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楽しく歳を重ねるために:叔母との別れと思い出

2024.4.25【213限目】

大切な人から学んだこと

夫の叔母で、12歳年上ですがよくお世話になり、大切にしてもらいました。私の母とも気が合い、母を親のように思ってくれていました。

叔母は自分の子どもを育てている時は、自宅で日用雑貨のお店をして、子どもたちが大きくなった頃、婦人服のブティックを経営し、私もよく行事のある度に服を買いに行きました。

私の服はほとんどが叔母の店のものでした。買ってから2~3年経っても流行遅れということが無いぐらい、服の見立ては良かったです。

叔母は、60歳半ばで店をたたんで、自分の好きなことをするといって、未生流の華道を習い、その後師範にまでなり近所のお友達にお花を教えていました。

それは80歳ころまで続きました。その間にも自分の服を作りたいと言って洋裁を習い、器を作ると言って陶芸を習い、日常の食器は手作りのものが多かったです。

どの習い事も、自分の目標を少し高い所に置き、それを自分のものにしてしまう人でした。


叔母の記憶力

1月の終わりに叔母に会いに行きました。89歳になっても料理を作り、家事をしていました。いつ行ってもおしゃれで、髪も自分で切って染めていると言っていました。

私たちが行くと得意な料理を出してもてなしてくれました。その時、叔母が最近気に入っている料理3品を、何も見ないで頭の中にあるレシピ通りの作り方を教えてくれました。

1つは私もテレビで見た料理だったのですが、本当にテレビの作り方そのままを教えてくれたのには驚きました。

私たちは89歳になってもこれだけしっかり記憶し、生活できているだろうかと、夫と感心しながら帰ってきました。


認知症を予防するために

先日、ハナミズキが咲きだして、春がどんどん進んできましたが、そのことを日記に書こうとしたとき、ハナミズキという名前がなかなか出てこなくて、10分ぐらいしてやっと思い出しました。

友達としゃべっていて、何度も同じことを話してしまうとか、昨日あったばかりの人の名前を思い出せないとか、いつもの場所に置いたはずのものが見つからないなどと聞くことがありますが、叔母はそんな事は無くしっかり年を重ねていました。


叔母の生活

叔母の生活を振り返って気付いたことがありました。

・よく散歩をしていました(運動をする)
運動すると、神経細胞を活性化させる物質が出て、認知機能を高めると聞きます。また運動することによって、筋力が維持されたり強くなったりして、転倒しにくくなったり寝たきりの予防になります。

私は先日、部屋の中を歩いている時に、絵の道具を入れているカバンの手さげの所に足が引っかかり、そのまま前に勢いよく進みもう少しでこけそうになったのですが、我慢をして前に進みソファーの所で手を着いて、こけずに済みました。

足の弱い私ですが、ここ1年間週2~3回軽スポーツクラブに通い、筋力もバランス感覚も少しは鍛えられていたのか、なんとか耐えることが出来ました。怪我をしなかったのが何よりですが、ヒヤッとした瞬間でした。

新しいことにチャレンジ(知的活動)
叔母は今までに経験したことのなかった、華道や洋裁や陶芸と、新しいことにチャレンジしてきました。一方毎回の家族の食事のメニューも常に新しい工夫を重ねて作り、また家のあちらこちらに花が生けてありました。

新しいことをすると神経細胞が脳の中に新しいネットワークを作り、その種類を多くすると、脳が衰えにくくなります。色々なことをチャレンジし、脳をまんべんなく鍛えて、脳の中にネットワークを張り巡らせることが大切です。

叔母はいつも高みを目指して次々と工夫して新しいことを考えていました。きっと叔母の頭の中のネットワークは複雑に張り巡らされていたと思います。

お話し好き(コミュニケーション)
商売をしていたので、人と話すのが好きで、話し上手で、お客さんの服の希望を聞き、定期的に、奈良から大阪へ仕入れに行き、デザインや生地など流行の先端のものを仕入れて、たくさんの服を売り上げていました。

話すことは、相手の声や表情やしぐさなどから、相手の言いたい事をくみ取り、それを受けて、話します。そんな話のキャッチボールをしている間、脳はフル回転します。

私も出来るだけ出会った人には挨拶をし、それをきっかけに話すようにしています。知らない人にも声かけするのは脳には効果的だと聞くので、スポーツクラブでもあいさつをしたり声かけをしたりしています。


叔母との別れ

叔母は今月の20日に急に亡くなりました。(享年90歳でした)今月の初めに不調を訴えて、病院に行くと、ステージ4のがんでした。告知も受けあっという間に逝ってしまいました。入院は10日ほどでした。

1月の終わりに会ったのが最後になりました。叔母は、日常の生活で大切な事は、運動をして、新しいことをいっぱい経験して、たくさんの人とお話をして、楽しく年を重ねてね。と、教えてくれた大切な人でした。

私は、新しい一日を大切にして、出来ることを楽しんで、一日一日を重ねて行こうと思いました。興味のあることから始め、不得意なことにもチャレンジして、認知症の予防が出来ればと思いました。

家の近所のハナミズキ

【今週のけい先生】*担当:夫(父)
今週は、私の叔母の急逝の訃報を受けた直後にけい先生は、色んな思いが重なり、微熱が出て、2日ほど夕食後早くに床に就いていました。

通夜・葬儀で叔母の家族や親類と、叔母の生き方や家族に負担を殆どかけずに(10日間の入院と5日間の自宅療養)逝去したことなど、潔く、生き抜いたことなどを通夜や葬儀後の食事時に生前の個人を偲んだ話を懐かしく行う過程で徐々に元気を取り戻しました。

そして今回のけい先生のコラムに文章化したようです。


【編集担当より】
「ハナミズキ」の名前の由来を調べると、『北アメリカ原産のミズキ科ミズキ属の落葉高木となり、和名は「花水木」で、別名「アメリカヤマボウシ」。春に枝を切った時、水のような樹液が滴ることから「水木」という漢字が当てられたとされている』とありました。

また、『そして、ハナミズキはミズキ科の植物の中でもひときわキレイな花を咲かせることから「花」が頭に付けられました。』

『日本に伝わったのは、日本からアメリカに贈った桜の返礼として、1915年に「ハナミズキ」の苗木が贈られたときです。その後、街路樹や庭木、公園木として日本でも広く親しまれるようになりました。華やかで可愛らしい花をつけるので、庭のシンボルツリーとしても人気ですよね。』ともありました。

花言葉は、『「返礼」「永続性」「想いを受け取ってください」「華やかな恋」の意味を持っています。これらの花言葉は、感謝の気持ちを伝えるための「返礼」、物事が長続きすることを示す「永続性」、相手に自分の感情を理解してほしいという願いを込めた「想いを受け取ってください」、そして煌びやかで情熱的な恋愛を表現する「華やかな恋」と、様々な感情を表現するための言葉となっています。』だそうです。

幼い頃によくご夫婦で遊びに来てくれたのを思い出しました。叔父さんがいつも燻らせるタバコのにおいが好きでした。叔母さんの訃報を聞き、そんなことが思い出されました。ご冥福をお祈り申し上げます。


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