相手を、多様性を受け入れる
こんにちは!あいでんです。
昨日の記事を挙げて一夜が明けましたが、多方面からご意見をいただいている。目の行き届く範囲はすべて目を通した。
ありがたい。こんな大学生のブログを見ていただき、意見までいただけるなんて非常にありがたいことだ。
もちろん、ポジティブ(この表現自体がすでに正確ではないが)な意見だけではなかった。厳しいご意見もいただいた。
今回の一連の件を客観的に見ていきたい。整理をしておきたい。なぜかはわからないがやらなければいけないことな気がした。
でなければ、このモヤモヤがきっと晴れない。成長がない。
だから今回は客観的に、バイアスや感情を限りなく除いて整理していきたいと思う。
もし、またご意見がいただけるのであればそれ以上に嬉しいことはない。
そんな気分ではないけれどルーティーンなのでいつものやつから始めます。
それでは、、、いってみよっ!
多様性を受け入れる
あの人が主張していた(したい)ことの本質は違う視点から見れば恐らく正しい。だからどっちが正解なんて議論はそもそも無駄に等しい。
あの人にはあの人の、自分には自分の価値観がある。
そのことに対してどっちが勝者でどっちが敗者かなんてことは、法や倫理観に触れていなければ存在しないに等しい。
時に時代にそぐわない考え方やマイノリティな意見も存在する。
それらは組織として考えると場合によっては統一に等しいモノが必要になるかもしれない。しかし、個人レベルで見ればどうだろうか。
そんなものは必要ない。それが個性になるからだ。それが自由だ。統一するなんて、それこそ私がたびたび例にする”量産型ザク”の製造元ではないか。
結局のところ、知人が卑下されたなんだと取ってつけた理由を使って自分を正当化したかったのだ。
自分を、自分の信じているものを認めて受け入れて欲しかっただけなのだと気づいた。
そのことを拒まれて駄々をこねる子供のように怒りに身を任せたわけだ。そしてそのことをさらに正当化するために”よしよし”してくれそうなブログにそのことを書いた。
おぞましい。客観的に見れば卑劣すぎる行為だ。
当の本人は、内容はどうあれ全体の前で自己主張がをしたというのに私は陰口だ。
やはり私はまだ子どもだ。
そしてこれは子どもだからと許される話ではない。
しかも来年には社会に出る身だ。そんな甘っちょろいことは言ってられない。
当然だが、これから先もっと多くの価値観に触れることになる。
多様性に溢れた社会に出て、多様性に触れる機会が増える。
講義や本では「ダイバーシティ(多様性)がこれから大事!」といった旨の話を見聞きするが、まだ私は本質的な部分を理解をできていなかった。
強い紐帯からはクリエイティブな発想は生まれにくいという話を以前聞いたことがある。つまり居心地の良い場所でよしよしされてても意味がないということだろう。
弱い紐帯=多様性から新たな発想が生まれるとしたら、許容する重要性が如実に現れる。弱い紐帯と触れ合うことで視野が広がるということだろうか。
ゼミでよく言われる「外(社会)にもっと出なさい」という発言も多様性に触れて自分の視野を狭めないためかもしれない。居心地の良い環境にいすぎてもよくないと。
ではどうしたら多様性を受け入れることができるのか。
それは相手を尊重することにあると思う。
自分自身が驕らないことだ。以前「プライドは高くなってはいけない」と記事を書いたが、自分が一番高くなっていたのではないか。
余談ではあるが、私が尊敬する友人の一人に変態的な思考でよく評価をされている人がいる。しかし私は、こういった人間的な器の広さというか寛大さ、当たり前のことを当たり前にする人間的な部分を高く評価している。
プライドがないことはないのだろうが、プライドが高くなり驕り高ぶっている姿を私はまだ見たことがない。
あんな感じの人は大人を含めた私の周りにもそういない。
私は彼から学ぶことが多いように感じる。日々精進だ。
さて、話を戻そう。
多様性を受け入れるためには相手を尊重することだと思う。
尊重していれば相手の話を受け入れることができる。受け入れるとは鵜呑みにするとは全くの別の話だ。
だから自分の価値観とはそぐわないこともあるだろう。だから否定をしたくなることも時にはあるはずだ。
でもそれは、批判という行為に代わると今回と同じ現象が起こると思う。
尊重していれば恐らく批判ではなく意見交流のようなものになるからだ。
恐らく私の友人ならそうするだろう。改めて彼の姿を思い起こしてみればそういう場で批判をしている姿を見たことがない。いつだって相手を受け入れる。
だからこそ彼の発想は柔軟で奇抜で変態的なのかもしれない。
では最後に今回のまとめなるものをして終わりにする。
今回の件は相手を、多様性を受け入れることができない自分の未熟さ故に起こった。
今後私は多様性を受け入れる姿勢が重要だ。
多様性を受け入れる意義は「アップデートし続ける」ためだ。私が常にアップデートしていたいからだ。
そのためにはお子ちゃまな自分から卒業しないといけない。
停滞することなく、日々精進。頑張れ自分。
今回はこのあたりで終わりにします。
多くのご意見いただきましてありがとうございました!
これを糧に明日からも毎日更新、毎日note 頑張っていきたいと思います。
よろしければこれからもよろしくお願いします。
それでは、また次回!
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