~思い出話③~「今」は皆に平等に与えられている

僕は昔、甲子園を目指していました。
強豪校とか弱小校とか関係なく、本気で漫画の主人公の如く活躍し、あの舞台に立つために…

少し、いや、だいぶ自分の実力を過信していました。
地元の有名な私立高校からのお誘いを蹴り、県立高校へと入学しました。
中学生のころにドカベンやタッチを受験勉強のふりをして何周も読んだりして。
今思うと改めてゾッとしたりもするのですが、タッチの主人公、上杉達也に憧れて、高校野球部入学とともに僕はピッチャーを志願しました。
試合はおろか、練習ですらやったことの無いピッチャーへの挑戦です。
僕は、主人公になりたかったんです。
誰よりも速い球を投げ、試合を決める一打を放ち、甲子園の土を踏む。
そんな夢や希望しかない2年半のスタートを切ったのが今から18年も前の話です。

現実は、目の前の小さな光を掴むために必死の、主人公とはかけ離れた現実しかありませんでした。
試合を壊し、連帯責任罰ゲームの張本人になったり、故障をして誰よりも遅いピッチャーになったこともあります。
最終的には最後までピッチャーをやることができなかった。
コントロールが全くダメで、ピッチャーとして引導を渡されてしまいました。
後になって知ったのですが、1年生の段階で肩を故障した際に、肩の大事な腱を痛めていて、利き手の人差し指と中指の感覚が少し弱くなってしまっていたようです。

今は練習方法や体づくりなど、この瞬間にも情報を集めることが出来る時代になって、情報過多がネックの選手もいるのではないかと心配になるくらいです。

僕らの時代にはその時代の環境があり、今は今で当時より進んだ環境となっていますが、その時代に対する条件は誰にも公正であるということに変わりはありません。
いつだって、試行回数や取捨選択をする早さに優れた選手が強いことに変わりはないのだと思います。

僕がこんなにも簡単なことに気付いたのは残念ながらだいぶ先のことで。
それでも意味のある正しい努力の存在は、過去の自分があったからこそ今の自分に強く訴えかけるものとなっています。

高校卒業後に無事就職することができましたが、このような過去の経験のひとつひとつは、間違いなく僕の財産として自分を助ける糧となっています。

かずひろの記録