ENG01 受験英語について思うこと
今でこそ英語を使ってそれなりに仕事をしているけれど、僕は帰国子女でもなく、幼い時から英会話スクールに通っていたわけでもない。日本の学校の授業で英語を習った。中高一貫の私立校だったから、英語の授業にはそれなりに力が入っていたのかも知れない。
中高6年間と大学の教養課程の2年間、計8年間英語を勉強した。学校ではそこそこ優秀な成績ではあったけれど、二十歳の夏にイギリスを旅して、自分の英語はあまり役立たなかった。その後、海外の大学院に留学するために英語をもう一度勉強する。それでも大学院の授業についていったり、課題のレポートや修士論文を英語で書くのに相当苦労した。国連で仕事を始めた当初、英語が出来ず四苦八苦したし、そのせいで何度も辞めたくなった。
中高の6年間、毎週5時間は英語の授業があったはずで、随分な時間を英語習得に費やしたわけだけど、試験では高得点を取れても、どうして実際には英語が使えるようにならなかったのだろう。以前は日本では英語を使う機会がなかったからだ、と思っていた。でも、他の言語(フランス語、スペイン語、インドネシア語)を違ったメソッドで学んでみて、学校での英語の教え方・学び方も関係しているように思うようになった。
かつての自分がそうだったように、日本の学生は英語を高校・大学入試のために勉強しているんじゃないかな。そして、学校や塾は生徒が入試で合格できるように英語を教えているんじゃないかな。僕はそれを「受験英語」と呼ぶことにする。
入試を実施する側の都合から言えば、受験英語は採点しやすいことに重点が置かれるだろう。短時間で多くの受験生の答案を公平に採点し合否を決めようとすると、どうしてもそうなってしまう。話すこと、書くことは英語を使う上で重要な能力だけど、受験生に試験会場で英語で話させてみたり、英語で長い文章を書かせると、採点が大変だ。英語の試験はどうしても、選択肢で答えさせる文法や語彙、長文読解が中心になってしまう。
東大が受験界の最高峰の1つだとしよう。東大入試の英語では、60~80語で英作文することが求められるそうだ。英語でA4の紙に半分でも文章が書ければすごいように思うかもしれないけれど、日本で勉強していたり、仕事をしていて、日本語で半ページの文章が書けるだけでは能力としては不十分だろう。つまり、東大入試の英作文で点数が取れる人でも、実際に英語を使うとなると、必ずしも十分な能力を持っているとは限らないわけだ。
これまでの自分の苦労と反省に基づいて、こうやって勉強すればよかったな、とか、もし自分が英語の先生だったらこう教えたいな、と思うことを何回かに分けて書いてみたい。
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