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#13 戦時体制下で学ぶことー1

僕が勤務する国連機関では、次のポストが決まってから2カ月以内に着任することにはなっている。とは言え、引継ぎの都合等で、実際には3カ月後や4か月後に着任することも稀ではない。僕がモスクワ勤務になることが決まったのは2021年の12月半ばのことで、つまり、年明けの2月半ばから4月半ばまでに着任すればよかった。年末年始の休暇のことも考慮すれば、3月1日付で着任することも十分可能だった。ただ、新しい仕事に早く就きたいという意欲も手伝って、僕はロシアによるウクライナ侵攻が始まる5日前にモスクワに着いた。

何て悪いタイミングなんだ、お前、ついてないよな。と友人や同僚に言われる。言われるまでもなく、自分もそう思っていた。モスクワに着いて1週間後には外資系企業が次々と撤退を決め、ロシアから日本人も欧米人も雪崩を打って退避していたのだから。正直言って、情勢が不安定で、不穏な空気が漂うモスクワに留まることは心細かった。日本も欧米諸国と並んでロシアに「非友好国」と位置付けられたけれど、敵国民程ではないにせよ、どういう扱いを受けるのか見当もつかなかった。

「企業と違って、国連機関は大使館と同じだから」「モスクワは戦場ではないから」等々の理由で、僕が勤務する機関は、モスクワから職員を退避させる決定をするに至らなかった。勿論、国連機関はもっと困難な場所で活動を展開している。アフガニスタン、イエメン、ハイチ、例を挙げればきりがない。

因果応報、という言葉がある。今こうして自分が辛い思いをするのは、これまでの行いが悪かったからだ、ということだ。それで、幼年時代から悪い行いが思い起こされる。あの時、あんなことをしなければよかった、なんであんなことを言ってしまったのだろう、とか。モスクワでこれまでの半生(半分はもう越えてしまっただろうけれど)を自省する機会はたっぷりあった。

その一方で、僕は侵略戦争が始まる前に、この国に着かねばならなかったのだ、と考えることも出来た。何か理由があって、例えばそれが神様の深謀遠慮によるものだとして、戦争を始めたこの国で、僕は何かを学ばなければいけなかったのではないか、と。ただ、ここで何を見て、感じ、考えないといけないかについては、何の示唆もなかった。

このブログを書き始めたのも、1年少し住んだモスクワで感じたことや、考えたことを整理し、それらのうちのいくつかを掘り下げて考えてみたかったからだ。おぼろけながら輪郭をとり始めた「学ぶべきこと」がいくつかあって、記憶が薄れる前に、それらを書き留めておきたいと思った。そして、いつか自分の息子が成長して、世の中のことを考えれるようになったら、読んでほしいと願う。



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