学に進学しました。

結局、4年間試合には出れなかったんですけど、学生コーチしかいない学生主体のチームだったので、みんなで「ああしよう、こうしよう」って言いながらやってたがめちゃくちゃ楽しかったです。

バスケしかない自分


入院中

大学は教育学部だったので、体育教員になってバスケ部の顧問になろうと思ってたんですけど、「なんか違うなー」と思って教員になるのは辞めました。

大学3年の秋、教育実習から帰ってきた日の練習で膝を怪我して、手術することに。

入院中、天井を見つめながら「進路どうしよう」ってずっと考えて、「就活したくない、教員になりたくない」という結論に。
完全に逃げまくってました…(笑)

自分の怪我の経験とトレーニングが好きだったことから、怪我で苦しむスポーツ選手を減らしてあげたいと、ストレングス&コンディショニングコーチ(以下、SC)というスポーツ選手のトレーニングコーチを目指すことに決めました。

そして、大学4年の間は就活もせず、SCになるための準備をひたすらしてました。

しかし、大学4年の秋、ここでまたもや事件。

話すと長くなるので短くまとめるのですが、僕の代の大学バスケは大人の事情みたいなのも絡んで、突然に終わりました。(僕にも非がありましたが)

その時の絶望感ったら半端じゃなかったです。

今まで、バスケしかしてこなくて、バスケ一筋の自分に酔ってたんですけど、それが急に取り上げられて、

”あれ、俺バスケしかないやん。何したらいいんや。
この先の人生、バスケと同じくらいもしくはそれ以上に熱くなれるものに出会えるんか?”

という気持ちになって、初めてバスケしかしてこなかった自分を後悔しました。

そうは言っても、卒業はやってくるわけで。

「とにかく、自分みたいに怪我で苦しむアスリートを減らすことに全力を注ごう」と決めて、卒業後はSCの道に進んで行ったわけです。

卒業旅行で行ったフィリピンが教えてくれたもの

バスケから離れた後に、一つだけ自分の中で芽生えたものがありました。

卒業旅行で行った、4泊5日のフィリピンでの話です。

最初の2日間くらいはマジで帰りたかったです(笑)

シャワー弱い、虫がいる、トイレットペーパーない、日本と比べて不便すぎる。。。

そう思っていたのですが、3日目くらいから気づいたことがありました。

現地の人を見てると、「あれ、なんか楽しそうに生きてるな」と。

そう、現地の人たちは楽しそうに生きてたんです。この生活が当たり前だから。

そして気づきました。

そうか、俺が感じてたのはたまたま日本で生まれ育ったからか。日本での常識が当たり前になってただけや。常識って、”慣れ”でしかないんやな。

それに気づいてから、自分の世界の小ささを知り、常識が壊される感覚に心地良さを感じ、「もっといろんな世界を見てみたい」と思うようになってました。


「頑張らなきゃ」と生きた結果、うつ病に


うつ病だった頃

大学を卒業して無事にSCになったわけですが、専門学校を出てたわけでもなかったので、とにかく専門知識をたくさん勉強しようと、空いてる時間にひたすら勉強してました。

読書も好きだったので、自己啓発とかビジネス書とかたくさん読んでました。

そして、2020年に副業ブームもあったのと、当時付き合ってた彼女もいたのもあって、いろんな収入があった方がいいなあと思い、ブログとYouTubeを始めました。

当時は、「ブログとYouTubeが最強だ!会社員はダメだ!」という感じで、完全に間違った方に尖ってました(笑)

会社員だった彼女とそれをきっかけに少し揉めるようになりまして。。。

「ブログとかYouTubeで稼ぐとかどうなん。ちゃんと働いてよ」と言われて、僕の中では2人のためにと思ってたのですが、「あれ、何のためにやってるんやろう?」と迷い始め、やる気が徐々になくなっていきました。

そして、2020年5月から新しいチームと契約する予定だったんですけど、コロナでそれが8月くらいまで延期。
初めての緊急事態宣言が出てこともあって、前の職場での仕事も3月で終了。

オフラインありきのスポーツ現場は、コロナによって大打撃でした。

それでも僕は、夏までできることをひたすら頑張るしかないと思い、家でトレーニングの勉強、ブログ、YouTube、加えてプログラミングと1秒も無駄にしないようにしなきゃと思って生きていました。

しかし、だんだん異変が起き始めます。

異変①:明日が怖い

まず、当然ながらブログもYouTubeも独学だったので結果は出ない。

プログラミングも興味があるわけじゃなかったのでつまらない。

それでも収入はないので、お金を稼がなきゃと焦る。

さらには、トレーニングの勉強してても、「これ意味あるんかな?またコロナ来たら無意味じゃね?」と、自分がやってることに自信が持てなくなってくる。

毎朝6時くらいから23時くらいまでそんなことしてたのですが、前に進んでる実感がなく、気づけば夜になると次の日が来るのが怖いと感じるようになっていました。

それでも、朝になると勝手に目が覚めて「机に向かわなきゃ」と机に向かうのですが、相変わらず前に進んでる感じがなく、暗闇の中で彷徨ってるようでした。

異変②:自殺のニュース見て「羨ましい」

当時、芸能人の自殺のニュースがかなり増えました。女子プロレスラー、俳優や女優など。

それらのニュースを見て僕が抱いた感想は、「いいなぁ。この人たち、もう悩まなくていいんや」でした。

やばいですよね(笑)

自分でも、少し「おかしいな?」くらいには思ってました。

はっきりわかる心の不安をできるだけ見ないようにしながら、「自分でこの職業を決めたんやから、言い訳したらあかん。自分でなんとかするんや」と、誰にも何も言えないまま毎日を同じように過ごしていました。

異変③:布団から出られない

「頑張らなきゃ」と思えば思うほど、異変は起きていきます。

それは、梅雨になった天気の悪い日。

前まで、「机に向かわなきゃ」と思って布団から出ていたのに、急に布団から出られなくなったんです。

何もやる気が起きない、考えられない。

ただ、布団の中でYouTubeを流し見していました。

しかも、たまたま「うつ病の症状5選」みたいなおすすめ動画もできて、見てみたら自分のまんまで、「まさかな…」と思ってました。

しかし、梅雨が明けた7月。

天気関係なく、布団から出られなくなっていたんです。

実家に住んでいたので、オカンが「大丈夫?体調悪いん?」と心配してくれましたが、「大丈夫」としか返せない僕。

次第には、もうすぐ8月。新しいチームでの仕事が始まる時期でしたが、それも怖くなってきて、「行きたくない」と思っていました。

「もしかして」

そう思って、僕は誰にも内緒で駅前の心療内科に行きました。

診断結果は、うつ病

正直、半分ホッとしたのを覚えています。
休む正当な理由をもらえた、休んでいいんだ、と。

でもその反面、コロナでみんな大変なのに、自分で勝手に悩んでうつ病になって情けない、と自分を責めました。

そこからは、もう布団だけが自分の世界でした。

昼夜逆転は当たり前、お風呂にも入れず、ただ布団の中でNetflix見るか寝るかしかしてませんでした。

ちなみに、うつ病になるまでアニメはほとんど見てなかったのですが、少しでも現実に近いものから逃げたくて、アニメばっかり見てました。
当時の彼女のNetflixで…(感謝🙇‍♂️)

圧倒的好きになったのは、銀魂です。うつ病の僕を支えてくれました。
騙されたと思って、ぜひ見てみてください。

話を戻します(笑)

大好きだったバスケもトレーニングも興味がなくなり、ただアニメを流し見したり、寝たりみたいな生活をしてました。

消えてしまいたい、死にたい、でも勇気がない。

外をふらっと歩いたりすると、「あの車、突っ込んでこないかな」とか考えてました。


自分の生き方に覚え始めた”違和感”


トレーニング指導の様子

布団の中でのうつ病生活を半年ちょい続けたあと、少しづつ外に出れるようになりました。

ここで何か目標持たないとまた布団の中に戻るのではないかと思った僕は、トレーニングを学びにいきたいと思っていたアメリカに行くことを決めました。

ただただ生きる理由が欲しかったんです。

無事に2021年の9月から4ヶ月のアメリカ留学に行くことができ、トレーニングを学んで、またSCとして現場復帰。

帰国後は、2022年から女子ラグビーチームでSCとして仕事をさせてもらう機会をいただきました。

その年の夏にも、ヨーロッパのサッカーチームに1週間帯同するという研修に参加するチャンスを手にいれ、行きました。

出発の5日前に連絡が来て、貯金を全て使いました(笑)

そうやって海外でも学びながら、SCとしてスポーツ選手にトレーニング指導をしてました。

仕事はやりがいがあったし、楽しかったです。

一緒に働いてる人たちも悪い人たちじゃなかった。

でも、どこか、何か自分の中で引っかかるものがありました。

”俺の人生このままでいいの?”


学生アスリートと関わるときに、必ず言っていた言葉があります。

「今すぐ好きなことやれよ、いろんな経験しろよ」と。

指導してた女子高生の1人が「いつか韓国に行ってみたいんだよね〜」と言ってたので、「今すぐ行ってきたらいいやん。練習休んでもええで」とか言ってました。(ヘッドコーチ、勝手なこと言ってすみません(笑))

👧「え〜、でも練習は休めないし、学校もあるし」
👨「数日休んだってどうってことない!むしろ休んでも海外行った経験の方が価値あると思うで」
👧「お金もないもん」
👨「親に借りるとかバイトするとかクラファンとか、あるやん」
👧「そっか〜。やっぱ行った方がいいよね〜」

こんな感じで無責任なことばっか言ってました(笑)

でも、いつしかそう言う度に自分自身に問うようになりました。

「そういう俺は今すぐ好きなことやれてるのか?いろんな経験してるのか?口だけの大人になってないか?」

いや、俺はやりたいことやってる。はず。

そう思ってました。

でも、なんやろうこの違和感。俺はあの頃の、バスケをやっていた頃のように熱中して生きているだろうか。

そんなモヤモヤを抱えて生きてると、僕がずっと情報追ってた人がたまたまコーチングのクライアントを募集すると言ってたのを見ました。

その人は本気で人生楽しそうに生きてたので、「この人のコーチング受けたら、何か見つかるかな」と思っくそ他力本願で募集に応募。

※コーチングというのは、めちゃくちゃわかりやすく言うとコーチが僕自身が気づいていない僕の中にある答えを見つけるヒントをくれる、みたいなものです。

そして、コーチングを受けてめちゃくちゃ悩みつつ、自分が心からやりたいことを見つけることができました。

もう一度言います、めちゃくちゃ悩みました(笑)

今までやりたいことにフタをして生きてたら、やりたいこと見つけるのってこんな悩むのかと(笑)

僕がコーチに言われ続けたこと。

「心からやりたいことは?他人と比較してとか、嫌なことを避けるためにとか、社会のために、とかそんなの置いといて。けいたさん自身がただただ幸福を感じるやりたいことは?」

コーチングを受けながら、探し続けた答え。そして見つけた答え。
僕が心からやりたいこと、それは

”もっと世界を見たい”

そう、卒業旅行で行ったフィリピンで感じたこと。

すでに自分の中にあったんです、心からやりたいこと。

でも、「仕事があるから」と自分に言い訳していつの間にか心にフタをしていました。

でも、心は正直でした。

だって、アメリカに行ったり、ヨーロッパに行くチャンスにはすぐ飛びついてたんですから(笑)

そりゃ自分が海外にもっと行きたいんだから、女子高生が「韓国に行きたい」なんて言ってたら、「今すぐ行け!!!」ってなりますよね。

そうして、僕は仕事を辞めてアフリカ縦断に行くことを決めました。(よく、なんでアフリカ?と聞かれるので書いておきますが、アフリカ行ったことなかったからです(笑))


お布団からアフリカ縦断へ

門出

2024年3月、僕は仕事を辞めました。

そして、アフリカ縦断のウォーミングアップがてら、退職した翌日から北海道に飛び、とりあえず無一文で日本縦断しました(笑)

無一文で日本縦断達成!

とにかくゴールを目指すことだけ考えてたら、11日間で日本縦断達成。
暇だったらやってみてください(なんでやねん)

そしていよいよ、満を持してアフリカ縦断へ!!!

アフリカ縦断の始まり、ピラミッド
ピラミッドには入ってない(笑)

正直、出発前はめちゃくちゃ怖かったです。

でも、アフリカ縦断せずに死んだら一生後悔する。それだけは確信してたので、勇気を出して飛行機に乗りました。

うつ病になってよかったなと思うことの一つは、「最期」を意識できたこと。

自分の最期を意識したおかげで、死ぬ時に後悔しない選択をするようになりました。


アフリカでは、現地の人のおかげで日本じゃ味わえない体験をたくさんさせてもらったり、

エジプトで出会った超絶美人

キリマンジャロに登ったり、

キリマンジャロ登頂!
頂上に着いた瞬間、大号泣

エジプトで出会った日本人とタンザニアで再合流して一緒にゴールしたり、

仲間と一緒にゴールの喜望峰に到達!

本当に最高の旅ができました。

アフリカ縦断したおかげで、めちゃくちゃ幸福度上がったというか、幸せのハードルがめちゃくちゃ下がりました。

アフリカではかなり鍛えられたので(笑)
虫だらけのホテル、一日パン3切れのみ、夜行バスで立ち乗り、2日間かけてバス移動など。。。

でもそのおかげで、国が違えど助けてくれる人の優しさ、あたたかい布団で寝れること、お腹いっぱいご飯が食べられること、一緒に時間を過ごす仲間がいること、本当にいろんな幸せを感じることができました。

やりたいことやるって、こんな楽しいのかと。


そして、もう一つ。

アフリカ縦断して思ったこと、それは「日本で生きてたらそうそう死なない」ということ。

アフリカでは本当に多くの物乞いや経済格差を目の当たりにしました。

彼らには物乞いしか手段がないのかもしれません。

一方日本では、職を選ばなければお金は稼げるし、働けなくなっても生活保護がある。

世間の目とかいう、どうでもいいものを気にするちっぽけなプライドさえ捨てれば、死ぬことはありません。

だから、僕らは日本に生まれた時点で好きなだけやりたいことやれます。

これは、感謝とか幸せとかそういう言葉では片付けられないと僕は感じました。

本当にただただラッキー。

この幸運をどうするかは自分次第だなと。


やっと見つけた人生をかけてやりたいこと


アフリカ縦断達成

僕は2024年3月にSCを辞めて、まずは無一文で日本縦断をしました。5月には待望のアフリカ縦断へ。

そして8月現在、帰ってきてこのnoteを書いてます。

さて、この後何をしようか。

心からやりたいことをすると決めた僕は、次にやりたいことを考えました。

もっといろんな世界を見たい。

来年、東南アジア周遊に行こう。南米縦断に行こう。オーストラリアにも住んでみたい。

そうだ、リゾバでバイトして金貯めて、ワーホリでオーストラリアに行って英語力伸ばしながらバイトして金貯めよう。

それで、また旅に出よう。旅を一通り終えたら、その後は起業しよう。

そう決めたものの、なぜかスイッチが入り切らない自分がいました。

旅は行きたい、来年には必ず。でも、なんでスイッチが入らないんだろう?

考え続けた結果、答えが見つかりました。

自分のように心にフタをしてる人の背中を押したい、やりたいことやって最高の人生を生きてる人を増やしたい。

そう思ったんです。

バイトして金貯めて旅に行くのもいいけど、これを仕事にしてたくさんの人の人生最高にして、そのお金で旅できたらもっと最高やん、と。

なぜなら、僕が心にフタをしてやりたいことがわからず、人生モヤモヤ生きてたから。
心からやりたいこと見つけて、めっちゃ毎日ワクワクできたから。(今もワクワク継続中!)

自分がコーチングで教わったことや経験してきたことを広めれば、もっとたくさんの人が幸せになるんじゃね!?

じゃあ、僕が今救えるのは誰か?

  • メンタル面で悩んでる人(不安とか)

  • やりたいことがわからなくて悩んでる人

  • やりたいことあるけど一歩踏み出せない人

  • 人生なんとなくこのままでいいのか悩んでる人

僕もこうやって悩んでたのが、やりたいことやって最高の瞬間を味わえました。

自分のようにモヤモヤしてる人の人生をより良くしていくことを、自分の生き方にできたらもっと最高。

そう思って、今このnoteを書いています。


僕のゴールは、世界中の人が自分の可能性にワクワクしてる世界を作ること。

そのために今できることとして、

  • 心の中の”やりたい”にフタをしてる人

  • ”やりたい”を見つけて毎日ワクワク生きたい人

の人生を最高にする仕事をする!
「本当は◯◯したい」を「すればよかった」で終わらせない!

そして、もう一つ。

僕はスポーツの現場で生きてきて、子どもの可能性を閉ざしてしまう指導をする大人がめちゃくちゃ多いなと感じています。

子どもの思考を奪う指導。具体的に言えば、頭ごなしに怒鳴るとか。

そういうとこにも、メスを入れていきたい。

きっと、子どもの可能性を奪ってしまう大人って、自分の人生の可能性を楽しめてないんだと思うんです。

だから、1人でも多くの大人が自分の可能性にワクワクして人生最高になれば、子どもも最高の人生を夢見れる。子どもは大人の生き様を見て育つ。

そういう日本にしたい。

そして、アフリカ縦断中に思いました。

日本で生きてる限り、ほぼほぼ死ぬことはない。バイトでもすればお金稼げるし、生活保護もある。ジャマするとしたら、他人の目を気にするプライドくらい。

でも、外国だと日本よりも這い上がるのが難しい環境もある。

物乞いするしかない大人、物乞いの環境が当たり前で物乞いを教えられる子ども。彼らも、自分の可能性にワクワクして人生最高になったらどうでしょう?

めっちゃハッピーやん。世界、平和になるやん。


何言うてんねんって感じですよね。

正直、やり方は何にもわかりません。

でも、こんな世界を見てみたいし、次世代の子どもたちに少しでもいい世界を生きてほしい。

理不尽なことでうつ病にならない世界を。平和な世界を。自分の可能性を思いっきり楽しめる世界を。


これがお布団からアフリカ縦断に行った男が、今やりたいことです。

これを実現するためにも、僕自身もどんどんやりたいことやっていきます!

こんなクソ長い文章、最後まで読んでくださってありがとうございました!

きっと僕と同じことで悩んでる人、僕と同じ思いの人がまだまだいると思うので、もしよかったらこの記事をシェアしてもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです!

え!シェアしてくれる!?
ありがとうございます!大好きです!

あなたの人生も最高にワクワクしてますように!

あ、ちなみに「韓国に行きたい」って言ってた女子高生は来年の春、韓国に行くそうです。

おわり。


P.S.

音声配信もやってますので、よかったら聴いてみてください!


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