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#14 戦時体制下で学ぶことー2

2022年3月。反戦派への締め付けと情報統制が厳しくなる。3月中旬とはいっても、春がまだ遠いモスクワの曇り空が重く垂れこめ、この重苦しい空気を一層、窮屈で陰鬱なものにしていた。

地下鉄の駅で、警官が抜き打ちで携帯の書き込みをチェックしていたのもこの頃だ。僕のロシア人の同僚は、駅で呼び止められ、警官に携帯を出すよう言われ、パスコードを打ち込んでロックを解除するよう指示されたそうだ。幸い彼は、反戦・反政府メッセージをSNSやメールに書いてなかったそうだけど、「気を付けた方がいい」と僕にも忠告してくれた。政府に逆らうことは言わない、書かない、話さない、ことがこの国で生きていくうえで重要なスキルなのだろう。

僕はロシア語が話せないし、住み始めて1カ月も経たないこの国で、心情を受け開けられる程の友人がいなかったことは、ある意味幸いだったのかも知れない。その当時の妻や日本の友人とのやり取りの中には、秘密警察が眉を吊り上げそうなものもあったけれど、それらのメッセージも解析の対象だったのだろうか。どこの国でも、国連職員を含め外交関係者は何らかの監視対象に含まれていても不思議ではないけれど、実際のところは知る由もない。そうでないことを願うばかりだ。

日本に住んでいると、言論の自由について考えることは普段あまりない。少なくとも僕はそれを意識してこなかった。当たり前の権利で、守られて然るべきものと思っていたからだろう。でも言論の自由は、政治臭がし、権力者と一般市民の非対称的な力の差を歴然とさせ、時として血生臭いもののように感じた。

重苦しい空気が支配していたモスクワで僕が考えていたのは、第二次世界大戦中の日本もこのような状況だったのかな、ということだ。僕の両親は戦後世代で、戦争を体験したのは僕の祖父母の世代のことだし、実際のことは不勉強にして分からない。ただ、みんなが「お国のために」と言っていた頃、戦争に反対することは可能だったのだろうか。祖父母達はどのように感じながら、日々生活し、1940年代の前半を過ごしたのだろう。

周囲の人々の感情や期待を無視した言動を非難して、「空気が読めない」と言うことがある。つまり、「空気を読む」ことが期待される。社会の同調圧力が強いことの一側面だ。でも、権力者が恣意的に「空気」や「風潮」を制度化し、それに従うことを強制し、反論を暴力的に抑圧したら、どうなるだろう。

街で行き違う人々、バスで乗り合わせた乗客、カフェで隣のテーブルに座っている老夫婦が、この時代の「空気」をどう受け止めているのだろう、僕は自問した。誰も本音で語ることはないだろうし、重く口を閉ざしているけれど、戦争の影響を誰一人逃れることは出来ない。

それでも、ロシア人の同僚やモスクワで知り合った人が、ごく手短に、実は戦争を支持していないことを、様々な表現でそれとなく伝えてくれることがあった。「醒めない悪夢はないはずだ」とか、「新しい時代に期待している」とか。






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