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#06 搔き消される声が胸に刻まれる

2022年2月25日。戦争が始まった翌日。市内で大規模なデモがあり混乱が予想されるので、近づかないようにと指示があった。戦争に反対する人々が多くいることを心強く感じつつ、僕がオフィスからホテルに戻るにはトゥベルスカヤ通りを北上して、デモが予定されているプーシキン広場を通らなければならず、どうしたものかと思案していた。夕方早めにオフィスを出て、表通りを避けて、裏道を通って帰れるか試してみることにした。

日が短く、夕方5時過ぎと言っても既に夜の帳が下りていた。市内各所で警察と軍の警備が物々しく、町全体が緊張に包まれていた。デモ会場に近い表通りは人が多く、そして警備が厳重で、僕には物騒に思えて、とても近づくことが賢明とは思われなかった。

モスクワは住居の一区画が大きいため、少し歩いて大通りから一本裏の通りに入る交差点までたどり着いた。人が少ないためか比較的静かなように思われたが、通りに入ってすぐにその理由に気づいた。数十台もの警察の護送車が列をなし、片側一車線を埋め尽くしていたのだから。僕はその異様な光景を左目の片隅にとめ、反対側車線の歩道を足早に歩き始めた。

少し歩くと、屈強な警察に挟まれて連行されるデモ参加者が目に入った。彼は警察車両の中へ押し込まれて僕の視界から消えた。その少し先に、2人の武装した大男に両手を引っ張られながら連行される若者がいた。彼は夜空に向かって万歳をするような格好で地面を引きずられ、背中をアスファルトに削られながら、大声で何かを叫んでいた。僕の耳にもはっきりと届いたけれど、ロシア語の意味は分からなかった。

すると、左側の警官が警棒を振り上げ、その若者の足を打ち付けた。彼の悲痛な叫び声が虚空に吸い込まれて消えたとき、その声は僕の胸に深く刻み込まれた。この光景を僕はずっと忘れることが出来ない。







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