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50歳で1,000km走る - みちのく潮風トレイル26日間の旅 (踏破編)-

 みちのく潮風トレイルは、青森県八戸市蕪島かぶしまから福島県相馬市松川浦までの沿岸地域をつなぐ、全長1,000kmを超えるロングトレイルです。2011年3月11日に発生した東日本大震災からの復興への取組みの一環として、環境省をはじめ、地元関係自治体、民間団体、地域住民が協力し、四年前の2019年6月9日に全線開通しました。
 いつか、1,000kmを走り通したい。51歳からランニングを始めて五年目、それなりの準備を進め、この夏、その思いを実現させた記録です。(長文になりましたので、適宜読み飛ばしてください)


旅の目的

 準備編にまとめた目的は3つ。
・自身の身体的限界の確認
・自律神経制御方法の探求
・地域との交流を通じた復興への貢献

 先ずは結果ですが、ほぼ想定通りの行程と内容で、無事に歩き終えることが出来ました。

 身体については、足の爪と指先の皮がボロボロになりましたが、いつもの長距離トレランで経験済で、痛みも想定内。筋力、関節、心肺も問題は無く、若干、左足首に違和感が出たので捻挫予防にテーピングをするだけで済みました。

 自律神経も、結論として、大きく乱れることは無く、むしろ長いロードで「瞑想」を長時間重ねることで、心拍変動(HRV)のスコアは旅を始める前よりも改善しました。「ゾーン」入りとまでは行きませんでしたが、区間によっては20キロ3時間を、ひたすら深呼吸だけを意識した瞑想ラン、瞑想ウォークで過ごすことで、「精神的に滅入る」ような事は無く済みました。

 地域との交流は、八戸から塩釜まで、主に宿や飲食店の方々ではありましたが、スケジュールにゆとりを持たせたお陰で、昼に夜に、食べ飲み歩きを楽しみながら、地元の方々からの話を伺えました。その魅力、詳しくは後述します。

スケジュール

 基本的には、荷物の軽量化を考慮し、原則全て宿を予約しての宿泊。どうしても宿が確保できなかった神割崎でのキャンプは、設置済のテントを借りました。当初の計画では、23日目に松川浦に到着予定でしたが、石巻まで来たところで、浦戸諸島航路の渡し船の予約を忘れていたことに気付き、慌てて予約連絡を入れたものの、結局5日後まで待たされることに。急ぐ理由も無くなったので、最終区間の亘理-松川浦は2日に分けてゆっくりと。渡し船待ちのゼロデイ含め、計26日間での踏破となりました。

 1日あたりの平均移動距離は約42キロ。走るのは下りだけ、平坦なロードはストックを積極的に使用したノルディックウォークで進みました。休憩や食事、信号待ち、震災遺構等の施設見学も含めた経過時間の平均は1日11時間、時速4キロ(15分/km)ペース。歩行・走行時の移動時間は平均7時間20分、時速6キロ(9分50秒/km)ペース。距離の長い日は夜明けと同時にスタート、短い日は宿の朝食を頂いてから出発、遅くとも日没までには次の宿に入る、といった、ざっくりスケジュール。日照時間が長い6月~7月を選ぶことで、行動時間を確保できました。

 途中、延べ4日間ほど、距離の短い区間を設定し、日程ならびに体力のリカバリー用にゆとりを持たせました。また、金華山フェリーが欠航(その場合は翌週末まで船が出ない)することも想定し、最終盤の週末に金華山に戻れる予備日を設けました。結果的には、野蒜のびる‐塩釜間の渡し船予約忘れのリカバリに予備日を使うことになりました。

距離は乗船区間も含む。野蒜ー塩釜間は渡船予約を忘れて最終日に。

三陸の海

 みちのく潮風トレイルの最大の特徴は、海岸線を辿るルートであることです。今回は南下ルートでしたので、常に左手に海を見ながら歩き、走り、登る日々でした。特に北三陸は、断崖の縁を進むことが多く、木々の隙間から青い海が見え隠れ、潮騒が聞こえ、海からは涼しい風が吹き、時々岸辺に降りて波と戯れる、といった具合で、本当に世界に誇れる素晴らしいトレイルです。中でも北山崎自然歩道と、重茂半島は、距離が長く体力的難度も高いのですが、絶景の連続で、何度でも行きたいルートです。

断崖を登って下って
アカマツ林越しに海を見ながら
洞窟を抜けて隣の浜辺へ(要ヘッドランプ)
重茂半島の秘境 種刺海岸

 重茂半島を過ぎると、林道やロードが増えて来ます。北部とは対照的に、穏やかな湾を眺めながら、比較的平坦な道を淡々と歩き、漁港や砂浜を巡ります。

大槌の静か海岸
宮城に入ると磯も穏やか
石巻から亘理まで、海に沿って運河が続く
閖上の手前 延々と続く砂浜

極上のトレイル

 海も良いのですが、トレイル自体も楽しめるのも、みちのく潮風トレイルの魅力です。北部は手つかずの自然に入り込む、登り下りが激しく、藪漕ぎも覚悟の、文字通りワイルドな道。カモシカが平然と歩き、熊も猪も出てきます。南部に入ると、古道を巡るルートとなり、歴史を感じさせる趣のある道になります。長いロードも増えるので、そこは瞑想しながらやり過ごすしか無いですが。

蕪島から種差海岸へ
藪漕ぎ有り
カモシカや
二ホンジカ有り
古道 三陸浜街道を往く
離島に咲く山百合の道
福島県境の田んぼ道

三陸を食べる飲む

 今回は、1日だけ除いて全て宿泊。半分は民宿、他はゲストハウスやホテルを利用。昼間は落ち着いてお店巡りをする機会が少なかったのが残念でしたが、夜の食事には恵まれました。特に、民宿の料理は、お値段の割に合わないほどの、目の前の海で捕れた新鮮な魚介てんこ盛りの夕食にびっくり。これで1泊2食で8500円とか、7000円とか、とにかく安すぎでした。

種市はまなす亭 ほや尽くし
グリーンピア三陸みやこ ウニ丼
波板海岸さんずろ屋 イカの肝焼き、マンボウ、アジ塩焼、キンメの煮付、銀鮭、ホヤ、どんこの肝和え、等
さんずろ屋の元祖磯ラーメン
大槌民宿あかぶ タコ、ツブ、ホヤ、マグロ、山盛りのウニ、イカ、カキ、タケノコ、等々
鵜住居 宝来館
三陸とまり荘 タナゴの煮つけ、カレイ煮つけ、銀鮭焼き、ホヤ、タコ、イカ、ハマチ、カキの吸い物
とまり荘の朝 越喜来湾で捕ってきたばかりの活ウニ
鮎川あゆかわ荘 ホタテとアワビ焼き、ホタテとヒラメ刺身、肉大盛のすき焼き
網地島汐亭 メバルの煮つけ、まぐろ、タコ、アワビ、鯨ベーコン、塩ウニ

 昼夜問わず、飲める時は飲む、を貫いた旅でしたが、26日間では、まだまだ飲み尽くせません。今回の「下見」を参考に、次の機会はゆっくり三陸を飲み歩きたいです。

スタート前夜 八戸は飲み屋の数は人口比で全国一
トレイルサポーターのお店 八戸 洋酒喫茶プリンス チャージ無し カクテル1杯500円
久慈市情報交流センターYOMUNOSUでハンバーガーとべアレンビール
宮古 寿司うちだて
大槌駅前の屋台村にあるジャズ喫茶クイン
父親の遺志を娘が継いで再建
釜石 ジャズbar Town Hall
女川 ガル屋beer オリジナルクラフトビール有り
三陸では無いですが、塩釜 Argon Brewing

出会った人たち

 八戸の洋酒喫茶プリンスのマスターに始まり、立ち寄ったお店や宿の方、すれ違ったハイカーさん達、最後は松川浦環境公園の管理人まで数十人、トレイルに関わる多くの人と話す事が出来ました。
 その中でも印象的だったのは、南三陸への途中、田束山の麓にトレイルオアシスを建設中の佐藤さんと斎藤さん。失礼ながら、本当に何も無い延々続く苦しい上りのロードの途中に、水場やトイレ、休憩小屋にはピザ窯!まで。桜の咲く頃にはラーメン屋さんを呼んでイベントをやるとか。地道に作業を重ねる姿は、地元の方が田束山とトレイルに寄せる強い思いを感じました。
 もう一人、大槌のジャズ喫茶クインの佐々木さん。岩手で最古1964年開店のお店を、無くなった父親の遺志を継いで2019年に再建。隣駅の鵜住居でラグビーの試合がある日は、昼から飲める唯一のお店で賑うそうですが、訪ねた平日昼間のお客は私だけ。ビールとハイボールを頂きながら、再建に尽くしてくれた方々と佐々木さんの決心の経緯を、明るく語ってくれました。
 どちらも、物理的には「何もない」ところから、トレイルや昔のお店を想う人たちの情熱によって何かが作られていく、そんな過程を見せてもらいました。

田束山へ向かう途中の「トレイルオアシス」建設中
ジャズ喫茶クインのレコード盤は長野県の方からの寄付

震災を語り継ぐ

 鵜住居の宝来館では、泊り客向けに語り部を行っています。女将は「釜石の奇跡」とは言わないで欲しい、と言いました。鵜住居の小中学生たちは、いつも教えられていた通りにしただけ。その一方、数百メートル離れた鵜住居地区防災センターでは、その小中学生たちの親族や知り合いが数多く犠牲になりました。「奇跡」とか「悲劇」とかでは無く、ただ「鵜住居で起きたこと」として伝えたいと。

 その8日後、周囲1キロ以内から人の生活の気配が消えた、大川小学校の前に立ちました。まだ早朝で伝承館は開館前。献花台には、まだ新しい花束が二つ。伽藍洞となった校舎は、静かに、ここで起きたことを語っていました。

 大川小学校に限らず、海辺の平地には数多くの校舎が震災遺構として残されています。今でこそ、そもそも何でこんなところに学校を?と勝手に思ってしまいますが、広い校庭を備えた校舎に適した平坦地は海辺に多いのも事実です。鵜住居の小中学校は、高台に再建されていました。山田町では、震災を機に学校を統廃合し、多くの小学生が5キロの道をスクールバスで通っていました。

 防潮堤については、地域によって考えは様々。女川や浦戸諸島では、海が見える町を残す為、高い防潮堤は作らないことを選択しました。女川は、嵩上げを十分に行って眺望と安全を両立させた街づくりを行った一方、浦戸諸島は、津波が来たら逃げれば良いと。他の多くの地域も、防潮堤はあくまでも逃げる時間を稼ぐ為のもの、と言われていました。

 釜石市唐丹町や、大船渡市三陸町吉浜など、明治昭和の津波を機に集落の移転を進め、被害を免れた地域がある一方、今回の震災を機に、海辺に漁業施設だけを残し、部落を丸ごと津波の心配の無い高台に移した地域も点在していました。人口減少と過疎化が避けられない中、トレイルを歩くことで地域に貢献、などと、おこがましい考えでいましたが、今回はただ、ここで起きたこと、起きている事実を知るに止まりました。

明治、昭和、平成の大津波を語り継ぐ石碑
大槌で泊まった民宿あかぶの震災時
大槌町役場跡
「釜石の奇跡」では無く、普段からの避難訓練どおりの行動。
一本松を残して消えた4万本の松原は再生中
南三陸防災庁舎跡
石巻大川小学校 
石巻門脇小学校 裏山の日和山公園に逃げて難を逃れた。
山元町中浜小学校 児童50人が避難した屋根裏部屋まで津波はあと1mにまで迫った。
人が住めなくなった土地に、震災遺構だけが残された光景は、各地に。

体調管理

 1ヵ月近く連続で毎日10時間前後、走り、歩き、登り続ける為には、基礎体力以上に体調管理が重要です。基本は、よく食べ、よく飲み、よく寝る、です。夜明けに出発する時は、水500ml とコンビニでバナナ3本、おにぎり2個、ゆで卵1個が朝ごはん。ゆっくり出発の日は宿の朝ごはんをしっかり摂ります。昼はカロリーメイトを1箱、夜は宿の食事か居酒屋でタンパク質多めのメニューにビール4~5杯。三陸ではどの宿でも新鮮な海の幸が山盛りで、栄養不足にならずに済みました。飲んで食べて、8時過ぎには水分たっぷり摂ってから寝ます。
 
 次に大事なのが、自律神経を乱さないこと。具体的には、朝起きてから、昼に走り歩き、夜寝るまで、常に深呼吸を意識して行うことです。某人気アニメに出てくる「〇〇〇の呼吸」みたいなものですね。クシャミをしたら深呼吸、熱っぽかったら深呼吸、腰の痛みに深呼吸。体調不良は、自律神経の乱れであり、それさえ防げれば1000キロ24日間も無事に歩き通せる、という仮説を立て、今回実行しました。結果として、持病の帯状疱疹も発症せず、無事に健康体を保てました。

 朝起きて、まずは軽くストレッチと全身をスキャン、少しでも不調な箇所がありそうなら、その部位を意識しながら深呼吸、セロトニンの分泌を促し、副交感神経を高めつつ、カラダが「回復」モードになることをイメージします。行動中も、ちょっとでも後ろ向きな気分になれば、やはり深呼吸。例えば目の前に長い登り坂が現れたり、胃のムカムカを感じたり、延々と舗装路を何時間も歩かなければいけないと分かったとき、一度立ち止まって、鼻から深く吸い込み、長い時間をかけて口から吐くを繰り返し、気持ちが整うのを待ってから、再開します。

 走り歩いている最中、苦しくなる瞬間は、大抵、深呼吸を忘れています。旅の後半は、ストックでリズムを刻むことで、深呼吸を楽に持続できるようになりました。深呼吸だけに意識を集中させて歩いていると、「瞑想」状態に入ります。先行きの不安や、過去のこと、とりとめのない妄想は、脳のデフォルトモードネットワーク(DMN)を活性化させ、無駄にエネルギーを消費します。「瞑想」によって DMN の活動を抑制し、脳疲労を防ぐことで、ネガティブな感情を抑え込みます。

 瞑想は、副交感神経を高める効果もあります。副交感神経は、カラダを回復モードに導きますので、心拍数と血圧を抑え、消化と排泄を促進し、肝臓ではグリコーゲン合成酵素が活性化します。瞑想しながら走り、歩きながら、同時にカラダを休めるという、一見、不思議なことが起きます。実際、歩きながらの瞑想が上手くいっているときは、2~3時間の長く単調なロードでも、苦しさ辛さは感じられずに、むしろ、瞑想の時間が長く取れるのが有難いと思うようになりました。

ウォーキングテクニック

 1,000キロの道程は、26日間で 1,545,387歩、1日平均 59,438歩。一番多い日で 91,948歩(ちなみにフルマラソンは50,000歩前後)。とにかく、一歩毎の負荷を如何に抑えるかは、非常に重要です。私の場合は、体重移動、呼吸、ストックワークの3つを意識して、極力下半身への負荷を減らしました。

 体重移動、要は体の重心をどのように移動させるかですが、基本は、歩きでも走りでも、地面からの反発力を効率よく推進力に変換できる位置取りとフォームを意識しました(参考となるメソッドはこちら)。前に進もうとするのではなく、体重を靴底に真上から乗せて、床反力を体で受け、ゴムボールがバウンドしながら慣性力で前に進む、というイメージです。登り坂や、階段でも要領は同じ。特に、北三陸に多い階段地獄では、脚筋力だけでは体が持ちません。スクワットのように脚筋力で体を持ち上げるのではなく、前足に体重を乗せて踏みつけ、その反発力を利用して跳ね上がる、という動きを繰り返すと、驚くほど筋力の消耗を抑えることが出来ます。これに両ストックも同時に頭の上から振り下ろして突き刺す動きを加えると、体がフワッと持ち上がります。この方法で、26日間、筋肉痛とは無縁に過ごすことが出来ました。

 呼吸は、体調管理の部分でも触れたとおり、基本は全て深呼吸です。平地では6歩で大きく吸い込み、6~8歩でゆっくり吐き出す。登りでは、勾配によって2歩、3歩、4歩を使い分け。とにかく、少しでもキツイと思ったら、深呼吸1回毎の歩数を減らし、交感神経が高ぶってコルチゾールが分泌されないよう意識し続けました。ここで無理して頑張ると、自律神経が乱れ、最悪、激しい吐き気と疲労感で動けなくなって座り込む、という事態を招きかねません。長距離のトレイルランニングのレースでの経験を活かしました。

 ストックワークについては、私の場合は、脚への負荷を極力軽減させるため、クロスカントリースキーの技術を応用し、積極的に利用しました。平地ではクラシカルのダイアゴナル、緩い登りではスケーティングのラピッド、傾斜がきつければクイック、さらに階段地獄ではダブルポールと、使い分けました。ストックを積極利用することで、脚への負荷軽減だけでなく、荷物(10キロ前後)を背負った状態でも前傾姿勢を保つことができ、上りでも速力を維持できます。トレイルランナーのみならず、ハイカーにとっても実用的なテクニックだと思いますので、冬のクロストレーニングとしてのクロカンスキーはお薦めします(ご参考まで、私のお気に入りはこちら)。

装備

 シューズは NNormal Tomir 1.0 を新調しました。1000キロ超の長旅に耐えられる堅牢性がありながらも、クッション性と、様々な路面状況に対応できるソールを備え、しかもリペアが可能(日本ではまだ準備中)、という条件 で選んだ一足です。 結果、アッパーは無傷。普通のトレランシューズなら1000キロ持たずに前足の屈曲部が破け始めるのですが、この頑丈さは驚異的でした。ソールは一部ミッドソールまで剥き出しになりました。アスファルトのロードが多かったので、これは仕方ないかと。ビブラムソールは張り替えてくれるはずなので、日本でも開始され次第、修理に出したいと思います。クッション性も問題なし、「ふわふわ」でも「びょんびょん」でもなく、踏み込んだ足をしっかり受け止めてくれる安定感がありました。

旅の前のレース2本含め、合計1,400キロに耐えた NNormal Tomir 1.0

 ザックは、Black Diamond DISTANCE 22 を新調。事情があって旅の途中でパソコン使ってプレゼン3回。その為に大容量のトレランザックを買い、肩紐部分はタオルで補強。それでも12日目には肩紐が破けてしまい、安全ピンで修理し、なんとか最後まで持たせました。10キロの荷物で山を何日も駆け下りたりするには、やはりトレラン用ではなく、登山用じゃないと厳しいようです。

破けた肩紐を安全ピンで応急処置

 地図アプリはジオグラフィカを使用。オフラインでも使えて、バッテリ消費も少なく、シンプルで使いやすいアプリです。それでも道中で写真を撮りまくり、SNSをチェックし、現在位置をアプリにばかり頼っていたら、スマホの電池が1日持たなくなりました。モバイルバッテリーも持っていましたが、どうやら経年劣化で十分な電圧が出せない状態で、スマホへの給電が出来ず、最後はスマホに頼らず、紙のトレイルマップで旅を続けました。モバイルバッテリーの寿命には要注意ですね。スマホの電池切れ、故障、紛失に備え、やはり紙地図は必携と痛感しました。

 レイヤリングは、Finetrack のドライレイヤー の短袖長袖各1枚、その上に Tシャツ、下着はユニクロのエアリズムボクサーブリーフの上にランニングパンツ、靴下は Finetrack ドライレイヤーの上にランニングソックス2枚重ねもしくは登山用の厚手ソックス。この他に防寒用に長袖フリースとロングパンツと薄手タイツを持参。毎日宿で洗濯することを前提に、着替えは1着のみとしました。7月まではブヨも出ないので、暑い中を長袖で歩くことは避けられました。やませの寒風も今年は吹かなかったようで、フリースは無用でした。

装備一覧

危険回避

 ヒル除けに持参したアウトドアショップのスプレーは、牡鹿半島や金華山では全く効果が有りませんでした。女川から牡鹿半島の山中に一歩足を踏み入れた途端、片足5,6匹、両足で10匹のヒルが這い上がって来て、パニックになりました。結局、靴裏で引き剝がし、ストックで振るい落とし、最後は指で摘まんでポイ。トレイルに入る度に、30秒に一回は足元を見て靴に張り付いていないかを確認し、見つけ次第排除、の繰り返し。この時ばかりは深呼吸も何もありません。アドレナリン全開で精根果てました。後日、石巻の、東日本大震災メモリアル南浜つなぐ館で、実証済のヒル除けを紹介していただきました。

現地お墨付きヒル除け、医薬品なので薬局でしか買えません。

 熊対策としては、熊鈴とペッパースプレーを持参、いつでも「撃てる」よう腰にぶら下げていました。実際に遭遇したのは、山田から波板海岸の間、船越半島の林道でした。かなりしつこく熊鈴を鳴らして進んでいたつもりでしたが、20メートル先で逃げていく熊の後ろ姿を見ました。以降は、熊鈴だけでなく、ストックを打ち鳴らしたり、ガードレールを叩いたり、退屈なはずの林道歩きも、結構忙しくなりました。

船越半島の林道入口、この先で熊に遭遇。

 道迷いについて。みちのく潮風トレイルは、割合にマーキングはしっかりしていると思いますが、一部、雑草に埋め尽くされて、地面に散らばるマーキングテープの破片を頼りに進まなければならない部分もありました。また、トレイルよりも立派な枝道があったりして、油断すると数キロ引き返す羽目になることもしばしば。スマホで位置確認、マップで分岐点のチェックは、特に山道ではマメに行い、迷ったら、ためらわず引き返す、の原則を徹底しつつ、焦らず、ルートファインディングも楽しむぐらいのゆとりが大事だと思いました。

マーキングテープの破片を頼りに、藪漕ぎ。

 今回は、やませが吹かなかったので、低体温症の心配はありませんでした。その代わりに暑さは、東北とは言えそれなりの厳しさでした。深呼吸で暑さのストレスを制御できても、脱水による熱中症を避けることはできませんので、水分補給は徹底しました。トレイルに入ると、水の補給が出来ない区間がいくつかあります。水場や自販機を見つけたら必ず補給するつもりでいないと、最悪はリスクを冒して沢の水に頼ることになります。特に、陸中中野から久慈までの区間は、侍浜にあった温泉施設やキャンプ場が閉鎖された為、10キロ近く水場が有りません。重茂半島も同様に長いので要注意です。

最後に、いろいろ思う事。

 26日もあると書き尽くせないことだらけですが、今回はこの辺で締めさせていただきます。今回は、自信のカラダでいろいろと実験するのが目的の一つでしたので、その点では成果は得られたのですが、本来、みちのく潮風トレイル憲章によれば、そんな実験の為ではなく、「自然と人の共生を示す象徴の道」として存在します。

当初の目的の3つ目、地域との交流を通じた復興への貢献は、中途半端で終わりました。今回を含め、5年間で6回、このトレイルを部分的に訪れました。町の様子は少しづつ変わっています。新しい道路、お店や施設が出来る一方、無くなってしまったお店も。しかしトレイルの美しさだけは、変わらずです。何度でも訪れて、町の変化と、新しい出会い触れ合いを楽しみたいです。

 今は失業中の身で、それゆえに26日間も遊び歩いていられたのですが、この先も、何等かの形で、みちのく潮風トレイルを含め、全国全世界のトレイルを歩き、走ることに関わる仕事を探してみようと思っています。その時は、今回トレイル上で知り合えた方々に、またお世話になるかもしれません。

 また、この note を通じても、トレイルに関わる人たちと知り合えたら良いなと思います。

先蕪島付近の夜明け
波板海岸さんずろ屋の朝
田代島は猫の楽園


以上、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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