国連職員のつぶやき

国連の専門機関で働いています。日々の雑感とか、考えたことを記録するためにノートを始めま…

国連職員のつぶやき

国連の専門機関で働いています。日々の雑感とか、考えたことを記録するためにノートを始めました。今年11歳になったばかりの息子がいます。いつか記事を読んでくれたらと思い、書き溜めることにしました。

最近の記事

#14 戦時体制下で学ぶことー2

2022年3月。反戦派への締め付けと情報統制が厳しくなる。3月中旬とはいっても、春がまだ遠いモスクワの曇り空が重く垂れこめ、この重苦しい空気を一層、窮屈で陰鬱なものにしていた。 地下鉄の駅で、警官が抜き打ちで携帯の書き込みをチェックしていたのもこの頃だ。僕のロシア人の同僚は、駅で呼び止められ、警官に携帯を出すよう言われ、パスコードを打ち込んでロックを解除するよう指示されたそうだ。幸い彼は、反戦・反政府メッセージをSNSやメールに書いてなかったそうだけど、「気を付けた方がいい

    • #13 戦時体制下で学ぶことー1

      僕が勤務する国連機関では、次のポストが決まってから2カ月以内に着任することにはなっている。とは言え、引継ぎの都合等で、実際には3カ月後や4か月後に着任することも稀ではない。僕がモスクワ勤務になることが決まったのは2021年の12月半ばのことで、つまり、年明けの2月半ばから4月半ばまでに着任すればよかった。年末年始の休暇のことも考慮すれば、3月1日付で着任することも十分可能だった。ただ、新しい仕事に早く就きたいという意欲も手伝って、僕はロシアによるウクライナ侵攻が始まる5日前に

      • #10 コインランドリーのおばさん

        2022年3月上旬のこと。これまで赴任した国もそうだったけど、ロシアでも3カ月有効のビザで入国してから、1年有効の何回も出入国できる滞在者用のビザに更新しなければならなかった。滞在許可が下りて、ロシアの外務省からパスポートが返却されるまで、アパートを借りることも、現地の銀行口座を開くことも出来ない。 そうした生活の不自由さ以上に、戦争が始まって社会・経済が混乱する中で、パスポートが手元になければ、万が一何かあっても出国することすら叶わないことが、何より心もとなかった。戦争に

        • #09 カードが使えなくなる

          2022年3月1日。ビーッ。嫌な音がする。もう一度カードをかざしてみたけど、同じだった。カードを差し込んで暗証番号を入れてもだめだった。店員さんが別の読み取り端末も試してくれたけど、使えない。いつか来るとは思っていたけれど、ついにクレジットカードが使えなくなってしまった。 前任地のジャカルタは常夏で、数年冬物を買っていなかった。以前、東京で使っていたものもあるけれど、モスクワの寒さへの備えとしては心もとない。それで、週末にモスクワ市内のショッピングモールで冬用かつ防水の靴を

        #14 戦時体制下で学ぶことー2

          UN02/ENG03 国連で使う英語

          英語についてもよく聞かれる。「どうやったら英語が上達するのか」や「英語で仕事をするのは大変じゃないか」とか。英語について、国連に入職する前と若手職員だった頃に勘違いしていたことがあるので、書いてみたい。 英語で仕事をする、ことには(どのような言語を使ってでも)「仕事をする」ことと、「英語」を仕事の遂行の手段として使う、という2つの要素がある。両方の要素を満たさないといけないわけで、英語が得意でも仕事が出来ることにはならないし、逆も然り。 さて、仕事から切り離して「英語」だ

          UN02/ENG03 国連で使う英語

          UN01 国連で働くには?

          ジュネーブ本部で2回目の勤務をしていたとき、日本人職員会のお手伝いをしていた関係で、何度か日本からの訪問団体を受け入れた。国際関係を勉強している大学のゼミや、英語教育に力を入れている私立高校だったり、地方自治体の派遣団だったり。国連の仕事に関心を持ってもらえたことは、嬉しかった。 よく学生から聞かれたのが、「どうしたら国連に入れるのですか?」ということ。その次が「どうやったら英語で仕事が出来るようになるのですか」だった。確かに、国連で活躍したいと思ってもどうやって就職するの

          UN01 国連で働くには?

          #08 空域封鎖、日本に帰れるかな?

          2022年2月26日。戦争が始まって3日目。市内では厳重な警備が続き、デモを力づくで抑え込もうとする政権側の意図がありありと読み取れた。この日、ウクライナで総動員令が発令され、18歳から60歳の男性は出国が禁止される。同僚のアントニオの義理の弟は出国するチャンスを逃してしまったそうで、彼の失望と苛立ちといったらなかった。 明日何が起きるか分からない。ロシア軍が向かって来ているとのニュースを未明に聞いて、身の回りの物だけ持って国境へ急いだ人たちの困難はいかほどのものだっただろ

          #08 空域封鎖、日本に帰れるかな?

          ENG02 主語を意識する

          英語を学ぶ時、あるいは使う時、どうしても母国語である日本語に頼ってしまうことがないだろうか? 文章を読むときに、一文一文和訳しながら理解しようとしたり、話すことや書くことをまず日本語で組み立てて、それから英語に訳そうとしたり。でも、英語と日本語では文の構造が違うし、単語が1対1で対応するわけでもないし、それに言い回しも違うので、このやり方だと、どうしても苦労してしまう。 とは言え、日本語を介在させずに英語を使うのは、理想的だけど相当難易度が高い。取り組みやすい英語上達の最初

          ENG02 主語を意識する

          ENG01 受験英語について思うこと

          今でこそ英語を使ってそれなりに仕事をしているけれど、僕は帰国子女でもなく、幼い時から英会話スクールに通っていたわけでもない。日本の学校の授業で英語を習った。中高一貫の私立校だったから、英語の授業にはそれなりに力が入っていたのかも知れない。 中高6年間と大学の教養課程の2年間、計8年間英語を勉強した。学校ではそこそこ優秀な成績ではあったけれど、二十歳の夏にイギリスを旅して、自分の英語はあまり役立たなかった。その後、海外の大学院に留学するために英語をもう一度勉強する。それでも大

          ENG01 受験英語について思うこと

          IDN01 君が踊りなさい

          インドネシアのジャカルタ事務所に勤務していた2011年のこと。インドネシアが東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国だった年だ。議長国はサミット、大臣会合、次官級会合を開催する。政治的リーダーシップとホスト国としてのホスピタリティーを存分に発揮することが求められる。 その当時のジャカルタ事務所長のボルトン氏は、オーストラリアでは高名な判事だったそうで、温厚さと厳格さを兼ね備えた人だった。2008年夏のリーマンショックに続いて世界金融危機が起こり、インドネシアへも影響が波及す

          IDN01 君が踊りなさい

          #12 モスクワのレストランで

          海外で6か国に計20年以上住んでいるけれど、新しい土地でいつも困るのは言葉だった。最近は携帯電話をかざせば、文字を瞬時に選んだ言語に翻訳してくれるので、便利になった。なんなら、代わりに発音してもくれるし、相手が話したことを聞き取って、それを文字にして、かつ自分が分かる言語に翻訳してもくれる。それでも、住んでる以上はその国の言葉を学びたいと思うし、使ってみたい。 ロシア語を勉強し始めて数か月。とても話せるレベルではなかったけれども、使ってみようと思った。レストランに入って、「

          #12 モスクワのレストランで

          #11 ロシア語のこと

          ロシア語で使われるキリル文字は、英語のアルファベットに似ているものもあるけれど、随分と違いもある。モスクワで街中で見かける看板に「ресторан」があって、これを英語風に読むとペクトパーとなりそうだけど、ロシア語ではこれでレストランと読む。pがrで、cがs、hがn、なんてややこしいんだろう。 ちなみに筆記体にも苦戦する。英語の「m」がロシア語の筆記体だと「u」に見えるし、「d」は「g」、「t」は「m」という具合に。モスクワで滞在したホテルの最寄り駅の入り口の看板に、地下鉄

          #11 ロシア語のこと

          #07 赴任前のこと

          2021年12月。クリスマスプレゼントのようにモスクワ事務所への異動が決まり、コロナ禍のために日本に帰した妻と息子とようやく次の任地で一緒に住めるかと希望が湧いた。寒冷地で大変そうだけど、オペラやバレエがあり、音楽が好きな妻には良いかと思われた。 クリスマス前に一時帰国し、隣駅の大きなショッピングセンターの中の大きな書店でロシア語の本を何冊か選び、チェーホフとドストエフスキーの翻訳版を数冊手に取り、それからガイドブックも買い物かごに入れた。 妻は既にモスクワのインターナシ

          #06 搔き消される声が胸に刻まれる

          2022年2月25日。戦争が始まった翌日。市内で大規模なデモがあり混乱が予想されるので、近づかないようにと指示があった。戦争に反対する人々が多くいることを心強く感じつつ、僕がオフィスからホテルに戻るにはトゥベルスカヤ通りを北上して、デモが予定されているプーシキン広場を通らなければならず、どうしたものかと思案していた。夕方早めにオフィスを出て、表通りを避けて、裏道を通って帰れるか試してみることにした。 日が短く、夕方5時過ぎと言っても既に夜の帳が下りていた。市内各所で警察と軍

          #06 搔き消される声が胸に刻まれる

          #05 沈痛な会議

          お昼前の11時にモスクワ事務所の全職員が会議室に召集された。所長から何らかの発表があるらしい。会議室は2階にあって、高い天井まで届く本棚が、中央に据えられた楕円形のテーブルを見下ろしていた。テーブルの席には全員座ることができないので、椅子を持ち寄って壁に沿って並んで多くのスタッフが座っていた。 僕は一昨日挨拶したばかりのクロアチア人専門家の横に空席を見つけ、腰を下ろした。彼女に、これからどうなるんだろう、と話しかけると、彼女も全く何も分からないわ、戦争が始まるなんて思っても

          #04 涙がこぼれる

          ポルトガル人の同僚、アントニオはかつてウクライナでプロジェクトマネージャーをして、その時に知り合ったソフィアと結婚したという。だから彼には、妻の家族や親戚、それからかつての同僚がウクライナに多くいた。彼が先ほど電話をしていたのは義理の弟だった。 義理の弟いわく、荷物を大急ぎで車に積んで、首都を離れようとしたが、幹線道路が大渋滞していて身動きがとれず、一旦自宅に戻ったとのこと。アントニオはすぐに隣国に脱出するよう勧めたが、義理の弟が様子見を決め、行動を起こそうとしなかったため