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禅語の前後:人面桃花相映紅(じんめん とうか あい えいじて くれない なり)

「人面桃花…」は、今から1200年ほど前、中国唐代の崔護さいごという詩人の歌の、二句目の部分にあたる。

去年今日此門中  去年の今日、此の門の中
人面桃花相映紅  人面桃花相映じて紅なり
人面不知何處去  人面は知らず、何処にか去る
桃花依旧咲春風  桃花旧に依って春風に

 去年の今日こちらのお宅で、美人さんの顔と桃の花とが、互いに紅色を映し合っていた。あの美人さんは何処に行ったのやら、けれど桃の花は変わらず、春風の中で咲いている。
「咲む」は「笑む」と同じ意味合いで、花が咲くことと人が微笑むこととに、古い中国人は同じ字を当てていた。
 二句目だけを切り取っても美しい景色だけれど、全体を通してみると、ノスタルジックな風情が加わってくる。

 ところでこの二句目、日本では「禅の言葉」として掛け軸にされたりしているそうだ。この「美人さんの顔と桃の花とが互いに映し合う」様子が、臨済宗の開祖、臨済のいう「人境倶不奪にん きょう ともに うばわず」の境地を表現するものだと解釈できるから、らしい。

「”人境倶不奪”って、どういうことですか?」と弟子に尋ねられた臨済は、「王、宝殿に登れば、農夫、謳歌す」と答える。王様が立派だと民も暮らしやすい、というような意味合いのようだ。

 「人面、桃花相映じて紅なり」とは、佳人の顔は桃花の紅を映発していよいよ美しく、桃花もまた佳人のあでやかさを反映してさらに紅であるということであるが、この人面を「人」と「王」にあて、桃花を「境」と「農夫」にあて、両者の相依相助の関係を「相映じて紅なり」に配してみると、この句が臨在の「王、宝殿……」の句に劣らず「人・境倶に奪わず」の宗旨に合致し、天下泰平の境涯をよく表現している、すなわち著語として適切であることがわかるであろう。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」淡交社)

 主体と客体。王と農民、主人と客人、演者と観客、資本家と労働者、ベンダーとユーザー、そういったもろもろの、原理的には対立するような二者が互いに高めあってWIN-WINの関係というか、そういった境地に達したときのその美しさを、その感動を、「人面、桃花、相映じて紅なり」の句に投影したひとがいたのだ。

 この解釈が、いつ頃から言われているものなのかは、よく分からない。
 詩人崔護と禅師臨済とは同時代の人らしいのだけれど、崔護の歌と臨済の禅哲学とを紐づけている文献は、上述の芳賀幸四郎さんの著作しか見つけられなかった。芳賀さんの著作には、この関連付けについては明確な出典が無い。
 あんがい、近年の茶道家たちが見出した解釈なのかもしれない。
 

 崔護や臨済の時代から200年ほど後に作られた、世界で最も古い短編小説集のひとつ「太平広記」にも、この元歌を題材にした物語が残されている。
 ざっくりいうと、こんな話らしい:
・春先、試験に落ちた崔護は、憂さ晴らしに都の郊外を散策していた。
・酒を飲み、喉が渇いたので、通りすがりのお宅に水を求めた。
・そこは桃の花が美しい庭で、美人さんに水を分けてもらった。
・翌年、美人さんを忘れかねて、崔護は同じお宅を再訪する。
・その日は会えなかったので、「人面桃花相映紅」の歌を書き残して帰る。
・数日後また訪ねると、その美人さんは「あなたを恋い慕って絶食して死んでしまった」と、美人さんの家族に告げられる。
・崔護おどろき嘆き悲しみ、枕元で美人さんに泣きながら呼びかける。
・美人さん、息を吹き返す。
・崔護、その美人さんを妻にめとる。めでたし、めでたし。

…美人さん実際は狸寝入りだったのでは?という説も、あるらしい。

禅の哲学にしろ、ロマンスにしろ、すぐれた作品は、後年いろいろと二次創作のネタにされるものなのだろう、たぶん。

◆参考文献:
・芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」(淡交社)
・黄 名時「桃花再生の詩物語『在護』における孟楽の心裏」