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【19限目】旅の思い出(岩手)

2020年8月6日

24年前の夏休み。岩手県、文学の旅から思うこと。

岩手県はすごいなあ。先日初めて2名の感染者が出ましたが。新型コロナウイルスの感染者0名が長い間続いていました。

テレビで岩手県の人たち一人ひとりが普通の日常生活をしながら、三密を避けて予防に気を付けている姿を見て、コロナウイルスはどこにでもあるウイルスで誰にでも感染する可能性がある病気だと考えて予防をしなければと思いました。

防ぐためには、三密を避け、感染していたら,人にうつさない。感染していない人は、コロナウイルスを身体に入れないための工夫をするという当たり前のことを、普通の日常生活をする中で心がけることが、これからのwithコロナで大切な事だと思いました。

そんなことを考えていると、以前の旅を思い出しました。24年前(1996年8月)の夏休みの終わりに、3泊4日で、花巻・森岡・遠野 文学の旅に行ったのが岩手県でした。


文学の旅 日程  (8月27日~30日)

8/27
伊丹空港発 花巻空港着

レストラン山猫軒・賢治詩碑・桜地人館・賢治の生家・賢治墓地・ぎんどろ公園「風の又三郎群像」・イギリス海岸・宮沢賢治記念館・南斜日時計花壇・宮沢賢治イーハトーブ館・猫の事務所・童話村・新花巻駅前「セロ弾きのゴーシュ」レリーフ

花巻温泉『青葉館』泊

8/28
バラ園・羅須地人協会(花巻農業高校内)・啄木記念館・渋民尋常小学校旧校舎・旧斎藤家住宅・渋民公園・啄木詩碑・鶴飼橋・小岩井農場(乳業工場、賢治ゆかりの展示資料室、羊館、まきばの天文館)・光源社(「注文の多い料理店」を出版)・材木町散策・啄木新婚の家

大沢温泉 『菊水館』泊 (宮沢賢治・高村光太郎がたびたび遊んだ宿)

8/29
高村山荘(智恵子の死後,光太郎がこもった山荘)」・高村記念館・花巻市歴史民俗資料館・やぶや総本店(わんこそば)・JR釜石線で遠野へ・遠野市立博物館・とおの昔話村
      
民宿『曲り家』泊
…家屋内に牛の部屋もある昔の「南部曲り家」をそのまま使った民宿で、大きな囲炉裏を囲んで、素朴な田舎料理を味わった後は、土地の老女による「遠野昔語り」を楽しんだ。

8/30
五百羅漢・コンセイ様程洞・さすらい地蔵・きつねの関所・北川正澄さん宅おしらさま・山口の水車・常堅寺・かっぱ狛犬・かっぱ淵・地ビール園・伝承園・続石・千葉家(南部曲り家)

遠野駅から花巻駅へ・林風舎

花巻空港発 伊丹空港着


旅から帰って書いた 旅の思い出

「イーハトーブ 花巻を歩く」 けい先生

 宮沢賢治が生まれ育った花巻
 百年前にこの世に生まれて
 たった37年という短い生涯の中で
 多くの詩や童話や短歌が この花巻から生まれた
 その作品から不思議な 光や風が
 現在の時の中に ますます新しい 光となって 風になって 甦ってくる
 賢治が愛した ベートーヴェンのように 古くて いつも新しい
 時がどれだけ刻まれても 変わらないだろう

 花巻を歩いた 
 町のあちらこちらに 賢治の世界があった
 路地を曲がれば「どんぐりと山猫」
 イスに座れば「蛙のゴム靴」
 新花巻駅前では「セロ弾きのゴーシュ」
 ぎんどろ公園では、今にもとび出そうとしている「風の又三郎」がいた

 花巻で、その昔、
 賢治が呼吸したのと同じ空気をすった
 賢治先生の心にふれたような 
 心地よい 幸せな 旅だった

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花巻は、宮沢賢治生誕100年の行事で、賢治さん一色でした。花巻の人たちの賢治さんへの思い入れが、遊び心が、まちのあちらこちらにちりばめられていて、賢治さんの投げた一つの光は花巻を豊かで、すてきな街にしていました。


文学サークルで「注文の多い料理店」を研修しました。

この作品のあらすじは、
 『東京からやってきた二人の若い紳士が、鹿の腹に二、三発お見舞いしたら痛快だろうと軽薄な言葉をはきながら、山奥で猟をしていた。獲物も捕れず、道に迷ってお腹をすかせた二人の前に、風がどっと吹き、西洋料理店が現れる。二人が喜んで店に入ると、身につけている金物類を置いてくださいとか、体にクリームを塗ってくださいというような、奇妙な注文が書かれた幾つもの扉と長い廊下ばかりが続く。初めは高貴な客への配慮と思っていた二人も、次第にこれはおかしいと感じ、ついに「注文の多い料理店」というのが、流行っている店という意味ではなく、自分たちが店主の山猫から西洋料理にされるために多くの注文を受けていたことに気づき、恐怖に震えて泣き出す。危機一髪で猟犬と猟師に救われるが、恐怖で紙くずのようになった顔だけは東京に帰っても元通りにはならなかった。』
と、言うお話です。
(世界文化社「宮沢賢治をもっと知りたい」より)

読み返してみたとき、なぜ二人の紳士は、罠に気付かなかったのか、初めて読んだとき、なぜ、自分(読者)も二人と同じように山猫の罠に気付かなかったのだろうか。と、考えました。

故郷の自然をこよなく愛し、すべての人が幸福にならなければ、自分の幸福もあり得ないという賢治の思想が、今の私たちへのメッセージのように思えた。それが岩手の人々の心に受け継がれているように思えた。

新型コロナウイルスが大流行している中で、自分さえ良いと言いう考え方をしている人が多くなったら、コロナウイルスの感染も止まらないと思う。

お盆を前に、人が動く時、私たちは、一人一人が三密を避けて行動する事が大切だと思います。

岩手県の新型コロナウイルスの感染者が少ないというのは宮沢賢治さんの思想が、岩手の人々に受け継がれているように思えました。

24年ぶりに文学の旅で、出会った岩手の人たちを懐かしく思いだす時間になりました。

【編集担当より】

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「ひまわり」
"今年も我が家に咲きました"とのことです


今回は、24年前の旅行のお話です。宮沢賢治を訪ねてといった趣きでしょうか。母の影響はたぶんありませんが、記憶に残っている初めて観た映画が『銀河鉄道の夜』でした。父と弟と一緒に行ったように思います。小学校1年生の時だったかと思います。それから、自宅にあった両親が一切読まない、日本文学全集を読み始めたのを思い出します。ルビも振っていないものも多く、古い表現も多かったので苦労した気がします。

そんな記憶を、ついこないだ知り合いに勧められた、文豪ストレイドッグスというアニメで思い出しました。宮沢賢治や中原中也、太宰治など、そのころ読んだ作家がデフォルメされているのは、なかなか面白いなと思いました。

コロナウィルスの影響で、なかなか旅行も行き辛いですが、感染対策をしながら近場で旅行なども行ってみようかと思う次第です。自分自身が無症状感染者であると考え、何より近くの大事な方に感染させないように行動したいものです。

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