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#09 カードが使えなくなる

2022年3月1日。ビーッ。嫌な音がする。もう一度カードをかざしてみたけど、同じだった。カードを差し込んで暗証番号を入れてもだめだった。店員さんが別の読み取り端末も試してくれたけど、使えない。いつか来るとは思っていたけれど、ついにクレジットカードが使えなくなってしまった。

前任地のジャカルタは常夏で、数年冬物を買っていなかった。以前、東京で使っていたものもあるけれど、モスクワの寒さへの備えとしては心もとない。それで、週末にモスクワ市内のショッピングモールで冬用かつ防水の靴を買おうとしたけれど、早く冬が去ることを願うことになった。勿論、天気は僕の願いなど聞いてはくれない。

経済制裁の一環として、国際的決済ネットワークのSWIFTからロシアを排除するとのニュースがパニックを引き起こして数日。もはやVISAカードもMasterカードもどれも使えないようだ。

一昨日の朝、泊っているホテルで滞在を延長し、3週間分前払いした。支払いはチェックアウトの時と決まっているそうだけど、無理を聞いてもらってカードで先払いしたのは賢明だった。

2月末、経済制裁のニュースを聞いた多くの人々が銀行やATMに殺到した。あまりにも長い預金を引き出そうとする人々の行列は、取り付け騒ぎが起こっているような有様だった。どうやら金融システムが不安定になっているようで、一日当たりに引き出せる額が制限されだった。その額が銀行によって4千ルーブルだったり、8千ルーブルだったり。

まだ現金がATMの中にあればいい方だ。ATMに列がなくラッキーだと思えば、故障しているか現金が入っていないかのどちらかだった。ロシア人のIT担当の同僚が、夕方に現金が補充されるから、夕方行くのがいい、と教えてくれた。現金の補充作業は朝からやってるように思えたけれど、そんな眉唾な話さえ共有されるべき生活知になるほど混乱していた。

ロシアの通貨ルーブルは日に日に減価し、一時対ドルで半値になった。

もうすぐATMカードが使えなくなるようなので、そうなる前に現金を引き出さないといけない。SWIFTから排除されるとのニュースが出てから、現地の多くの銀行で僕が持っていた海外発行のATMカードが使えなくなったが、欧米系の銀行はまだ大丈夫なようだった。米系とオーストリアの銀行のATMが頼りだった。

ある朝、僕は昨日と同じように米系銀行の支店になるATMに行き、カードを入れた。すると見慣れないエラーメッセージが表示される。どうやら自行発行のカードしか受け付けなくなったらしい。近くのオーストリアの銀子のATMも使えなくなった。イタリア資本の銀行のATMも試したけれど、3日前に使えなかったのが急に使えるようになるはずはない。

大変なことになった。

何とかお金のやり繰りをしないといけない。夕方ホテルに戻り、セーフティーボックスに入れていた紙幣を数えた。日本円で10万円ちょっとあった。でも、それが全てだった。大学生の頃の預金通帳にさえ、もう少しお金が入っていたと思う。

毎日の予算を1500ルーブル以内と決める。当時の為替レートで2千円程だっただろうか。ホテル代を先払いしたのと、朝食が付いていたおかげで、当面は何とかなりそうで安堵した。

朝のビュッフェで食べれるだけ食べる。とにかく寝坊してはいけないので、アラームを時間差で3つセットする。お昼ご飯は近くのベーカリーで270ルーブルのサンドイッチを買い、オフィスでコーヒーを淹れる。夜は手ごろな食堂のようなところか、ケバブ屋さんにした。

病気とケガはとにかく避けねばならない。風邪をひかないように手洗いとうがいをする。凍った路面で滑ってはいけないので、慎重に歩く。車に轢かれないよう左右を3回確かめてから道路を渡る。階段を踏み外さないよう、一段一段確実に降りる。

そんな生活だった。




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