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藤田嗣治(レオナール・ツグハル・フジタ)とシャンペン

日本初、藤田つぐはるの作品だけを展示した個人美術館、軽井沢安東美術館が、2022年10月8日(土)13:00オープンオープンしたそうだ。SNSでお友達が、この美術館訪問写真をあげていて、少し書いてみようと思った。

藤田嗣治

藤田 嗣治(ふじた つぐはるは、は、日本生まれの画家。(1886-1968)
第一次世界大戦前から、フランスパリへ渡り、活動。日本画の技法を取り入れつつも、独自の「乳白色の肌」を作り出し、その画風やジャパネスクのモチーフはパリで高く評価され、エコール・ド・パリ全盛期の代表的な画家として活躍した。
パリのモンマルトルといえば、その頃には有名な芸術家の街になっていた頃で、彼は、当初無名の貧乏画家。パリの郊外で反対側にあるモンパルナスの安宿(歩けば床が軋むような、『洗濯船』と呼ばれるボロアパートに暮らしており、その後、大富豪の薩摩治郎八がパトロンとして藤田の経済的支えになった。アメディオ・モディリアーニやピカソ、ジャン・コクトーなどと交友をもち、芸術の街、パリで活躍した。
https://ja.wikipedia.org/.../%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3...

シャンペンの街、ランス

さて、私が藤田嗣治の名前を初めて知ったのは、今年の夏のヨーロッパ旅行中だった。
7週間ヨーロッパを見て回った旅行の中で、パリから日帰りで行けるシャンパーニュ地方に行くことにした。猛暑40℃から、夜中に雨が降ってありがたい20℃になった朝。よく眠れすぎて、朝出遅れた。観光の質は、朝の出発時間で決まる。日帰りでシャンパーニュ地方のランスへ。ランスとガイドブックに書いてあるが、発音は喉から痰を吐く勢いでハンスと言わないと切符も買えぬ。

ここもローマ時代から栄えた街。私のお目当ては、ノートルダム大聖堂とジャンヌダルク像、夫はシャンペン。大きな門が残っているが、多くはナチスドイツ軍に爆撃された。まずは、オルレアンを解放したジャンヌダルク像にご挨拶。

19歳で火あぶりの刑ャンヌダルク


ノートルダム聖堂は爆撃を免れ、素晴らしい13世紀のゴシック建築を味わえる。


20世紀の改修でシャガールが寄贈したステンドグラスも見られる。ジャンヌダルクも教会内に祀られている。

シャガールのステンドグラス

行くべき場所はここだったのか

時間がないので、ざっと街を歩く。「なんだ、この寂しいエネルギーが漂うこの場所は」と思って立ち止まったのが、G.H. Mummの敷地にある藤田礼拝堂。1959年に藤田嗣治氏は大聖堂で洗礼を受け、G.H. Mummの初代オーナーが嗣治に、ここに礼拝堂を建てるようにすすめた。内の壁画も、藤田が描いたというのは、この日初めて知った。

妻、君代氏とここに眠るFujita

G.H.Mummシャンパンツアー
出発が遅れ、しかも酒蔵の予約も全くしていなかったので、ゴテゴテにまわって、4:30からのGH Mummという酒蔵の英語ツアーにかろうじて入れてもらった。「Mummしか予約が取れない」、、、と思っていたが、Mummとの出会いは、今から思えば必然に思える。こう言うご縁があるときは、学ぶべきことがあるとき。

シャンパンセラーは、地下に迷路のように掘られていて、かなり涼しく葡萄の搾り、熟成、澱の取り出し、瓶詰め、出荷までの工程の説明を受けた。ナチ占領中も、残った女性たちだけでシャンペンを作り続けた。

Mummのツアーは、この建物から

上ものの試飲を頼むと、おすすめシャンペン一杯とさらにフジタ氏の名前のついたシャンペンも振る舞われる。 

ラベルも藤田氏デザイン(ROSE FOUJITA)
マムの先代が、フジタを忍んで作らせたシャンペン

3種類の死

このシャンペンを頂きながら、思いを馳せたのは、地元カリフォルニアで同じようなエネルギーの場所に葬られている日本人女性「おけいさん」であった。
おけいさんは、日本人でアメリカの地に葬られた最初の女性。若松藩から、子守として幕末に渡航して日本を思いながら19歳で病死した。(ジャンヌダルクも19歳)この話は、ぜひ、別の機会に書きたい。

おけいさんが故郷が寂しくてよく泣いていた場所に、墓が建てられた。墓の横にある、ワイナリーDavid Geraldでは、おけいさんを偲ぶためOkeiというボトルのワインを作っている。
人には、3種類の死があると、ワイナリーの人は言う。
一つ目は、その人の肉体の死。
二つ目は、親族や家族などが弔うのをやめた時。
三つ目は、その人のことを誰も語らなくなる時。
おけいさんは、Okeiというワインがある限り、生き続けるのだというのがワイナリーの説明だった。異国で人知れず骨を同じように埋めるであろう私にとっては、少し救われた気分がした。

藤田氏は、残した多くの作品があり今までの世界での活躍が、今逆輸入とも言えるブームで日本人の心を掴む。そして、彼の名前は後世語り継がれ人々の心に生き続ける。

シャンペン地方に行く日本の人たちには、是非この礼拝堂に行き、G.H.MummでFujita(Foujitaと表記)のシャンペンを傾けてほしい。
シャンパーニュ地方は、若い葡萄の木以外は、水を撒いてはいけないことになっていて、前夜の雨は、まさに恵みの雨であり、浄化の雨だったと感じた。ちょうど、安東美術館開館のニュースが、老いたシャンパーニュの葡萄の木に癒しのニュースを届けるように。









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