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UN02/ENG03 国連で使う英語

英語についてもよく聞かれる。「どうやったら英語が上達するのか」や「英語で仕事をするのは大変じゃないか」とか。英語について、国連に入職する前と若手職員だった頃に勘違いしていたことがあるので、書いてみたい。

英語で仕事をする、ことには(どのような言語を使ってでも)「仕事をする」ことと、「英語」を仕事の遂行の手段として使う、という2つの要素がある。両方の要素を満たさないといけないわけで、英語が得意でも仕事が出来ることにはならないし、逆も然り。

さて、仕事から切り離して「英語」だけを伸ばそうとすることは賢明だろうか。

大学院で学んでいた20代の後半の頃から、若手職員だった30代半ばまで、僕は受験勉強の延長のように英語を勉強していた。つまり、単語帳を使って語彙を増やそうとしたり、語学能力検定の問題集をやってみたり。結論から言えば、これはうまくいかなかった。効果がなかったのではないけれど、振り返って思うに効率が悪かった。

最初の任地はジュネーブだったので、職場に比較的ヨーロッパ系の人が多く、英語が流暢に話せるのはもちろんのこと、フランス語とスペイン語も話せる人がごまんといた。この環境で、英語すら十分に使えない僕は、当然劣等感に苛まされる。とにかく高度な英語力を身につけなければと随分焦った。この時、英語を何のために使うのかを全く見失っていた。

入職して3年後に、インドネシアのジャカルタ事務所勤務が決まる。任地で初めて通訳を介して意思疎通するようになったときに、気づいたことがある。政府との会議に通訳が同席していた時、通訳の人が僕の英語を理解してそれをインドネシア語で話してくれない限り、仕事の話が進まない。つまり、僕が難解な単語や言い回しを使って話すことには全く意味がない。むしろ、通訳の人が僕の意図を正しく理解してくれることの方が重要だ。

インドネシア政府の方々も、英語教育を受けているので、英語は大抵理解される。ただ、普段英語を使わないので、わざわざ英語で話そうとする人は多くなかった。仕事上重要だったのは、僕の英語を相手が聞いてくれる場合、要点を明確にし、平易な英語でゆっくり話すことだった。

当たり前だと言って笑われるだろうけれど、相手が理解してくれること、これが母国語以外の言語を使って仕事をする上で本質的に重要だ。そして、相手に伝わる英語を考えたとき、僕の英語観は随分変わった。僕が学ぼうとしていた英語と、仕事で役立つ英語は全く別物だった。

書く前、話す前に、相手に理解してもらいたいことと、行動に移してもらいたいことを手早くまとめる。そこに簡単な説明を加える。分かりやすい話の流れを考える。余分な要素はそぎ落とす。それを平易な英語を使って表現する。図示したり、箇条書きにしたりすると、分かりやすくなることも多い。

僕はプレゼンのスライドに字を盛り込む癖があった。それは、自分が話すことが書いてあった方が、いざプレゼンにつまった時に助かるからだ。でも、文字を極力減らした。実際、キーワードと矢印や図だけのプレゼンスライドでも伝わることは多い。インドネシア語に翻訳しない英語の資料はいたって簡素にした。

国連の仕事といっても多種多様だし、求められるコミュニケーション能力も当然異なる。国連のプロフェッショナルスタッフの仕事と言っても、学者の論文並みの英語が書けないと務まらないものもあれば、僕みたいにそこそこ話せて書ければ務まる仕事もある(勿論、英語がもっと出来るにこしたことはないのだけれど)。もっとも、出版する記事やレポートを書く際には、ちゃんとした英語で書かないといけない。

英語が出来なくとも国連で仕事が出来ると言っているわけではない。ただ、一般的に思い描かれる英語力、例えば英検の何級とか、と実際に仕事で役立つ英語力は違うものなのかも知れない。

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