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[小説 祭りのあと(18)]三月のこと~紫紺の帯締めと鶴の恩返し(その1)~

 「先に寝るけぇ、電気忘れずに全部消しといてよ」
 母親に気のない返事をする僕はこたつに仰向けで脇まで深く潜り込み、右手で黒い石を摘んで眺めていた。こたつ板の上には、有紀子さんから石と一緒にもらったお礼のマシュマロの小さな箱が置いてある。

 訳の分からないままこの石を老紳士から受け取って、もうすぐ一年。
 この石を上手く使った発明など、僕には殆どできていない。
 しかしこんな鈍感な僕に、この石は目の前の出来事を好転させるチャンスを教えてくれたのは確かだ。実際に何度も事態をいい方向へと導いてきたのだから。
 そこで結局立ち戻るのが、この石はいったい何物なのかということ。
 この重みと外観から、キャシテライトという鉱石であろうという想定はできた。
 しかしどう調べても、その石が勝手に熱を帯びるなどという記述は存在しない。
 ましてや意志を持って熱を発するなど書いてある筈もない。
 やはりありもしない筈のスピリチュアルな力が、この石にはあるのだろうか。
 それとも僕の単なる思い込み?
 「おい。お前は一体どうなってんの」
 そんなことを尋ねたとして石は答えてくれる訳もない。何も起こらない証拠として氷のように冷たいままだ。
 代わりにヒーターにくっ付け過ぎた膝が異常なまでに熱くなり、僕は思わずこたつを飛び出た。
 障子の隙間から冷たい風が忍び込んだ。一瞬ブルっと震えた後、こたつと灯りの電気を消した。明日もいつもの通り、やってくるのだ。

 「おぉ、鈴屋さん。洋服なんぞ全くもって珍しい」
 大崎さんの声に僕たちが振り向くと、そこには鈴屋呉服店のひろみさんがいた。
 大崎さんが何を感心したのか。
 それはいつも和装のひろみさんが、パステルピンクのスーツを着てきたからだった。当然僕たちもまた声にならない声を一斉に上げたのだった。
 「いや、息子がね。入学祝いだって逆にくれたんですよ。一度も着ないってのも、何ですからね」
 いつもの怖いくらいの張りのある声は鳴りを潜めていた。
 何かが違うなと思ってはいたが、会が始まってもひろみさんはいつものようにズバズバと発言することが一度もなかった。背筋を伸ばして発言者の方に威圧感を与えるような態度も、この日は全くなくむしろ所在無さげにどこか寂しげなのだった。
 攻撃されるのが怖いので、誰もその理由を彼女に聞くことはしなかった。
 しかしそれは先程の彼女の言葉に明確に現れているのだった。
 息子の彰君がもうすぐ旅立つこと。彼女はそれを過剰に悲しんでいた。

 鈴屋呉服店の跡継ぎはひろみさんで、旦那の昭次さんは婿養子だ。
 生活環境も影響しているのだろう。服飾系の専門学校を出たひろみさんは、誰もが認める美的センスの持ち主だ。
 一時は自分自身でブランドを立ち上げ、洋服店を東京で開いていた。だが三十代になる頃に和服の奥深さに魅了され、実家に戻り跡を継いだのだそうだ。
 顔立ちはそこまでではないが、自分自身の魅力を一番引き出す術を彼女は知っていた。和服の着こなしはもちろん、立ち振る舞いや僅かな仕草も計算し尽くされていた。
 それが逆にこの街や商店街からは浮いてしまう原因となった。
 理解されない分、逆に意地を張る。彼女の強気な発言を僕たち商店主は警戒し、常に距離を置いているのだった。
 そんなひろみさんの心の支えだったのが、一人息子である彰君なのだ。
 彼女譲りのセンスの良さと昭次さん譲りの優しさ、恵まれた容姿を兼ね備えた彰君は有名人だった。
 博多に遊びに行った際には、必ずスカウトに次々と声を掛けられた。実際前年の秋にはファッション雑誌にも掲載されたのだ。
 そんな彼をひろみさんは過保護な程に可愛がっていた。僕たちや旦那さんへの不満は口にしても、彼のこととなると褒めちぎる言葉しか出なかった。

 そんな彰君にも夢があった。
 美術部で磨きをかけた彫刻を仕事にしようと、京都の造形専門の大学への進学を推薦で決めたのだ。
 自分自身もそうであったように、親の許から巣立つ季節がいつかはやって来る。
 頭では分かってはいて口では祝っていても、その事実から顔を背けたい思いは隠せない。
 そういった思いが、正直な彼女の姿から滲み出ていた。薄紅色の服がどこか薄幸さを発したのもそのせいだろう。

 「あれ、彰君。それ新品?」
 回覧板を岸時計店に持ってきた僕は、彰君の左腕に光る腕時計を見てそう尋ねた。
 「はい。バイトで貯めたお金で、自分への合格祝いです」
 学校帰りの彼はブレザーこそ着ているものの、すっかり大人の雰囲気だった。
 「そういえば、この前お母さんスーツ着とったけど。あれプレゼントなんだってね」
 「ええ。あれもバイトで貯めてこの前博多で買ってきました」
 「洋服ってまさかのチョイスじゃったね」
 「やっぱりそう思われましたか。僕の狙い通りです。敢えて母さんの趣味でなく僕の好みを押し出してみたんです」
 そういう彼のどこかしらすっきりとしたような表情が引っ掛かった僕は、相変わらず気を遣うことなく彼に聞いてみた。
 「何だか吹っ切れたように見えるね」
 「えっ、そうですか……確かに、そうかも知れんです」
 おや?自分から訊いたくせに、彼からこんな返事が返ってくるとは思いもしなかった。
 「進学先が決まったから?」
 「それもあります。だけどそれよりも……親からやっと解放されることにほっとしているんだと思います」
 解放、かぁ。
 ひろみさんの溺愛が、彰君には重荷だったことを、僕はこの時確信した。もちろん薄々そうなんだろうとは、誰もが気が付いていたのだけれど。

 「多少はそういうこと、誰でも思いそうなもんだけど。そんなに酷かったん?」
 僕のきつめな質問にも、彼はすんなりと答えたのだった。
 「母さんは特別なんです。過保護というより、僕は母さんの専有物じゃったんです。自由にさせてもろうてと周りからはいつも言われていたんですけど、本当は違うんです」
 確かにあらゆる物は与えてもらったのだろう。
 しかしそこには、彼の成長にとって大事な何かが欠けていたのだ。
 「いつまでも僕は子供なんです、母にとっては……もちろん幾ら歳を取ろうが、親子ですけど……身体が大きくなろうと反抗期が訪れようとも、家族以外のもんから影響を受けようとも、僕の変化を母は受け入れんかったんです。頑なに否定するんです。今でもまだ、親の言うことを黙って聞くだけのいい子だとしか、思っとらんのです」

 ん?僕はその言葉に疑問を持った。
 大学は彼の意志で選んだのではないのかということだ。
 そして僕は間もなく、その質問をしたことに後悔するのだった。


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