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IDN01 君が踊りなさい
インドネシアのジャカルタ事務所に勤務していた2011年のこと。インドネシアが東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国だった年だ。議長国はサミット、大臣会合、次官級会合を開催する。政治的リーダーシップとホスト国としてのホスピタリティーを存分に発揮することが求められる。
その当時のジャカルタ事務所長のボルトン氏は、オーストラリアでは高名な判事だったそうで、温厚さと厳格さを兼ね備えた人だった。2008年夏のリーマンショックに続いて世界金融危機が起こり、インドネシアへも影響が波及することが懸念され、まさにスハルト政権が崩壊した1997年のアジア経済危機のすわ二の舞となるかと緊張が高まっていたときに、「落ち着きなさい、今回そのような事態には至らないから」、と達観されていた御仁だ。
バリでASEANの次官級会合があり、国連機関も参加するセッションもあるので、君も来なさい、と所長からお呼びがかかった。初めて参加するハイレベル会合に上気しながら、インドネシア屈指の観光地、バリへ向かった。海辺のリゾートホテルが会場で、青い海と強い太陽の日差しが美しかった。2日間の日程のうち大半は非公開のもので、国連機関が参加できるセッションは2日目の2時間程だった。基本的には私の所属機関が東南アジアで取り組んでいることをかいつまんで話し、今後の方向性を議論するためのものだった。
初日の夜、議長国のインドネシアが公式ディナーを主催した。ホテルの大きなプールの横にテーブルが並べられ、各国の国旗が立てられる。その向こうに簡易ステージが設けられていた。インドネシアの大臣のスピーチの後、ディナーが始まり、インドネシアの伝統音楽ガムランとバリ舞踊が会食に彩りを添えた。
日が落ちた後とは言え蒸し暑く、スーツとネクタイ(当時持っていた中で一番いいもの)ではさすがに暑苦しかった。シャツの替えはあったけれど、スーツを一着しか持って来ておらず、明日の大事な会議で着るはずのスーツが汗ばんでいることが気になった。
宴もたけなわの頃、バリ舞踊の踊り子2人がステージを降り、テーブルを回り始めた。どうやら、ステージに上がって踊る希望者を募っているようだった。観光客向けのショーならいざ知らず、ASEAN各国の次官とそのお付きの高官ばかりの会食なので、誰も名乗り出ず、気まずい雰囲気が会場を支配した。
その時、横に座っていたボルトン所長が手を挙げ、「こっちだ」と叫ぶ。少し向こうのテーブルにいた踊り子たちが声に気付き、こちらに向かってくる。
僕は彼の勇気にすこぶる感銘を受けた。もう御年60近いはずで、歩くのもややおぼつかないが、それでも彼はステージで踊ろうとしている。彼にバリ舞踊の才があろうことなど知る由もなかったが、多才な彼にいたく感服した。
踊り子達が来るや否や、「この若者を連れて行きなさい」。僕は自分の耳を疑った。左隣に座っていた彼の方に驚きの顔を向けると、彼の表情はいつも通りの冷静なものだった。驚嘆にくれる間もなく、僕の両脇に踊り子が来て、警察に連行される容疑者のように舞台に連れていかれた。ステージに上がると皆の視線が痛いほど刺さった。
2人の踊り子が僕の脇に立つや、優美な音楽が奏でられた。彼女たちはよく修練された通り見事な舞踊を披露する。僕も覚悟を決め、隣の女性が踊っているのを見よう見真似で体を不器用にくねらせてみた。バリ舞踊の煌びやかな衣装を纏った美しい踊り子たちとスーツ姿の日本人は、滑稽な組み合わせだったに違いない。それでも、面白かったようだ。しばらくして拍手が沸いた。
スーツがぼとぼとになった。
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