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まず最初に「コミュれない」ありきで

 他者とコミュニケーションが取れるとは思わない方がいい。というのは諦めろというのではなく、そういう事実を受け止めるべきだということだ。

 どんな相手でも、それが「人」ならば私達は少なくとも、意思が通じないことはないと思う。言葉や文化の壁があったとしても、必ず手の届く範囲にいるはずだと。同じ人間なのだから、どうあれ、自分の考える範囲、常識、知識は、そこに共通しているのだと考える
 目の前の人に対してそう思うことは悪いことではない。けれどそれは、私達が持つ抜けきれない癖だと心するべきだ。通じる、という思いは時として通じない。というよりも常に、通じないものだ。それが当たり前の、ベースである。

 けれど、だからといって、人間同士がわかり合えないというのは私達を思考停止させる事柄ではない。ただ、そうであるだけなのだ。そして、それは改善されるべき問題でもない
 私達はこのコミュれないということを、諦めるのでも受け入れるのでもなく、無くしてしまおうとするのでもなく、そうであることを認知すべきだ。ただ、認めるのである。そして、それを前提とした対応を取ることが大事である。

 全ての人間同士はコミュニケーション不全だ。当たり前に、なんの誇張もなく、なんの理不尽もなくその上でそれは問題なんかでもない。事実でしかない。そのことを勘違いしてはならない。私達はそもそも、いくら通じるように思えてもそうではないものだ。ならば私達は、それ相応の感情と行動でもって自分を含む人間と当たらなければならない。

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