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会話

「お前のご主人は、相変わらず扱いが荒いなぁ。」
そんな言葉をかけながら私の手は動いている。
相手からの返答は無い、しかし彼の足の状態がそれを物語っている。足の状態は彼らの日頃の様子が一番現れやすい。
「綺麗にしてやるからな。」
相変わらず相手からの返答は無い。しかし反応は無くても生きていて、何かを伝えようとしているように私は感じる。
汚れている部分を洗浄し元通りにするついでに、他の部分にも目をやる。
「他に痛いところはないか?」
傍から見たらただの独り言、危ない人にしか見えないその姿は他の人には見せられない。でもこれが私と彼らとの日々の会話。

彼らは我々の人生の数年から十数年を共にするパートナーである。もちろん彼らと直接関わる事が無くても、知らず知らずのうちに何処かではお世話になっているはずだ。
彼らが居ることによって人々の生活は豊かになった。それは経済的な豊かさのことであったり、心の豊かさであったり。
彼らはその背中に命を乗せて運んでいる。ひとつの不調がその命を奪ってしまったり、また別の命を奪ってしまう状況にならないように私は最善を尽くす。

私が未来のためにできる事は、目の前の自動車を1日でも長くご主人と一緒に居れるようにする事。今近くにいる相棒に直ぐ見切りをつけて切捨てるのでは無く、長く大切に付き合える状況を作るお手伝いを私はしている。
それでもやはりお別れはやってくる。お別れする理由は人それぞれで、生活スタイルの変化だったり、故障で修理代が高くついたり、事故だったり、単純に新型が気になったり。
お別れになった後彼らはそのまま捨てられるのではない。手入れをされて、次のご主人のお世話になったり、自動車として居られない場合は、分解され部品が別の場所でまた別の子の一部として生き続けたり、また金属製品としてリサイクルされ別の金属製品として生まれ変わったりする。

基本的に大体のご主人は自動車を生活の足、仕事の道具ぐらいにしか思っていないが、やっぱり中にはとても愛着を持って接しているご主人も居る。
「おじいちゃんの形見の車なので」
「この車私と同い年なんですよ」
「この車で色んな所行ったなぁ」
「仕事の大事な相棒やで」
そういうご主人達の為にやっぱり私は目の前の彼らを全力で整備したい。
今の彼らを大切にいつまでも。

そして今日も、
「調子の悪いところはありますか?」
お決まりの会話から一日が始まる。


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