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【ロック暴論無し】バンドマンがメンバーと「仲良くしよう」とするな

表題の通りなんですけど、
仲良くなっちゃいけないわけじゃなくて、「プライベートで仲良くしようと試みる」ことはメンバー間でズレを生んでしまうことがあると言うか、
音楽ってそうじゃないでしょ。と僕が言いたいだけと言うか。

趣味で音楽をされてる方はそりゃ極力嫌な気分になりたくないでしょうから、コミュニケーションの場として仲良くなるイベントを小刻みに開催するのはいいと思うんです。
頻繁にご飯に行くとか、遊ぶとかね。
でもプロを目指してる方とか音楽を感じて何かを志している人がプライベートでの仲の良さを主軸に考えちゃうと、根本的な目的がズレると思うんです。
なぜメンバーがあなたと一緒に演奏するのかを考えると、「お互いが自分たちの曲を完成させるのに必要なメンバーだから」だと思っています。
と言うより、そうであるべきじゃないですか?
そして、そのメンバーってプライベートでの仲が良くなれば育まれるかって言われると全然そうじゃなくないですか?


⭐️「仲が良い」って何?ちゃんと考えたことある?

音楽をやる人がメンバーと仲が良くなるきっかけって、「音」「生活」「魅力」の3つじゃないとうまくいかないと思うんです。この3つが揃ってないと、「仲の良さが原因の弊害」が出てくると思っています。

例えばプライベートですげえ仲のいいやつが作曲者で、でもそいつには音楽の才能もないし特に魅力もなくこれと言って面白い生活もしてない。
そいつが自信満々に新曲を送ってきたけどマジでゴミすぎる!
って時、ゴミって言えないでしょ。
すげえ仲良い奴相手に。
自分の一言で空気悪くしちゃうかもしれないし、遊び相手いなくなっちゃうかもしれないし。

今の例は極端ではありますけども、様々な場面でそう言った「音楽に正直になれないタイミング」が少しずつ増えていってしまうと思います。
そう言う小さなズレが積み重なって、所謂方向性の違いってやつが生まれるわけです。

じゃあ仲が悪ければ言いたいこと言い合えて音楽が良くなるかって言われると、そうじゃないんです。
仲が悪いのは普通に喧嘩して解散します。
あくまで「仲の良さ」は良い音楽を作る上で確実に必要な要素です。
問題は「なぜ仲が良いか」ですね。

⭐️「友達として仲が良い奴」と、「バンドメンバーとして仲が良い奴」の違い

あなたが自分のバンドメンバーの話をする時、
「あいつはいつも自分と遊んでくれて、飲み会とかカラオケとか頻繁に行ってて、彼女の誕生日プレゼントとか一緒に買いに行ってくれるんだよ」
と紹介するのと、
「あいつの出す声はめちゃくちゃ独特で音楽に対する嗅覚が良くて、あいつの作ってくる曲が全部好きなんだよね」
と紹介するのどちらが良いですか?

どちらもメンバーと仲が良いことは伺えますが、「バンドメンバーたるもの」と言う音楽に対する信頼と説得力が全く違います。
コミュニケーション不足なバンドにありがちなのが、「仲を深める為に遊びに行こう」とか、「ご飯を食べに行こう」とか、
とにかく一緒にいる時間を増やして音楽のコミュニケーションを取ろうって言う発想なんですけど、
それやればやるほど逆効果です。
前述した通り、プライベートで仲が良くなる程言いづらくなります。
相手がいい奴に思えてきて、いい奴を傷つけたくないから自分の意見を押し込めるようになります。
これは一般的な日本人の倫理観を持ってる方は全員そうなります。相手を敬う文化がありますから。
あくまで音楽家は、音でコミュニケーションを取らない限り言いたいことがはっきり言えなくなってしまうんです。
一緒にいる時間を増やすのではなくて、一緒に一つの音楽に触れて考える時間を増やさないといけないと思うんです。


⭐️「友達」と「バンドメンバー」とでは、向けられた言葉が一緒だったとしても捉え方が変わってくる


バンドメンバー間でお互いの音への信頼がある場合、
その信頼と矛盾した事をされたら純粋な疑問として指摘したくなると思いますし、言われた方も指摘を受け入れることができると思うんです。
なぜならそもそもお互いに音に対する信頼があるので、「自分のことが嫌いで言ってるわけじゃない」と直感することができるからです。

でも人間的な信頼(この場ではプライベートで仲がいいだけの場合という意味です)を置いている場合、
音に対する議論をしたところでお互いが気を遣って思った事を素直に言えなかったり、言ったとしても嫌味とか妬みとか、負の感情で囚われがちです。
なぜならバンドメンバーに音への信頼がないからです。
ご飯やゲームの最中いくら音楽の話をしても、音楽の話をしやすくしようと頻繁にコミュニケーションの場を設けても、
実際に触れていないと相手の気持ちを直に感じれないのが音楽です。
性格と感情が、その人が出す音にどんな影響を与えるかはある程度楽器を続けていれば理解できると思います。
よって、「プライベートで一緒にいる時間を増やして音楽に対するレスポンスをしやすくしよう」と言う考えは、根本的な「音楽的コミュニケーション不足」と言わざるを得ません。

例えば「そのフレーズあり得ないね」
この一言を友達に言われた場合と、音に対して信頼を置ける人に言われた場合どうですか?
友達に言われると俄然腹が立つか落ち込みますよね
でも音に信頼を置いてる人に言われると、「こいつが言うならそうなのか」と冷静に見つめ直せる可能性が高いと思うんです。
「仲が良い理由」が違うだけで、言葉が音楽に与える影響は大きく変わってくるのです。

⭐️仲の良さを履き違えない。
僕達は腐っても音で繋がってないと、本当の意味で仲良くはなれない特殊なグループの1人


仲良くなろうとしてROUND1行ったりカラオケ行ったり。
もちろんいいんです。普通に友達として、メンバーとして。楽しみを共有するのはいい事です。

でもそれをコミュニケーションの主軸にしちゃいけない。
僕達は音を言い訳に社会に抵抗する権利を持つし、変わり者でも許容される、
自堕落で傲慢なナルシストです。
そんな変な奴らの集まりが、一丁前に普通の人と同じように人と遊ぶだけでずっと崩れない関係を築けるなんて甘いこと考えちゃいけません。
僕らはずっと音で会話して、音で仲良くなって、音でぶつからないと本当の意味で仲良くなることはできない王道の青春スポコン漫画のような世界にいるんです。

もちろん僕が今回言ったのは綺麗事で、音楽に絶対の信頼を置いてたとしても言い方一つで「それでも無理」となるパターンは多々あると思います。
でも、その「それでも無理」に込められたすべての恨みとか憎しみとか、
そんなしょうもないことすら音楽は肯定してくれて、美しくしてくれるじゃないですか。
だからみんな音楽がいいと思えるわけじゃないですか。
人の感情の歪さなんて、音楽からしたら材料の一つに過ぎませんよ。
と言うか「それでも無理」なんて褒められてるようなもんです。
「音楽はいいけど人的に嫌で一緒にいれない」
って、音楽は認めてもらってますから。
「あいつマジで無理」って言われちゃダメです。人格が音楽の良さを歪めるほど嫌な奴になっちゃうと、お客さんも周りの人も肌で感じますからね。

「それでも無理」。
僕は人格的な面を幾つか捨ててるので、どうせ悪口言われるなら是非言われたい一言ですね。
みんなで目指しましょう。


⭐️おまけ


SNSにやたらメンバーとご飯に行った写真をあげてるバンド、解散か脱退手前です。
ちょっとバンド内に不満を持ってる人って、
メンバーにその不満を悟られないように「不満対象に見えるように自分達は仲良いアピールしがち」なので。

まあ口ではなんとでも言えます。
難しいですよね
僕はコミュニケーション、本当に苦手です。
もう少し器用になりたいです

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