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心を軽くして。

心にもないことは言うべきではないと思っていた。

だから、社交辞令とかおべっかが嫌いだった。

「可愛いですね」とか「綺麗ですね」なんて心にもないこと言う人の神経がしれないと半ば本気で思っていた。

心と言葉を一緒にさせることが生きるためには必要だと、仙人みたいなことを思っていた。

しかし今は、思っていないことでも口に出して言うべきというか社交辞令やおべっかも必要であると感じている。だって、そうした方が誰でも気分がいいだろう。褒められて喜ばない方がどうかしているじゃないか。私は言葉の裏を読んでしまって、何も信じられない気分になることがしばしばあるのだが、褒められて嫌な気持ちにはならない。

悪口のような皮肉じみた言葉言われたり何もいわれなかったりするよりは、褒められた方が気分がいい。そして、気分のいい方が自分にも好ましいことが起こりそうだ。おばちゃんからチョコレートをもえる確率がはね上がるだろう。

自分のこだわりで本心と言葉の一致を追いかけることに何の意味がある?自己満足なんて、大したものではないのではないか。自己満足する前に、死んでしまう。時間が足りない。それならば、誰かと下らんことで笑う方がよっぽど大事である。思いに引っ張られすぎない。

女は本心とはあべこべの言葉を言う。別れたくない男には、男のために自分には彼氏がいるという。それが本当に男のためなのか、わからない。誰かのためって本当に誰かのためになっているのか。誰に誰のためだとわかるのか。すぐにわからないし、一生わからないのかもしれない。自分の本心と違う言葉で自分を納得させることも大切なのか。

「エール」の大将ときよこさんから学びました。

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