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指示待ち人間の現代的大進化

指示待ち人間
他人の指示や決定を待たずに自発的に行動することができない人のことを指します。このような人は、自己判断力や自己責任を持つことが苦手で、他人に依存しやすい傾向があります。また、意思決定が遅くなるため、ビジネスシーンやプライベートでもトラブルを引き起こす恐れがあります。指示待ち人間においては、自己肯定感を高め、自己主張をすることが重要です。

AIによる定義

 特に仕事の場で、自発行動をせずに上司あるいは世話役からの指示があって初めて動き出す者のことを指示待ち人間と呼ぶ。これは上記定義からもわかるように一般的に悪いこととされ、そうなってしまうことも、そのような人を生み出してしまう現場も、なんらかの改善をしなければならないものと言われている。
 基本的には指示待ち人間とは環境的要因(家庭、社会、世代など)によって、その人の気質がそのようになるからであり、たとえば内気な性格の人が全員指示待ちになるかと言えばそうではない。だからこそ、指示待ち人間とは「治さねばならないもの」「脱却しなければならないもの」として捉えられ、古くから多くの人々が、頭を悩ませてきた。

 しかしこのような「指示待ち人間」が本当に、人間にとって悪いものなのかということには、これまで少なからず疑問があった。先に述べたように、それは環境要因で作り出されるものだから、善悪の話ではなく適応の結果なのではないかということだ。また、自発性は無条件に褒められたものではなく、度が過ぎれば自分勝手な振る舞いになるため、ある程度指示を待つという態度も必要であることなどが、考慮されてきたのである。

 だが、考えなければならない重要な点として、指示がなければ行動を起こさないという主体性のなさは、つまり指示があればどんなことでも行動に起こすという盲信に繋がるということである。
 幸いにしてそれは、あまり目立つことはなかったが、近頃そのようなリスクが大いに顕在化してきたのである。
 即ち、この現代において、従来から嘆かれてきつつも擁護されてもいた「指示待ち」が、大進化を遂げたのだ。結果としてそれは悪用された。この、価値観の多様化した、正しさのわからない(あるいはすぐに覆される)現代において、指示を待つという選択はつまり、その指示への価値観を放棄させたのである。
 それは少なからず、全ての現代人に経験があることだ。どうせ何が正しいかわからないのであれば、もう考えないようにしてしまうということが。そのような諦めと、自身の行動を他者に委ねるという主体性の追放。この2つの放棄が、いわゆる「闇バイト」に代表される犯罪行為、脱法行為へと人々(特に若年層)を向かわせてしまったのである。

 指示待ち人間が環境要因であるのなら、このような人々もまた、この現代が生み出した悲劇であると言える。指示待ち人間はまだ、「職場の悩みのタネ」程度で済んでいたものだが、犯罪や脱法となると話は違う。
 指示を待つことはもう、凶器と化したのである。そのような態度そのものが、価値観と主体性の放棄が、その人を武器化する。犯罪者集団、反社会勢力、危険思想家達、そして自分のために他者をいくらでも犠牲にできる人々にとって、それは便利な道具となってしまった。気づかれてしまった。
 このような指示待ち人間の進化は、ゾンビ化とも言える。
 主体性なく、価値判断もおぼろげで、しかしマニュアルに従う律儀さがある。これはもはや、従来の指示待ち人間とは一線を画するものである。

 人が人を武器として使い、利益を手にし、それがはびこる現代に倫理はない。正義も秩序も、未来もない。しかし指示待ち人間は、進化してしまった、それもこれまでとは打って変わって。このような形態の人間がいつまでも道具のように使われ、そしてそれが生まれてしまう現代の環境が無視され続けることは、まったく健全とは言い難い。

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