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時間に関する文化的な違いは 同じ日本人同士でも違いがあると認識しておくと楽という話 [モノクロニック/ポリクロニック]

日本人の間でもオジサンと若者だとコミュニケーションギャップが発生してしまう。

そんな課題についてコンテクストの違いがあるという記事をこの間書かせていただいた。

国と国による違いの場合、共通の文化的な背景や空気を読む力など聞き手に多くを求めるハイコンテクスト文化と、何事も言語化して話し手に責任を求めるローコンテクスト文化に分かれる。

この国と国の間の違いになぞらえて、ぼくとしては日本人の間でも世代間のミスコミュニケーションの多くはこのコンテクストの違いからきていると感じているという内容を書かせていただいた。


この記事で書いたコンテクストの違いというのは、ぼくが仕事で海外拠点の経営層に対して、日本本社のマネジメントがどういう構造になっていて、どういうクセがあるのかということを説明するうえ使っている。

海外拠点も日本の特性というのを理解したうえで普段の連携や日本への報告をすれば、厚切りジェイソン並みの「Why Japanese People !?」とはなりくくなるし、違いを認めてしまえばあとはどうお互い間で折り合うかという発想に切り替わるのでぼくは必ず日本の特性のようなものを特に駐在員がいないような拠点に理解してもらえるように気を付けている。

そんな僕がコンテクストのほかにもう一つ、国と国の違いについての間での文化の違いを語るときによく説明していることがある。これは国と国の違いを説明するうえで有効だが、最近のぼくの考えとしてはコンテクストと同じくオジサンと若者の間のジェネギャを発生させている要因の一つとも考えるようになっているのでご紹介したい。

■ コンテクストの違い+時間感覚の違い

ハイコンテクスト、ローコンテクストの違いの話については別で記事を書いているのでそちらを読んでいただけたらうえれしいが、今回は時間の話をしたいと思う。

時間と聞くとどういう違いがあるだろうか。

たとえばイメージとしてフランス人は昼飯を2時間かけるとか夜飯をとにかくしゃべりながら長く食べるとか。ラテン系の国はおおらかで時間を守ろうとしないとか。日本や韓国で1分でも遅れたら殺させるくらい怒られるとか電車が異常に正確で数秒遅れてもアナウンスが入るとか。イギリスやアメリカの電車は急に行先が変わったり時間通りにこないことがあるとか。

こういった国の違い意外にも例えば経営者はせっかちであるというようなことを言う場合も多いし、ある特定の人の性格をさして「あの人は時間にうるさい」とか「彼は基本ルーズ」とかそういったことを考えるのが時間に関する一般的はに認識だと思う。

もしくは案件によるかもしれない。行きたくない飲み会には遅れていったり、結婚式には絶対に遅れないようにするとか。家に呼ばれたらちょっと予定時間を過ぎてからいくようにして早く行き過ぎないようにするとか、映画や劇を見に行くときは何分前にいくとか、様々なシーンでも時間に対して前後どれくらい見積もるかといったことをぼくらは日常的に考えている。

このように時間感覚というのは国、立場、シーンによって一定の幅をもって我々は日々対応をしているが、文化的な背景というのは実はあって、大きく二つに分けられている。

■ モノクロニックとポリクロニック

知っている人は知っているので今更と言われてしまうかもしれないが、改めて海外拠点のマネジメントに説明をすると、はじめて日本に来て日本本社で報告をする場合など有難がられることが多いので簡単な資料を作って送ってあげるようにしている。

時間感覚というのは大きく「モノクロニック時間の文化」と「ポリクロニック時間の文化」という2つに分けられる。

モノクロニックな時間の感覚を持つ文化というのは、どちらかというと時間は一方向に向かって直線的に動いているイメージで時間厳守の色が濃い文化とざっくり説明できる。

一方のポリクロニック文化というのは、時間は複数あって進むスピードも様々であるという考え方が色濃い文化でよく言えば柔軟、悪く言えば曖昧というような時間間隔の文化といえる。

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もしモノクロニックな時間間隔が強い文化であればとにかくスケジュールが何事にも優先されるので、人々は時間の制約を強く受けるが達成に向けてとにかく進めるという意思が強く働く。一方のポリクロニックな文化が強ければ予定どおりに進むことはあまり重視せず、最終的に達成すればOKというような柔軟性を重視する意思が強く働くことになる。

このような違いを説明すると以下のように簡単にイメージを説明することができる。

[モノクロニックな文化]

・プランやスケジュールが正義で約束の時間や納期は厳守

・仕事は進捗通りに1件ずつ順番に進めるスタイル

・労働時間と私的な生活の時間はどちらかというとはっきり分ける

・個々人の役割がはっきりしていて自分は自分の仕事をする傾向が強い


[ポリクロニックな文化]

・その場その場の人間関係(特に上下関係や社外取引先との関係)によってスケジュール通りやるよりも柔軟性を優先する傾向が強い。

・約束の時間や納期というのはフレキシブル、悪く言えば厳守しない曖昧な存在であくまで目安という考え方が強い。

・仕事を同時にいろいろと進行させる傾向が強いことから仕事とプライベートの境界線もあまりはっきりしない集団主義的な文化。

■ ぼく自身はモノクロニック寄り

このように違いを書いてみると、おそらく個人差があって同じ日本人でもそれぞれ違う感覚があると思う。

国別の文化的な違いでいえばモノクロニックな文化というのは例えばドイツ、アメリカなどにその傾向が強いといわれているし、ポリクロニックな文化としては主にラテン系(メキシコ、ブラジル等)、アジア地域(東アジア、東南アジア、南アジアなど)。他にもカナダなども結構緩くてポリクロニックな文化に近いといわれたりしているので、あくまでどちらが色濃いかという傾向でしかないが、文化的な違いが必ず影響しているので無関係ではない。

中国の方とも接する機会が結構あるが、中国については僕の中ではどっちよりかさっぱりわからない。

最初はアジア圏ということでポリクロニックな文化だろうとおもって付き合っていると、意外に日本より欧米的というかモノクロニックな印象受けることも多くどちらなのか個人的にはよくわからない国の一つになっている。

一つの可能性としてアジア的なポリクロニック文化ではあったが、共産主義(むしろ実態は国家資本主義ともいえるかもしれなせんが)による背景や、実はより欧米的な合理的な考え方を取りこんでいる結果としてモノクロニックな文化に変わってきているようなことを想像している。

日本人でもおそらく個人差は当然あるし、世代間でも感覚的に違うだろう。昔の方が当然集団主義が強く現代の方が個人主義が強まっている。

また、テクノロジーの発達でコミュニケーションのスピードがこの20年で比べ物にならないくらい早くなっており、そのおかげで楽になると思いきや単に仕事が高速化するという状態になっているので昔ほどコミュニケーションに時間をかけられなくなっているという背景も考えられる。

■まとめ

どちらの色が自分や周りの人は濃いだろう。完全に二分できず、全員が両面の特性があるのでどちらよりかということでしかないかもしれないが、コンテクストの違いと同じく、こういった時間間隔の違いが国や同じ国でもジェネレーションによって違うということは認識しておくと、余計なストレスを精神的に感じず「ただの違い」として認識できるので心の安定を保つにも有効だとぼくはおもっている。

コンテクストについてはグローバルな現代社会はローコンテクストの方に進んでいるので、ローコンテクストでいながらハイコンテクストも理解できる人材になるとどこに行って活躍できるようになるというようなことを書いた。

時間間隔についてはどうだろう。同じ文脈で考えるとモノクロニックの方へ向かっているように思えるので基本はモノクロニックに慣れておいて、ポリクロニックな文化についても一定の理解と合わせる能力を身に着けて対応ができるようになれば今以上に会社から重宝されるとおもう。

まわりの人を観察してどちらのタイプかということを考えるだけでも結構暇つぶしになって楽しいし相手の傾向を見極められれば対策がとれるようになる。

ぼくは知っている人が少ない社内会議などにオブザーバーで出席することになったときはそれぞれモノクロニックとポリクロニックのどちらが強いタイプかについてかんがえて過ごすようにしていることもある。

自分、家族、会社の上司や部下やチームメンバー。それぞれどういう時間の間隔をもっているかというところを考えたら良い人間関係の作り方につながるかもしれない。

そんなことを考えながら休み明けで仕事モードに少しなってきた体を会社に向かわせた。

「ふー」

そんなぼくが空に吐いた朝のため息は白かった。

Keiky.


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