〜思い出話②〜追い求めるのは昔の自分だった

中学校へあがり13歳になった僕は、何の迷いもなく、迷う理由すらなく野球部へ入部しました。
思い起こせば初めての部活動。
これまでものすごく身近に感じていたスポーツ少年団時代の先輩が、まさに「先輩」としてそこにいました。
学校指定のジャージに紅白帽。
僕達はまさに野球部の「一年」。
衝撃でした。
野球をやりたくて入った野球部なのに、来る日も来る日もランニングにボール拾い、声出ししかしていません。
実質2年半しかない中学校野球部の生活の中で、3ヶ月もこのようなことを行っていました。
今の中学校の野球部は詳しく知りませんが、野球部なのに野球ができない環境なら迷わず去りなさいと言いたい気持ちです…

僕が在籍していた2年半の間に、この古き風習は変わらなかったし、変えることもしませんでした。
僕は今、社会人草野球の監督となりましたが、チームのメンバー全員が高校野球や大学野球の経験者という訳ではありません。
主力として頑張っている選手には中学野球までの野球歴で、周りの経験者に負けず主力として活躍している選手もいます。

しきたりや風習、伝統を重んじることを僕は悪いとは思いませんが、何をするためにここにいるのか、現状はどうなのかを感じ取り、取捨選択する強さの大切さや、自分の気持ちのベクトルが本当はどちらに向いているのか正しく読み取って行動できる選手が1人でも多くなることを願っています。

高校野球、最後の夏の涙を見て思うことがあります。
悔しいだけじゃない。悲しいだけじゃない。自分の青春の全てを賭けて、想いを同じとする同士や家族、周りの支えを全て背負って戦った結果があの涙を流す姿だと。

つい社会人となった自分と照らし合わせてしまいます。
昔の話にはなりますが、人生の一瞬でも持ち合わせていた心の底から打ち込んだあの情熱。

僕達はあの熱量を持っているんだと思います。
ただ忘れているだけ。
純粋に人生をかけて勝負しようとする姿勢を。

1%に全力でBETしていた頃って、毎日が楽しくて悔いなんてなく、向上心の塊みたいだったと思います。

今の自分が追い求める姿って、もしかしたら遠い昔の自分じゃないでしょうか。

かずひろの記憶