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【試し読み】なぜ同性婚は実現すべきなのか?――アメリカの歴史を通して日本のこれからを考える

 昨今、大きな話題になっているアメリカ大統領選。選ばれるのは共和党大統領か民主党大統領か。その鍵を握る存在のひとつが福音派 evangelicalと呼ばれるキリスト教右派です。アメリカ人の4人に1人が福音派であるともいわれ、彼らはこれまで共和党の大票田として、同性婚、人工妊娠中絶、銃規制など、文化的価値観のかかわる政治決定を左右してきました。熱心な福音派である第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは2000年代にさまざまな保守的な政策を推し進めました。トランプ大統領も福音派の7割が支持しているとも言われ、現在でもアメリカの政治に多大な影響を与えています。

 10月刊行の小泉明子『同性婚論争――「家族」をめぐるアメリカの文化戦争は、このように保守的な伝統や価値観の強いアメリカを舞台に、1950年代からはじまった同性愛者の権利運動が、福音派を中心とする保守から激しい反動(バックラッシュ)を受けながらも、いかに自分たちの権利向上を訴え、2015年に同性婚(婚姻の平等)を実現したのか、その半世紀以上にわたるダイナミックな歴史を辿ります。

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2015年6月26日、全米レベルの同性婚を認める判決を祝い、多様性の象徴であるレインボーカラーにライトアップされたホワイトハウス(Wikimedia Commonsより)
アメリカ合衆国国勢調査局によると、2019年時点で同性婚カップルの世帯は54万以上にのぼる(https://www.census.gov/newsroom/press-releases/2019/same-sex-households.html 最終閲覧2020年10月8日)

 過去に公職追放など苛烈な同性愛者差別があった保守傾向の強いアメリカで、なぜ同性婚は実現しえたのか。本書ではこの問いに対し、「家族」という価値観に焦点を当て、保守の反動の中にある同性愛への忌避と恐怖の本質を浮き彫りにしつつ、同時に、社会が同性愛者の権利運動をつうじて、彼らの権利保障の重要性を認識し、社会制度、法制度を大きく変えていく過程を描き出します。

 終章では、アメリカの歴史をふまえて、同性婚の是非をめぐる議論がはじまったばかりの日本の現状や、現在、同性カップルがどのような不利益を被っているのかを具体的に明らかにし、憲法や福祉の観点から同性婚を実現すべき根拠を説得的に提示する、時宜を得た挑戦的な一冊です。

 内容の骨子がまとめられた「はじめに」を公開します。


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はじめに

 2‌0‌1‌5年頃より、日本ではL‌G‌B‌Tを取りあげるブームが続いている。テレビではほぼ毎日性的マイノリティであることを明らかにした芸能人やタレントが出演し、性的マイノリティを意味するL‌G‌B‌Tという言葉を現在多くの人が知っている。

 そうしたブームを後押ししたのは、2‌0‌1‌5年にアメリカ合衆国(以降、アメリカと表記する)で同性婚が実現されたことだろう。1‌9‌9‌0年代以降、同性婚をめぐる問題はアメリカでの文化的価値観をめぐる対立──文化戦争(culture war)──の中でも注目を集めてきた。

 そもそも文化戦争とは何だろうか。文化戦争とは、19世紀後半にドイツ統一を成し遂げたプロイセン首相のビスマルク(1‌8‌1‌5─98)と、反プロイセンの西南ドイツとの間で生じた文化闘争(Kulturkampf)を指す場合がある。しかし本書で取り上げるのはその意味ではなく、アメリカを舞台にした文化的価値観をめぐる対立としての文化戦争である。同性婚、人工妊娠中絶、公立学校での祈りの実践、銃規制といった文化的価値観にかかわる争点はしばしば連邦最高裁によって憲法問題として取りあげられ、法廷で出される判決はアメリカ国民全体の関心を引き起こしてきた。これらの文化的価値観は連邦最高裁裁判官指名の際の争点になるほか、立法政策や政治過程に影響を及ぼしている。

 本書はこの文化戦争の争点のうち、同性婚(same-sex marriage または婚姻の平等 marriage equality)に焦点を当てる。法制度としての同性婚を認めるか否かという争点は、同性婚の実現を求める同性愛者と、同性婚に反対する保守派との間で極めて熾烈な対立を引き起こした。

 第二次世界大戦後、アメリカで同性愛者の権利運動が本格化した。同性愛者の権利運動は一般的にゲイ・ライツ運動(gay rights movement)といわれるが、穏健で異性愛社会への同化を目指した1‌9‌5‌0年代の運動をホモファイル運動(homophile movement)、1‌9‌6‌9年のストーンウォール暴動をきっかけに生じた、より積極的な運動をゲイ解放運動(gay liberation)という。特に90年代以降に同性婚が権利運動の主目標になると、同性婚に反対する反動(backlash)が生じた。この二つの動きがもたらすダイナミズムはどのようなものであったのだろうか。また、同性婚をめぐる論争の中で語られる「家族」概念は、実際の政策や立法、判例にいかなる影響をおよぼしたのだろうか。いうなれば本書は、アメリカで家族概念がどのように揺らいでいるのかを同性婚問題を通してみるという試みでもある。

 「家族」といってもその定義は論者により様々であり、家族を論じるうえでも多くの切り口がある。アメリカでは、20世紀後半から「家族法の憲法化」という現象がみられ、婚姻、子育て、妊娠中絶、親権などの家族関係にかかわる問題が、憲法上の権利の問題として語られる状況が続いてきている。

 また、欧米諸国では1‌9‌8‌0年代以降、婚姻と同等の関係性にあるカップルに、パートナーシップ制度という形で税制や相続、社会保障などの法的保護を与える動きが進んできた。アメリカでは90年代以降、ドメスティック・パートナーシップやシビル・ユニオンといった同性カップルの法的保護を認める制度が各州でできたが、同性婚を認めるか否かという論点は政治家、市民権運動家、州最高裁、連邦最高裁、一般市民、メディアを巻き込んだ政治問題となった。たとえば2‌0‌0‌4年の大統領選における争点の一つは、同性婚を認めるかどうかであった。2‌0‌0‌8年の大統領選でも、同性婚は各大統領候補者の政治的立場を示すバロメータとして報道された。2‌0‌1‌5年に連邦レベルで同性婚が認められるまで、同性婚はアメリカ市民の感情を揺さぶる争点であり続けた。まさに、アメリカ人は、神聖な家族や婚姻とは何かをめぐり、その核となる価値について対立していたのである。ちなみに、2‌0‌0‌0年代より同性間の婚姻を「婚姻の平等」と称する場合が増えるが、本書では「同性婚」で統一し、文脈に応じて「婚姻の平等」と記述する。

 本書は性のありかたであるセクシュアリティに関わる内容を含むため、用語についてあらかじめ説明しておきたい。まず性的指向(sexual orientation)とは、恋愛感情や性的な関心がどの性別へ向かうかという意味である。性的指向は変わることもあるが、本人の意思で変えることが難しいため、「志向」や「嗜好」という漢字は用いない。また性自認(gender identity 性同一性ともいう)とは、自分の性別をどう捉えているかを意味し、自分の身体的性別と性自認が同じ場合をシスジェンダー(cisgender)、身体的性別と性自認が異なる場合をトランスジェンダー(transgender)という。身体的性別は男性だが性自認は女性の場合をM‌T‌F(male to female)、身体的性別は女性だが性自認は男性の場合をF‌T‌M(female to male)という。性的指向と性自認は、混同されやすいが別物である。トランスジェンダーの性的指向は様々であり、性自認に合わせてM‌T‌Fヘテロセクシュアルなどという(この場合、身体的性別は男性だが性自認は女性、性的指向は異性愛のため男性を恋愛対象とするトランスジェンダー、となる)。

 冒頭で言及したL‌G‌B‌Tとは、女性同性愛者(レズビアン lesbian)、男性同性愛者(ゲイ gay)、両性愛者(バイセクシュアル bisexual)、トランスジェンダー(性別越境者 transgender)のそれぞれの頭文字をとったもので、性的マイノリティの総称として用いられている用語である。末尾に性的指向や性自認に縛られない、あるいは定まらないという意味での Q(クィア queer またはクエスチョニング questioning)や、性染色体や生殖器が典型的でないカテゴリーである I(インターセックス intersex)をつけて、L‌G‌B‌T‌Q やL‌G‌B‌T‌I と表現する場合もある。2‌0‌1‌6年頃から、より多様な性のありかたを包摂する用語として、S‌O‌G‌I(性的指向と性自認 sexual orientation and gender identity)という言葉が用いられることもある。S‌O‌G‌Iはソギ、またはソジと発音する。

 本書で「同性愛者」という場合は、断りがない限りは女性同性愛者(レズビアン)、男性同性愛者(ゲイ)、および両性愛者(バイセクシュアル)を指すものとする。

 アメリカ合衆国の同性婚について論じる前に、本書はまず1‌9‌5‌0年代以降の同性愛者に対する差別の歴史と差別に対抗する権利運動について取りあげる。そして90年代以降の同性婚実現を目指す権利運動の展開と、それが引き起こした保守派による反動について分析する。アメリカの文脈をふまえて、終章では近年可視化が進む日本の同性愛者の状況や2‌0‌1‌9年に始まった同性婚訴訟について考察する。

 同性愛者の権利運動は当事者である彼ら彼女らにいかなる権利をもたらしたのか。そして、宗教右派を中心に展開された反動はどのような言説や手段を用いて同性婚を阻止し、彼ら彼女らが理想とする「家族」を擁護しようとしたのだろうか。そこでは、「家族の価値」という言説がいかなる影響力を持っていたのだろうか。本書は、同性婚の実現を目指す動きと「家族の価値」を保持しようとするバックラッシュがもたらすダイナミズムを明らかにし、日本におけるこれからの議論へと架橋することを目的とする。

<著者プロフィール>
小泉明子 Akiko Koizumi

新潟大学教育学部准教授。専門は法社会学。京都大学法学研究科博士後期課程修了(博士(法学))。京都女子大学非常勤講師、京都大学法学研究科助教などを経て、2012年9月より現職。主な著作に、「「家族の価値」が意味するもの」(『変革のカギとしてのジェンダー』ミネルヴァ書房,2015年)、「婚姻防衛法の検討」(『法の観察』法律文化社,2014年)など。

※読みやすさに配慮し、試し読みでは脚注を省略しております。

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