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光を見る?、それとも影を見る?

自分を客観的に見られるようになるには、やはり内観だなあ、と思った話。

そもそも、悩んでいる人と幸せな人の違いは何かというと、同じものを見ていても、フォーカスを当てているところが違います。

幸せな人は、特別に恵まれているわけではありません。ある風景のなかでゴミや犬のフンではなく、蝶や花を見つけて近づいていく人なのです。

幸せな人は、必ずしも魅力的な毎日を過ごしているわけではありません。人生には光と影、ポジとネガ、善と悪がつきものと認め、人生の苦楽を甘んじて受け入れています。自分の望みを育てることを第一に考えて、果敢に人生を切り拓いていきます。

いっぽう悩んでいる人は、苦痛をうけると自己憐憫にひたって、グチや不平不満を言うばかりです。より良いものを受け取るために行動をおこすことや、変化や発展を前向きに望むことをしません。人生をただ受け入れているだけです。自分が欲しいものや必要とするものもわかりません。

また、悩んでいる人は無力感がありますから、人生は自分の手でコントロールできる、ということが分かりません。自分がより良いものを受け取るに値するということも信じられません。無価値観があるんですね。

悩んでいる人は、無力感、無価値観にとらわれて、動けなくなっているのです。そして、自分の本質、自分の美しさには気がつかないのです。

悩んでいる人と幸せな人とでは、見ているところと、人生に対する態度が真逆なんです。

内観をすると、そのことがよく分かります。悩んでいる人は苦痛にのみフォーカスを当てていることに気づきます。悩んでいる人は、苦しみに嗜癖しているんです。楽しみや喜びは見えていないのです。

内観をすると、これまでいかに恵まれてきたか、ということに少しずつ気がついてきます。これまで光を見落としていたことに気づきます。

やがて光と影、両方があって全体なんだということが見えてきます。

ここまで客観的に見られるようになるまでには、年数が少しかかるかもしれませんが、やってみられると世界がちがって見えてきます。

内観はノイローゼ(神経症)の人に向いています。愛着障害の人、虐待された人は向かないので、気をつけてください。

内観のやり方について書いています↓

内観道場にこもらなくても、お家で感謝ノートをつけるのもいいかもしれません。日常のなかで感謝できることをさがすと、恩恵が降り注いでいることに気づけるかもしれません。

感謝ノートで思い出しましたが、私は吐き出しノートを書いたことがありました。

身体にもこころにも毒素をいっぱい溜め込んでいました。吐き出すことでカタルシスを得られて、過去の整理ができる。そう思って、誰も見ない私だけのノートに書き綴りました。親への怒り、恨みつらみ。言えなかった気持ち。

書いて、書いて、書きまくりました。 

もうこれ以上出ないというところまで吐き出しました。で、ふと気づきました。親の悪口を書いたつもりが、これはそっくりそのまま私のことじゃないか、と思ったのです。

親の嫌いなところや悪いところは、ぜんぶ自分の中に在ったのです。愕然としました。認めるの、いやでした。

私はいい人なのに。私はあの人たちから傷つけられた被害者なのに。そんなことって…

認めたくないけど、認めざるを得ませんでした。

心理学を勉強しはじめた頃のことです。

自分は真っ白で、親は真っ黒、と思っていたんです。

ところが、自分には白い部分だけでなくて、黒い部分も、両方あることが見えてきました。そうすると、真っ黒だ、と思っていた親の白い部分が見えてきたんです。

二十年かかりました。

被害者意識のフィルターが外れると、世界は美しく見えてきます。

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