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◆親は自分で自分を幸せにできていることが大前提。

■はじめに

以前に書いた【無条件の信頼が子どもの力を引き出す】を
自然に心から楽しんでするには
やはり、親自身が自分を信頼し自分軸を持って
自分の人生を楽しめている必要がある
なと強く感じています。

自分の人生を楽しめずに不満だらけで生きている親が、
自分の子どもにあれこれ細かい口を出さずに
無条件に子どもを見守り信頼できるかな?
それは私の経験上とっても難しいと思います。

親自身が心から満たされていないと
どうしてもその満たされない部分を
(本当は自分で自分を満たすべきなのに)
何か他のもので満たそうとしてしまいがちだから。

その満たす対象が子どもに向かってしまうと
子どもの心を置き去りにして
親の欲求欲望を子どもに押しつけてしまいます。

表向きは子どもの幸せのため。
しかし本質は親自身の不満を満たすため
子供に自分の理想を押し付けているだけ。
(親が子供をコントロール)

そうすると子供は自立するどころか
自ら考え行動できない人間に育ってしまいます。

それは私自身がそんな風に育ったから言えること。(笑)
両親にとっては正しいという思い込みから、
縛りつけの育て方をされてきたので
私は人の顔色を見て行動する受動的な人間でした。
そんな自分が大嫌いでした。

しかし、両親にとっては
子供に苦労をさせたくない・幸せになって欲しいという
願いを込めた愛情からの育て方だったんだと思います。

自分が育った親子関係は、自分が親になったときにも連鎖します。
そして社会における様々な人間関係にも影響を及ぼします。

私は子供たちには、私のようにはなって欲しくなくて、
自由に能動的に生きる力を発揮して欲しいと願っていたので
私が育った親子関係から生まれた、
価値観の連鎖を断ち切る必要がありました。

私のようになって欲しくないというのは
自分自身が大嫌いだったから。
しかし大嫌いな自分のままで子育てをしても
既に述べたように、子供に自分の理想を押し付けるだけで
結局、縛りつけの子育てになってしまうんです。

だからまずは、ありのままの自分を認め
自分自身を誰よりも大好きになること
最優先事項でした。
子供に自由に能動的に生きる力を発揮して欲しいと願うなら、
母親である私が、自由に能動的に生きる力を
発揮している必要がありました。


そのために自分の両親との関係を見直し、
自分のダメな部分も含め全て、
ありのままの自分自身を受容し
奥底に眠っていた本来の自分自身に
意識的に気づいていくようにしました。
そして、自分で自分を愛していく作業を始め
一進一退を繰り返しながらも、
自分を誰よりも大好きになれた頃
親子で人生を、幸せに楽しめるようになりました。


■私の幼少時代を振り返って

現在、私はアラフィフですが、両親の子育てを振り返ってみると
既に述べたように、親が子供をコントロールする子育てでした。
私が自発的に興味を持ってやりたいことは、ことごとく反対される。

女の子だから、それはダメ。
女の子だから、こうあるべき。
普通はこうあるべき。
これが常識。
どうせそんなことできっこないから辞めなさい。
才能もないのにできるはずがない。
〇〇の方が世間体が良いので〇〇にしておきなさい。
親の言う通りにしておけば間違いない。
親の言うことを聞かないなら、〇〇を買ってあげない。
親の言うことを聞かないなら、〇〇に連れて行かない。
あの時、なぜ〇〇と言わなかったの?
あの発言は間違ってる。などなど・・

とにかく親の言うことに間違いはないから
子どもはそれに従って行動することが常識

という価値観の両親でした。
同時に極度の心配性。
あれこれマイナス思考で心配しすぎるという。。

そんな中で育つとどうなるか?
自分が何か行動を起こそうとするたびに
これをすることについて親はどう言うだろうか?
反対するだろうか?それとも賛成してくれるだろうか?
と、行動をする前に親のことを考え、
親の顔色を伺ってしまうんです。


考えた結果、親の返答が予想できるので
どうせ反対されるから辞めておこう・・・
となっちゃう。
当然、聞いて反対されれば諦めて行動しない。
そして、親が喜んで賛成してくれるようなことを
選別して考えて行動するようになってしまうんですね。
その行動は親に反対されない為の演出であって、
自分が本心から望んだ行動ではないんです。
親にとっての理想の子供を演じちゃう。

また、何かを発言する際も
発言しようとしていることが果たして正しいのかどうか?
気になり出すと、結局何も話せなくなっちゃうんです。
自分の意見・本心は口にしなくなる。
親が求めている言葉を想像して発言する

という風に。。

そして、失敗できないんです。
失敗するとものすごい剣幕で叱られるので
リスクをとったチャレンジが
怖くてできないんです。

そんな風に親の理想を演じて
学校での成績もよく優等生ではありましたが、
自分自身に大きな違和感を持っていました。
私はそんな自分が大嫌いでした。

当然、自分が嫌いで本当の自分に自信が無いから
笑顔はなく愛想はないんですよね(笑)
両親にとっては可愛くない子供だったと思います。
だからますます厳しくあたられちゃう(笑)


■大切なのは依存的関係ではなく信頼関係

私の幼少時代を振り返ってわかるのは
両親と私の親子関係には信頼関係はなく
依存的関係であったことがわかります。

親が子どもをコントロールすることで
子どもの自主性は育たず
常に親の顔色を見て、親の希望を予測して
自分の行動を決定してしまいます。
つまり、様々な選択肢に出会った場合、
親に依存しなければ決定できなくなる。

また両親の場合は、自分の子どもに頼られることと、
自分の子どもの世間での評価で、
親としての存在価値を保っているかのようでした。

専業主婦だった母は特にその傾向が強かったように思います。
母として、妻として、地域の良い人として
良妻賢母であるように頑張ることが優先で、
母個人としての人生をどう生きたいか?ということを
置き去りにして頑張ってきた人。
常に世間の評価に晒され、その評価が自分を決定づける環境でした。
だから、子育てにおいても責任感の強い母は、
世間様に恥じない真面目で優等生な人間育てを
頑張ってきたんだと思います。

しかし、このような相互依存的関係にある親子関係は
親にとっても子どもにとっても、
精神的にストレスで非常に苦しいんです。


なぜならそこには、自分自身が存在しないから。
親は世間の評価を気にして
子供は親の評価を気にして
常に他人軸で生きているから。

双方に自分軸が無いんだから、当然信頼関係は築けない。

信頼関係は、自分軸があるから築けるもの。
自分はどうありたいのか?
自分はどうしたいのか?
という思考で、周りの評価を気にせず
自分の気持ちに素直に行動できているから
迷うことなく判断できる。
迷いがないから一貫性がある。
ぶれることがない。

親が自分軸で生きていれば当然、
子どもも1人の人間として
尊重しながら育てることができます。
親子間に優劣はなく、
1人の人間として対等な関係で
子どもの成長を見守りサポートをする
ことができます。

親が子どもを信頼して、子どもの人格を認め
知ろうとし見守ってくれるから
子どもも親を信頼し自己の成長を望み
安心して自分に正直に
能動的に生きていくことができる。

そのような自分軸を持って
信頼関係で育った子どもは、
自然に自分の行動の選択の結果に
責任を持つことができる
ようになると思います。

今、子育ても終盤になり思うのは、
信頼関係の子育てをすることで
子どもの成長とともに
子どもから学ばされ、気づかされることが非常に多く、
親自身が大きく成長させられてきたなということ。

親子で育ち合い、学び合いで
双方とっても幸せな関係が築けているかなと思います。



■まずは親が、自分の人生を幸せに生きること。

無条件に子どもを信頼し
子どもが持っている才能や資質に気づき
引き出してあげられるようになるために、
まずは親が、自分を信頼し自分軸を持って
自分の人生を楽しめていることが大前提であると
強く感じています。

親自身が自分で自分を幸せにしてあげることは大切です。

私の母も、最近になってようやく
母として妻としての良妻賢母を目指すのではなく、
他人の評価を気にするのでもなく、
母個人として、好きなこと・やりたいことを
めいいっぱいやり始めました。

そんな母を見てると私は幸せで安心だし、
私もやりたいことに没頭できるんですね(笑)
そして母を1人の人間として尊重して
寄り添うことができます。

だから、親子ともに幸せな人生であるために
まずは親が自分の人生を、自己愛と自分軸で
幸せに生きている必要があるなとつくづく感じています。

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