見出し画像

水の中に揺蕩う常識

 目が覚めるとそこは海の真ん中で、仰向けになってただ一人浮いていた。真上には太陽がその光を余すことなく見せつけて暑く、かと思えば背中側は、ぬるいのか冷たいのか分からない奇妙な海水の不快な感触に辟易していた。かろうじて視線で左右を確認するも誰もいない。船もなく、空に飛行機どころか鳥すら飛んでいない。ただただ、太陽と海水。真っ白な光と青黒い海面。不安感に叫びだしそうになりながらも、うっかりするとそのまま沈んでいってしまいそうな自分を必死に抑えて、脱力したまま浮いている。そうしてしばらく、海の揺れが大きくなってきたかと思えば、泡だった白い海水が顔にかかる。それは痛みだ。照りつけられた顔に海水は痛い。だがほどなくして、その痛みに耐える自分のもとに巨大な鮫がやってくる。海だからそれは当然にいる。そうだったと自分は思って、ただその大きな口が開かれるのを見る。不揃いな牙に囲まれた赤黒い舌の奥へと海水が飲み込まれていく。その一部に自分は今からなるのだと思って強く目をつぶると、暗い暗い海の底へと吸い込まれていく感覚に、目を覚ました。

「しばらくはこれで様子を見てください」
「分かりました。ありがとうございます」
「お大事に」
 薬の入った袋を片手に携えて、秋晴れのやや冷たい風の中に歩み出す。車椅子を押す看護師に会釈され、自分は未知を空けるために脇に避けた。車椅子に座る患者はのべつまくなしにその看護師に話をしていて、看護師は慌てて患者へとにこやかな相槌を返していた。
 病院の正面口の人の出入りは多く、また、自分の番が来るまでに数十分要したことを考えると、ここが大病院だということを物語っていた。
 公園のようになっている緑地を眺めながら、今日は真っ直ぐ帰ることにした。松葉杖の少年が、友達らしく数名と遊んでいる。ベンチには、厚着をして話し込んでいる中年女性が2人いた。今日は点検の非7日、作業服に見を包んだ数名の男性が、芝生に座り込んで何やら作業をしている。歩きながら、ずいぶんと賑やかなところなのだと思っていた。今日、悪い夢を見てなかなか寝付けないということが続いたので、専門医に見てもらいに来たのだが、もちろん最初は気乗りがしなかった。
 病院とは病人の行くところであって、自分はただ夢見が悪いだけなのかと思っていたし、実際、診断はそういうことだと告げられた。心因性のストレスだから、いくつかの薬で様子を見ようと帰されたことに、少し納得のいかないところもある。近所には診てくれる病院がないからわざわざここまで来たのに、実際、この病院の中にいたのは、待合室が最も長かったように思う。待合室は待合室で騒がしく、子供の大声や、それを叱る親の声や、看護師と患者の問診、配膳やベッドの通り過ぎる音、携帯電話か何かの着信音など、とにかくうるさい印象だった。

 すっかり病院の敷地を出てしまってから振り返ると、その病院は青空の中に白々と屹立し、無言のまま陽光を反射させ光っていた。夜はまた違うのかもしれないが、これなら遠くからでも迷うことはないし、この辺りは街として栄えているところ故に他にも大きな建物がある中で、見つけやすい。
 風邪を引いても、あるいはインフルエンザの時ですら、近所の薬局で薬を買って済ませていた自分にとって、病院というものは子供の頃以来の場所だったが、今日の経験から考えればそこは非常ににぎやかでゴミゴミしていて、調子の悪い人間など1人もいないのではないかと思えるくらいに、活気に溢れていた。病院とはもう、そういう場所ではないのかもしれない。あるいは最初からそうだったのだろうか。
「ちょっと、危ないですよ!」
 考え事をしていたせいか反応が鈍かった自分に声がかけられる。我に返れば、大きなリュックを背負った自転車が、さっそうと駆け抜けていくところだった。自分は辺りを急いで見回したが、他に人はいない。多分、あの人が声をかけて来たのだろう。1分1秒でも早く、デリバリーを遂行するために。
 小さくなっていくその背中は不意に歩道を外れ、車道へとふらりと進路を変えた。車通りは多いというわけではないが、消して少なくはなく、実際向こうの方からはトラックらしき大型車も来ているようだった。けれどその自転車は当然のように車道を横切って、そのまま建物の陰へ消えていった。呆然と眺めていた自分の横を、程なくしてトラックが過ぎ去っていく。冷たい風と轟音に、髪の毛が巻き上げられた。

 貰った薬を食卓において、一段落つく。普段、このような時間に家にいないためだろうか、自分の家がどことなくよそよそしいように感じた。むしろあの病院の待合室のほうが、適度に広く、それぞれが患者という共通点を持っているがために、居心地そのものは悪くないはずのように思った。多分、気のせいだと思うが、公共の場所の方が却って気を遣わなくて良いということなのかもしれない。とはいえあの自転車のように、一瞬でその場を通り過ぎるからといって、ルールや常識まで放棄してしまうことは自分にはできそうにない。
 とりとめのない考えを頭に置きながら、貰った薬を飲もうとコップに水を入れた。薬を取り出してみれば、それは色のない無機質な小粒で、どうやら水を入れたのは必要のない行動らしかった。そのまま口に放り込もうとして、薬の袋の中に紙が入っているのに気がつく。開いてみると、成分表示らしい。だがそこに記されていたのは、どうやらこの薬が、薬というよりはただのビタミン剤だという事実と証拠だった。
 その意味を少し噛み砕いて考えてみようとして、医者がこれを飲めというのなら飲めば自分の悩みは解決するはずだと思い直して飲み込んだ。「薬」はなんの味もしなかった。いや、したのかもしれないが、それについて特筆すべき何かがあったわけでも、予想外のことがあったわけでもない。ただそれは非常に飲みやすく、やっぱり水はいらないということだけが証明された。

 翌朝はすこぶる目覚めがよく、多分薬のおかげではないだろうと思うけれど、もしかしたらそうなのかもしれなかった。昨日までよりもずっと体の調子も良い気がした。わざわざ仕事を休んでまで得たものは単なるビタミン剤だったにもかかわらず、予想とは反対に。
 薬のおかげでないとしたら、昨日あったいくつかの出来事が、精神的に悩む自分にプラスの影響を与えたのかもしれないということだけだった。分からないが、自分がそれまでに考えてきたものは、予想は、やすやすと裏切られるのだと言うことを実感したことによって。

 海の只中に浮かぶ小舟のように、自分の持つ感覚とは頼りないものだ。そしてその不安を常に抱えて、できれば堅固な大船にすがりたいと思う気持ちがわいてくる。
 でもそれは無駄なことなのだろう。どのような考えも絶対的ではないし、あるいは絶対的でないと思っていたことが実際だったりすることも、この世にはある。何かを固定的に考えることは、あまり意味のないことなのかもしれない。ただそれは、手応えのない水の中でもがくだけの行為であるから。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?