kei@卓球指導者

福井県フェニックス卓球クラブで指導をしている卓球コーチです。今後使うことが出てくるかも…

kei@卓球指導者

福井県フェニックス卓球クラブで指導をしている卓球コーチです。今後使うことが出てくるかもと言うことで、まずは登録してみました。基本、卓球のことが多いとは思いますが、他のスポーツやゲームなど幅広く気ままに書いていくので、よろしくお願い致します。

最近の記事

日本一になった時の話。11

最終日の初戦、準々決勝は、強豪のT伸クラブを倒してきた同志のFSでした。昨年同様に朝からひと汗かいた状態での試合で快調に滑り出し、3-0で勝利。 続く準決勝、当時の東アジア代表Aさんと、後の有名人Mリーナ、更に静岡に進学するNさんと3枚揃ったMKB卓球スタジオと対戦。正直、このチームも優勝を狙っており、メンバー的にも優勝候補筆頭だったと思います。私自身も、この準決勝が今大会の実質決勝だと考えていました。 1番で娘対Aさん、2番でO藤対Nさん。O藤が勝って1-0。1番はなん

    • 日本一になった時の話。10

      いよいよ全国ホープスが開幕。事前準備は完璧で、大会期間中は拠点にさせていただいたM中学・高校のおかげで朝のみならず、色んな体の負担も軽減させてもらった。 実はこの当時、福井県は2チーム出場することが可能で、Bチームも正直強かった。もっと言えば、AチームとBチームのメンバーをギリギリまで悩み、H塚とは意見が割れながらも最終的に私が決めたメンバーは、O藤とクラブ選手権でも活躍のN江、残りは全日本HCBに出場出来なかった娘と姪っ子を選択。全日本HCB通過の2選手をBチームに回した

      • 日本一になった時の話。9

        さて、史上2チーム目のアベック優勝を果たし、私達のクラブは方向転換に成功。H塚も私も、クラブに対する不満も、忘れる良いきっかけになってくれました。そして、昨年準優勝で、今年は必ず優勝すると決めていた全国ホープスの1ヶ月前で、とても良い結果が出て、全国ホープスにも凄く良い気持ちで入れました。 東京で行われる全国ホープスで、非常に大事なことがあります。昨年準優勝した理由の一つとして、他のチームは9時から開場で、15分しか練習できずに9時半から第1試合が始まります。初日や2日目の

        • 日本一になった時の話。8

          男女4番が同時進行でしたが、若干早く男子が優勝を決めた。 その裏で女子の4番は状況的に不利。相手は東アジアホープス代表のカットマン。対するうちの選手は小さくて速攻型のカットうちに不向きな選手。この後の5番の中学生は、やってみなきゃ分からないものの向こうの方が強いと思うと、尚更この4番にはプレッシャーがかかる。 バックに表ソフトを貼るうちの選手は、前半思うように試合をすると、どうしても威力の無いフォアドライブでミスをさせられるので、展開もあまり良くない。そこで1ゲーム終了後

        日本一になった時の話。11

          日本一になった時の話。7

          私達の精神状態がぐちゃぐちゃの中、選手もそんなことは全く知らずに頑張ってくれました。 男子は予選で優勝候補筆頭を2-2の末に撃破してくれ、あれよあれよといううちに決勝に。そこで対戦相手がまさかのMラボ。正直、中学生は分が悪かったのですが、小学生でうちが少し優位に立っていたことで、ダブルス勝負になると予想。 女子は、決勝で大会史上初の4連覇を狙っていたMラボを破ったSジュニア。準々決勝でBチームと当たりましたが、正直Bチームでも強かった。 こちらもやはりダブルス勝負かなと思

          日本一になった時の話。7

          日本一になった時の話。6

          ずっこけ日本一からしばらく、優勝に縁が無く、2位や3位にはなるものの今ひとつと言う感じでした。 そこから5年後になるのか、神奈川でクラブ選手権が行われました。 ARI卓球スタジオにも大変お世話になりました。 この時、女子では同県のMラボが3連覇してたと思います。4連覇も視野に入っていて、全国ホープス優勝トリオが中3で万全だったMラボですが、準々決勝でまさかの敗退劇。 Mラボを破ったのは同じ北信越の雄、Sジュニアでした。この時、小学生には東アジアホープス日本代

          日本一になった時の話。6

          日本一になった時の話。5

          さて、次のお話しです。 初めて日本一を取った徳島選手達の次の年、青森で全日本クラブ選手権が行われました。この青森大会は、一般チームや私自身も二部で出場するということで、総勢30名くらいでバスをチャーターして12時間の移動を行った記憶があります。 私達大人は本当にこういった遠征は楽しいですが、一応前年度チャンプとして連覇を狙いに行くことが普通です。しかし、この年のメンバーは昨年に比べて弱かったので、優勝するなんて正直思っていませんでした。笑 私達一般は、すぐに敗退しました

          日本一になった時の話。5

          日本一になった時の話。4(裏話)

          昨日の優勝を決めた徳島選手。そして同チームだったK住選手は、Kスポ少出身であったこともあり、真っ先に監督のYさんに電話をして報告をしました。「Yさんの教え子が日本一を取りました。本当に有り難うございました。」と電話したらまぁまぁ嬉しそうでした。 そして、この大会、女子も実は3位入賞しています。当時山口県の中学校名物指導者であるO氏が率いるTスポ少。このチームに惜しくも敗れました。このチームは確か4連覇を達成するのかな。 この女子チームの柱がK澄とM奈。 実は今大会、福井県

          日本一になった時の話。4(裏話)

          日本一になった時の話。4

          さて、タイムアウトでの秘密の会話。 あれだけ状況をひっくり返したストップを捨て、フリックをするよう指示をするために、7-9から2点取って流れの良い時にわざわざタイムを取ることなのか。H塚の言うことの方がごもっともなんです。 徳島選手には9-9だから一番やってはいけないのがレシーブミス。ゆっくりでも良いから相手につながせれば良いだけ。行けるか?と聞いたら、はい!と返ってきたので、徳島、頼んだぞ!!と送り出しました。 タイムアウト明け、予想通り短いサーブがバック前に来ました。

          日本一になった時の話。4

          日本一になった時の話。3

          さぁ、舞台は整い、5番が始まりました。 2を参照していただくと分かりますが、1番であっさり0-3で負けている試合です。そして、今日は舞台裏の話しを全て出したいと思います。 徳島選手が会場の外に出て、H塚と何を話していたのか。 実は1番の試合をH塚がずっと分析していました。彼も日の丸をつけて海外で試合をした経験のある人間で、相手の弱点を見つけるのがとても得意でした。そこで見つけた相手の弱点を徹底的に突くように話をしていたのです。 そしてこの時に彼が準備した弱点は、台上でし

          日本一になった時の話。3

          日本一になった時の話。2

          一回目の日本一、クラブ選手権の準決勝、○田卓球クラブとの試合が、1-2で後の無い状況になった所までが昨日の内容でした。 4番はうちの小学生が勝ってくれても、5番でまた1番と同じ対戦。絶体絶命の時に私が取った行動は、同僚のH塚に、会場の外に徳島選手を連れ出させて、1番での対決を観てH塚ならどうするのかという戦術をとにかく話ししてきてくれと。4番が始まったと同時に連れて行きましたので、20分くらいはずっと話していたと思います。 そして、私たちの望みを4番がつないでくれて、5番

          日本一になった時の話。2

          日本一になった時の話。1

          私は過去に、フェニックス卓球クラブとして団体戦で8個の日本一金メダルを持っています。恐らく、クラブチームの指導者として、団体戦での金メダルを8個持っているのは他にいないんじゃないかと思います。 よくどの金メダルが1番嬉しいかと聞かれたりしますが、正直この8回の金メダルで僕は4回泣いてしまいました。笑 正直みんな嬉しく、どれが1番とかはないのですが。 8個の金メダルの中で私が涙を流した4回を連載したいと思います。 一個目の金メダルは現セナタクのコーチをしている徳島選手が中三

          日本一になった時の話。1

          嬉しい出来事。

          昨日、ゴールデンウィーク明けからの活動について、会社でzoomを使ったミーティングを行いました。 福井県では、4月25日~5月6日まで休業要請が発令されたため、クラブも休ませていただきました。緊急事態宣言が延長されたことを受け、福井県がどう対応するのかに注目していました。 福井県では5月6日現在で、8日連続の感染者0。ただし、まだ油断できる状況では無いと言うことで、5月20日まで休業要請は延長されることになりました。 しかし、5月11日以降、休業・時間短縮の協力要請を解除す

          嬉しい出来事。

          自分の性格。

          今日はちょっと卓球とは関係ない自分の性格について。 前の記事にも書きましたが、私は基本石橋をたたいて渡るような性格です。これはかっこよく言うとそうなりますが、臆病で気の小さい人間だと言うことです。 そのくせ、色んな事に興味を持ち、好奇心だけは人一倍あって、体の大きな子供のような人間です。笑 昔から、人前で何かやることが苦手で、基本人見知り。ですので、友達になるまでに時間がかかり、友達が少なかった時期が長かった。 そんな私を今のような人間に育ててくれたのがやはり卓球です。

          自分の性格。

          特殊能力。6

          昨日までが特殊能力という部分ですが、今日は更に1年後の未来を予言するという最終章に入ります。 私の経歴の中に、全国ホープス2連覇というのがあります。 初優勝の時には、私は確信を持って試合に挑みました。 意外に知られていないのですが、その前年に準優勝しています。 その準優勝の瞬間、1年後は必ず優勝すると口に出して宣言するようになります。 実際に準優勝の年は、メンバー的には6年生1名、5年生2名、4年生1名。このメンバーで優勝できるとは正直思ってなく、ランクくらいを目指してい

          特殊能力。6

          特殊能力。5

          昨日の投稿は、理解しがたい状況で、霊感的なものが基準になった予言でした。 この私の初采配だった国体で、16年ぶりに国体1勝となったわけですが、次の年にはブロックを2枠しか通らない厳しいブロックが待っていました。 この時の選手は、昨年も活躍してくれたM大のN尾選手、大学1年目のS大のT島選手、私のクラブ所属のT下選手と2名もの選手が入れ替わりました。 北信越は強豪Y学館OBで形成されている石川、O市役所の実業団選手を擁する長野と2位以内に入るにはかなりつらい状況。 組み合わ

          特殊能力。5