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一人ひとりが世界そのもの~占いと在り方~③枚目
今この時を生きている人は皆、誰かに支えられ、また、関わり合いの中で生きています。
家族や友人、職場、近所のおじさんや近くのコンビニ店員さん、SNS上の人たち…
本当にたくさんの人達と関わっています。
僕は、私は1人なんだ…
そんなことはありません。
そのお弁当を作った人は?
水道水だってそこに働く人が関わっているから、ここにあるんです。
「自分」から見れば、関わり合うたくさんの人たちは「他者」
雨は優しく降り注ぐ~占いと在り方~②枚目
世の中には生き方や考え方などについて書かれた書籍がたくさんあり、近年では、YouTubeでも自己啓発についての動画が数え切れないほどあがっています。
それだけ幸せな人生や、より良い生き方について考え、学ぼうとする方々がいるということです。
それは特別なことではありません。
「〇〇効果がある〇〇Hzの音」のような動画など、ものすごい視聴数です。
幸せに、豊かに生きる権利は皆平等なんですから。
……
不安が1人じゃないことを教えてくれた~占いと在り方~①枚目
自分はこのままでいいだろうか。
これからどうなっていくのだろう。
何をしたらいい。どうしたらいい。
今の自分って…
誰でも1度はこのように悩み、不安な気持ちになってしまったことがあると思います。
家庭、人付き合い、遊び、仕事、お金…
この世界に生きる以上、必ず自分以外の「誰か」がいて、その「誰か」と共に生き、また別に生きています。
そして、自分の中にはたくさんの誰かがいて、たくさんの誰かの中に
~偶然手にした「ゆとり」がまたひとつ考えを深めてくれた~
僕はこれまで、ゆとりや余裕のある時間を生産性の少ないもったいない時間と勝手に思い込んでいました。
ぎゅうぎゅうに詰め込んだスケジュールに余裕のない頭で、毎日を過ごしてこそ実り多い人生に繋がると思い込んでみたりして…
外出自粛などが求められて久しい。
決して暇という訳ではありませんが、何となく自由な時間が増えました。
仕事が終わると真っ直ぐに帰宅することができる。
寝るまでの間に4~5時間ほど
~マッチ売りの少女の可能性~
むかしむかしの、とても寒い夜のこと。
あたりはもう真っ暗で、しんしんと雪がふる大晦日。
ひとりの少女がカゴいっぱいのマッチを抱えていました。
マッチを売らなければ、家に帰ってもお父さんにぶたれてしまいます。
1日中マッチを売り歩いても、誰も買ってはくれません。
1枚の銅貨を恵んでくれる人もいませんでした。
「マッチはいかがですか。マッチはいかがですか。」
寒さと歩き疲
~今とても1日の重さを感じる~
外出自粛や営業自粛、3密を避けるだけでこんなにも日々の暮らしが変わってしまいました。
新しい仕事や支援の形が生まれ、今後もこの変化の流れは止まらないでしょうと思います。
今日は「支援」について思った自分の気持ちを記録として残そうと思います。
SNSを開くと、「助けて」の声に手を差し伸べるたくさんの方々がいらっしゃいます。
かく言う僕も「応援します」と発信しています。
応援の輪を広げ、日々各地
〜ステイホームには賛成するしかない、ステイ僕になってしまった自分が結構いやだ〜
決して長いとは言えないこれまでの人生の中ですが、ステイを突きつけられたのは初めて。
(インフルエンザにかかっても、世の中は動いていたし…)
今までの望まれぬことと、自分の生業においては、動いて、世の中を少しでも早く元に戻すことが必要とされることでした。
梁川町においては現在も「静」と「動」の両方が求められています。
この中で、新たな「負」の蔓延を絶対に避けるため、「静」の行動をとらなければな
~みんなで乗り切る時代~結の精神は大切だった
数ヶ月前と今では、人の繋がりに対する意識って大きく変わったなと感じます。
仕事などの立場上、色々な方々が集まる場に参加する機会が多く、なんの為にこんなに外に出なければならないのだろうと、このような状況を目の当たりにしなければ今でも心のどこかで思い続けていたことと思います。
手を取り合って、スクラムを組んで立ち向かわなければならない状況です。
僕も誰かの力になりたいですが、あまりにも微力です。
微
~思い出話⑥~ガラケー片手にコンビニの駐車場が職場でした
僕はこれまでマニュアル通りの営業を行ったことがありません。
現職では住宅関連の営業と現場管理を兼任し、年間10件ほど新築の受注をしつつリフォームも受注しています。
HPリニューアルの際は指示書を作成したり、SNSによる発信なども担当しています。
前職では3年目に突然野に放たれた訳ですが、マニュアル通り、ロールプレイング通りのやり方では受注が思ったほど伸びませんでした。
おおまかな流れとしては、
~思い出話⑤~何事も初めの1歩から
この記事を書くにあたって、今になって気付いたことがあります。
思い出話④から続くのは前職の話で、僕が新卒社会人だった頃の話になるのですが、現場職なのか営業職なのか分からずに入社しました。
事業内容は知っていたのですが勝手な思い込みで、営業をするのだと、そう思っていました。
新人研修から戻った翌日、「君は施工班だからこっちで着替えて!(現場作業だよ)」と言われました。
頭の中は完全に営業マンデ
~思い出話④~生きるために「群れる」ことは必要
4月、新年度の始まりです。
僕は15年前に社会人となりました。
初めての社員研修を受けるため、高速道路で新潟へ向かいました。
市街地とは程遠い静かな山間の地に研修施設がありました。
衝撃の研修が始まります。
20名ほどの新卒社員が全国から集まっていました。
そして、全国から集められた一年先輩の社員が数名、僕達の研修を管理するために集まっております。
まず、研修の概要説明を受けましたが…研修では
~思い出話③~「今」は皆に平等に与えられている
僕は昔、甲子園を目指していました。
強豪校とか弱小校とか関係なく、本気で漫画の主人公の如く活躍し、あの舞台に立つために…
少し、いや、だいぶ自分の実力を過信していました。
地元の有名な私立高校からのお誘いを蹴り、県立高校へと入学しました。
中学生のころにドカベンやタッチを受験勉強のふりをして何周も読んだりして。
今思うと改めてゾッとしたりもするのですが、タッチの主人公、上杉達也に憧れて、高校野球
〜思い出話②〜追い求めるのは昔の自分だった
中学校へあがり13歳になった僕は、何の迷いもなく、迷う理由すらなく野球部へ入部しました。
思い起こせば初めての部活動。
これまでものすごく身近に感じていたスポーツ少年団時代の先輩が、まさに「先輩」としてそこにいました。
学校指定のジャージに紅白帽。
僕達はまさに野球部の「一年」。
衝撃でした。
野球をやりたくて入った野球部なのに、来る日も来る日もランニングにボール拾い、声出ししかしていません。
実
~思い出話①~守るべきものを間違えてしまった
23年間続けていることの思い出。
僕は現在33歳ですが、10歳の時にソフトボールのスポーツ少年団に入り、現在まで野球を続けています。
まさに青春の全てを捧げました。
「かずひろの記録」として思い出話を書き記していこうと思います。
着地点が見えないスタートになりますが、よろしければお付き合いください。
10歳のある日、友達が家に突然やって来て、「キャプテンが呼んでるからグローブ持ってついてきて!