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『マガジン・「家族介護者の気持ち」について』

 このnoteを始めてから3年以上が経ちました。

 書き始めた動機は、自分が介護をしていた時も、臨床心理士(公認心理師)として、家族介護者の支援を始めても、「家族介護者の気持ち」が、どうしてこんなに理解されないのだろう?と思い続けたので、少しでも「家族介護者の気持ち」の理解の一助になれば、という思いでした。

 この「家族介護者の気持ち」は、40代後半になってから通った大学院で、修士論文を書いたとき、改めて、家族介護者の方々11名に、トータルで約28時間のインタビューをして、その言葉を元にして分析などをさせてもらったのですが、そこで、明らかになったのは「家族介護者の気持ち」は、介護の段階によって変化する、そして、それがそれ以前の研究よりも、さらに明確になったように見えました。

 それは、介護者と要介護者との関係を考えるよりも、いつ介護者の気持ちが追い込まれがちになるのか?どういった要素によって、介護が厳しくなってしまうのか?をみていった方が、家族介護者を支援する場合には、より有効ではないか、という発見にも思えました。

 そこで明らかになったことは、守秘義務もありますから、そうした家族介護者の貴重な言葉そのものを使うことはできません。ですから、それまでに公に発表になっている書籍や論文などから、そうした思いに近い言葉などを引用し、少しでも、「家族介護者の気持ちの変化」を、まずは伝えようと思いました。

 それが、この「家族介護者の気持ち」シリーズです。

「家族介護者の気持ち」の変化

 記事は、①から⑩までですが、介護が始まってから、時間の経過とともに変化する「介護者の気持ち」は、まず、突然介護が始まるのが①「介護のはじまり・突然始まる混沌」で、それが少し落ち着いた状態が②「いつまで続くか、分からない」と、「先を考えられなくなる感覚」で、様々な条件が重なったり、負担が重くなった時に、もっとも危機的な状況が③「死んでほしいは、殺意ではない」です。

 この危機的な状況をなんとか乗り切ったとしても、家族介護者の負担や負担感は強いため、④「介護者自身の病気・介護うつ」という状態になりがちです。さらに、こうした厳しい状況のために、在宅介護から、施設入所や入院に踏み切ったとしても、介護が続いている状況を⑤「通い介護」で書きました。

 また、特に在宅介護時に、「介護時間」が統計などでもとられることが多いのですが、実は、その実際の介護行為ではなく、言ってみれば「名もなき介護」として、焦点を当てたのが、⑥「待機」と「見守り」で、実は、この2つの「介護」が占める時間が多いことを、この記事でも明らかにしています。

 そして、介護が終わったあと、要介護者の方が亡くなったあとに、どのような心理状態になるのか?を、改めて明らかにしたのが、⑦「介護が終わっても、介護が続いているような感覚」です。

手を差し伸べる人たち

 ここまでが、介護の段階によって、「家族介護者の気持ち」の変化を述べた記事になりますが、⑧「介護をしないと、わからない」は、今でも、家族介護者が、このような発言をせざるを得ない理由を書いています。

 また、⑨「男性介護者」では、より理解されない男性介護者の気持ちについて、さらに⑩「手を差し伸べる人たち」では、介護者として、もしくは支援者として家族介護者に接してきて、時々、しみじみと感じる介護者の凄さのようなことを書きました。


 ① から、⑩まで、もし、全部読んでいただければ、もちろん嬉しく、どの記事も、今でも、まだあまり広くは語られていない「家族介護者の気持ち」に関する「常識」だと思います。

 もし、介護の支援者であれば、おそらくは少しでも役に立つのではないかとも考えています。

 ただ、どの記事も、かなり長めでもあるので、この10の記事の中で、特に気になるテーマについて、1つでも読んでいただければ、ありがたく思います。

 よろしくお願いいたします。

               臨床心理士/公認心理師    越智 誠






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