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禅語の前後:今朝有酒今朝醉、明日愁來明日愁(こんちょう さけ あらば こんちょう よい、みょうにち うれい きたれば みょうにち うれえん)
大学ボート部員だった学生のころ、試合の手伝いの都合で、県の協会の偉い爺様たちと温泉旅館に一緒に泊まったことがあった。
爺様たちは朝食の席で当然のように瓶ビールを開けはじめて、いやまだ今日やることありますからと固辞した僕たちを嗤い、そんなことだからお前のとこの試合成績はイマイチなんだ云々と嫌味なことを言いながら、うまそうに杯を干していた。
日本でいうと平安時代、空海の百年ほど後・紫式部の百年
懺悔文(さんげもん)
うちの実家の法事で聞いたのが、みょうに格好よくて耳に残ったので、調べてみた。御住さんの声が良かったのかもしれない。
一般に「懺悔文」と呼ばれるこの四節は、「華厳経」という長いお経、弘法大師空海と同世代の中国僧が翻訳した四十巻版のなかに記されている一部分からの抜粋にあたる。
一切我今階懺悔、ようするには「私のすべての悪行をただ今このときに悔い改めます」という宣言、なのだけど、この「すべて」
般若心経(はんにゃしんきょう)
こんなことを書くと罰当たりなのかもしれないけれども、般若心経は冗長的だと前から感じていた。
この拙稿では、般若心経のコアな部分に焦点を当てて読み込んでみたいと思う。
般若心経は、「西遊記」でお馴染み玄奘三蔵が、天竺から持ち帰って翻訳したお経である。400字詰め原稿用紙いちまいに納まる分量だけど、ポイントになるフレーズはさらにコンパクトで、たった四文字。
「色即是空」。
すべては空っぽだ
禅語の前後:秋雲秋水兩依依(しゅううん しゅうすい ふたつながら いいたり)
いまから千年ほど前の中国にいた禅僧法演は、今も日本で続く臨済宗の中興の祖といわれていて、高名な僧の師匠筋にもあたり、自身でもいろいろと書き残している。
文学的な才能もあった人のようで、こんなふうな秋の別れの歌も残っている:
送黃景純 法演 黃景純を送る
秋雲秋水兩依依 秋雲 秋水 両つながら依々たり
寒雁聲聲度翠微 寒雁 声々 翠微を度る
多向洞庭青草岸 多くは向こう 洞庭青草