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「複雑系」と「詩」について

いま同時に読んでいる無関係の2冊の本が、何とも見事に共鳴し合っているという件です~


一冊目は、前回も触れたこの本です。

             生命の謎 中川豪著

まだ3章までしか読んでいませんが、よく「生命は複雑系である」という意味が初めて理解出来ました。

簡単に言うと、
「一つの卵細胞から細胞分裂が始まって、様々な種類の細胞が生まれて、様々な機能を持った体組織を構成していく過程」は、組織全体の相互作用によって進行していくもので、一元的に記述も予測も不可能であるから複雑系なのだ、
という事です。

分かりにくいでしょうか?

もっと簡単に言うと、
生命のダイナミックな「全体的な変化」は、分解して単純な要素に還元して考える事はできない。何故なら相互作用を無視して考えると全体の振る舞いを理解できなくなるから。

という事です。

すごーーーく深い話だと思います。

ウィトゲンシュタインのあの言葉を思い出した人もいるのではないでしょうか?

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
 
「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

西洋哲学史において「言語論的転回」を成し遂げたとされるウィトゲンシュタインが見た「世界の果て」のその先をも彷彿させる着想です。

あと、宗教家の方は否定するかも知れませんが、釈迦が達観した「空」とは、一部ではこういう宇宙の構造を指していたのでは?とさえ思います。
(一部と言ったのは主旨が別にあるからです)


もう一冊はこちらです

        ホワイトヘッドの哲学 中村昇著

西洋哲学の中では、異端と言ってもよいほど主流から外れた偉大な哲学者です。

また数学者としても大変著名で、あの『プリンキピア・マテマティカ』(数学原理)をバートランド・ラッセルと共作し、論理学(集合論、基数、序数)の基礎を築いた人物です。

この本は、ホワイトヘッドの独自の哲学の解説本ですが、ページをめくる度に、まさに私がずっと考えてきた事が書かれてて、本当に驚きの連発なのですが、彼は詩についてこう書いています。

「哲学者は詩人である」
 
「彼らは還元できない頑固な事実の背後を探ろうと努める」

「近代科学が押し付ける自然観に無理があり、矛盾がある事を私たちは忘れている」

「偉大な詩人たちが今も読まれているのは、具体的な事実の内にある普遍的なものを洞察する人類の深い直観を、彼らが表しているからだ」

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド

また、この本の著者はこう解説しています。

「詩人は言葉と言う難しい道具と格闘していく。詩人が成功を収めるのは、自らの道具である言葉が消え、対象(そのもの)が浮かび上がる瞬間だ」

「詩人は、生き生きとした自然を丸ごと表す。自然はとめどなく複雑だ。(中略)その複雑さを複雑なまま表すのだ」
「自然科学はそうはいかない。自然を分析する為には、その複雑さから離れなければならない。一本の樹、一匹の昆虫、一個の細胞、まで単純にしなければならない」


どうでしょうか?これら二つの本には全く関連がありません。たまたま同じタイミングで読みました。

今回は私がいつもしつこいくらいに書いている存在論(本当の時空論)とは、違った切り口で書いてみました~


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