Kayoko_Suzaki/心理カウンセラー

パーソンセンタード表現アートセラピーファシリテーター/心理カウンセラー/新聞社編集局を…

Kayoko_Suzaki/心理カウンセラー

パーソンセンタード表現アートセラピーファシリテーター/心理カウンセラー/新聞社編集局を経て、2007年、京都から石垣島に移住/西表島でのワンネス体験、八重山のオバアとの二人暮らしや大自然、20年の闘病生活を経て復活した体験記をつづっています/岡山県倉敷市出身

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【愛着障害・うつ・AC】自立するより甘えるのが先

あなたは安全基地をもっていますか? 安全基地はこの世界を安心して生きていくための心の土台です。養育者との間に情緒的な絆が結ばれると、心の中に安全基地を持つことができて、それは一生つづきます。 「困ったら親の所に転がり込めばなんとかなると、この年になっても思ってるんだよ」 と中年のおじさんが、むかしの私の上司でしたが、その人が話したときは、愛着ということを 子供時代に体験していなかった私には、頼れる人がいることが羨ましく思えたものです。 実際に転がり込むかどうかは別にして

    • 恋愛至上主義だったあの頃

      恋愛が苦手なある女性が三十歳を目前に婚活をして成功した体験談はかなり変わっていました。 あまり参考にはならないかも知れませんが …。 この女性は周りの男性をよく見ていて、この人と思った人に「結婚してくれますか?」と声をかけて、「ん?」と言った人はパスして、また次の人に「結婚してくれますか?」と声を掛けているうちに「ハイ」と答えた人がいて、その男性と結婚したそうです。 相手の男性を選ぶとき、好きかどうかではなくて、私の子どものお父さんとしてどうか?という観点で決めたそうで

      • トラウマから回復したら優しい人に囲まれていた

        さいきんは人と積極的に交流するようになって、そのことを嬉しく思っています。 人と心がふれあう、こころが通い合うとはこういうことなのか、と新鮮で、ちょっと涙ぐんでしまうほど感動しています。 人と一緒に居ることがこんなに楽なのは、人生で初めてだからです。 これまでには感じたことのなかった安心感をベースにした繫がりを、自然につくっている自分に、よくここまで来れたと褒めてあげたいくらいです。 もともと私は対人不安が強くて重い病を患っていました。 治療を専念するために二十年前

        • たましいの設計図とこれからの人生

          今からひと月余り前の、この十月。 長年の禍根だった両親との問題が終わって、私の一つの人生も終わったのだな、と感じています。 これからは、また新しく次の人生が始まっていく、その予兆がもう既に始まっています。 私が辿った前半生は、両親との軋轢によって本来の私自身を生きられなくなっていました。 完全に自分を見失っていました。 私の本質から大きく外れた人生を否応なく生きさされた、と感じています。 いま両親との問題は清算されてゼロになり、私はもとの本質に帰ってきました。

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        • 楽園瞑想〜母なるものを求めて
          9本
        • 再生をかけた旅〜秘境、網取での神秘体験
          3本

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          人生が行き詰まったら逆が真実

          私は親から愛された実感も、守られた実感もありませんでしたから、愛されることと守られることを自分で自分に許可していませんでした。 罪悪感がつよくて、簡単に幸せになっちゃいけないと自分で自分を厳しい道に追い込んでいく修行系の人生を歩んでいました。   若いときは自立を目指して親に頼らず頑張り続けました。 社会に出たら女性差別とセクハラがあって辛かったし、パートナーは思いっきり頼りにならない人を背負おうことになり、俺を幸せにしてくれと言うばかりで私を幸せにしてくれる人は居ませ

          人生が行き詰まったら逆が真実

          自分に正直でいるために我慢をやめる

          過去の浄化が進んでいます。 以前には当たり前だったことに、はっきりした違和感を感じるようになってきて、もう違和感を無視したり誤魔化したりできなくなってきました。 違和感を無視できなくなったのは、我慢をやめたからなんでしょう。 何かを我慢しなければ続かない人間関係を、今後も続けるのか否か、自分に問うてみました。 そうしたら怒りの感情が出てきました。 自分に我慢をさせていたから相当な怒りが溜まっていたことに気づいて、続けていくのは良くないと思いました。 かつてお世話に

          自分に正直でいるために我慢をやめる

          婚活していた時のはなし

          私は基本的には恋愛結婚派です。 見合い結婚というのはどうもピンとこなくて、よく知らない人と結婚を決める人のことが分かりませんでした。 私にとって結婚は恋愛の延長にあるもので、相手と距離が縮まって結婚にいたるのは、会話を重ねてお互いのコトを少しずつ知り合いながら理解したその積み重ねの先にある、と考えていました。 相手を知り理解するプロセスを抜きにして生涯のパートナーを決めるなんてあり得ないことでした。 しかし最近は私が恋愛至上主義で、結婚を軽視していたかもしれないと考え

          婚活していた時のはなし

          封印した本音「私は嘘をついていました」

          自分に正直に生きられなくなったのは何時からだろうと昔を振り返ってみると、思春期の頃にはすでに目の前に大きな壁が立ちはだかっていました。 時代や社会との軋轢の中で、若い女性としていかに自由を失わないように生き延びて行くかが大問題でした。 私の思春期から青年期にかけて女性解放運動がおこり、田舎の保守層のあいだでは、娘をもつ親から危険視されていました。 リーダー的存在として、政治家の市川房枝さん、タレントの落合恵子さん、画家のジョージア・オキーフ、前衛芸術家の小野洋子さんなど

          封印した本音「私は嘘をついていました」

          終わって行くこと

          この四年のあいだに現実面がぱたっと停滞してしまいました。 その間に重要人物と思っていた人からの手酷い裏切りにもあい、うつ状態になって寝込むほどの痛手を負いました。 これまで進んできた道がきゅうに行き止まりになって、強制終了になったのです。 そっちの方向は間違っていますよ、と何者かが教えてくれたのでしょう。 私が信じていた人は、信じてはいけない人でした。 その人は善き人のふりをして私に近づいて来て、じつは私に敵意を持っていたのだと、後になって分かりました。 私が信用

          さよならをするために

          いよいよその時が来たみたいです。 トラウマの過去を終わらせて新しく生まれ変わるそのときが来たのです。。 過去の未完了はどんどん完了していきました。 あと残すところも全て終わらせて、もうすぐ過去と訣別する、そのタイミングが来ています。 残っているのは生家のこと。 この二十年ぐらい、生家の家族はほとんど一家離散状態でした。 この間、お互いの近況もほとんど知らず、親族の情報も入っていませんでした。 五、六年前に、父方の叔母の夫、つまり義理の叔父さんが亡くなって葬儀に出

          探し続けた終のすみ家

          親とのあいだに健全な愛着を育めた人は「あそこが自分の家」と言える居場所を生涯もち続けることができます。 いったん愛着が形成されると、世界中どこ居ても、親が他界してその家が現存しなくなっても、「自分の家」はいつまでも安心感をともなって心の中に存在し続けるのです。 不運にも帰れる家を持てなかった私は、こころは不安に苛まれて、何時までも親に貰えなかった愛を求め続け、執着し続けました。  帰れる家が無いのに自立をしようとしていて上手く行かず、自立は帰れる家があることが大前提だと

          親に見切りをつけて自分の人生をはじめる

          親にかけられた呪いから、やっと覚めました。 覚醒のときが来たんです。やっと自分を生きられるんです。 苦しみを子供に何とかしてもらおうとして甘えたり、依存したりしてくる親を健気に支えてきた私は、人の犠牲になることによって価値を感じる大人になって、私を頼ってくる人を支えて尽くすことに人生の前半を費やしてきたとも言えます。 むかしのパートナーとの関係は、その最たるものでした。 今となっては阿呆らしくも悲しい思い出です。自分らしさなんて、何処にもなかったですから。 まあ、そ

          親に見切りをつけて自分の人生をはじめる

          じぶんの中にある愛に気づく

          愛されていないと思う人は、愛をうけとるセンサーが閉じているのです。 安全ではない環境を生きてきたためです。 世界は安全なところだと気づくと、自分の中に愛があることに気づけるようになり、外の世界から送ってくる愛をキャッチできるようになります。 私自身も、誰からも愛されていないし、恵まれていないという思いがありましたが、いまの地点に立って来し方を振り返ると、それは間違った思い込みだったと分かります。 過去の見え方が当時と今とでは、ぜんぜん違います。 私は愛されていたし、

          じぶんの中にある愛に気づく

          別れと旅立ち

          長かったサイレント期間が終わって、動き始めようとしています。 動かなかった現実の水面下では変容がおきていて、イモ虫からさなぎへ、さなぎから蝶へ移行するプロセスが進んでいました。 これまでの人生に別れを告げるときが来ました。 これまで勉強した本、好きだった映画、慰めをくれていた音楽、尊敬していた人さえも、いまの私にとっては刺激されるものでは無くなりました。 これまでの私の思想や人格、生き方、人生の枠組みを形成していたものの正体が孤独や不安だったので、孤独や不安が無くなっ

          人生を止めている要因

          「悩むことから離れられない人」がいる一方で、「悩み続けることが出来ない人」がいます。 私の記事を読んでくださっている人は、「悩むことから離れられない人」が多いのではないかと思います。 嫌なものに何時までも執着して苦しいですよね。 もう一方に「悩み続けることが出来ない人」たちが居ます。 メンタルが強くてストレス回避が上手い人たちですが、彼らの考え方と行動で際立っているのは、嫌な人や嫌なことからさっさと立ち去る切り替えの早さです。 考えても答えの出ないことは流して、何時

          言わないと分からないこともある

          私にとってコミュニケーションは常に大きいテーマでした。 原家族の親子関係のなかで自己表現することを諦めたことが、その後の人生をどれほど損なってきたかについて考えると、くらくらと目眩がしてきます。 親の機嫌を忖度しなければならない環境でしたから、子供のときは自分の気持ち言わないことで身を守ってきたのです。 しかし、そのやり方は大人になってからはマイナスに働いています。 自分の気持ちを言わないことが、どれほど人生の良い流れを止めてきたのか、よく見てみたいと思います。 Y

          言わないと分からないこともある